妹原とふたりで冬休みの学校へ - 第197話

「なあ。今から会えないか?」


 妹原が泣き止むタイミングを見計らって、俺は言った。


『今から?』

「ああ。その、急で悪いんだけど、俺さ、妹原に会ってちゃんと話がしたいんだよ」


 俺の心臓がばくばくと脈打って大変なことになっているが、堪えろ!


「電話だと、話しづらいから。だから、その、頼むよ」


 今のやきもきする状況を打破するためには、俺の気持ちのすべてを妹原に伝えなければならない。そして妹原の気持ちも知らなければならない。


 電話でも思いを伝えることはできるけど、大事な話を電話で済ませたくない。いや済ませてはいけない。


 一生ものの大恥をかく可能性があるとしても、面と向かって思いを伝えるべきだ。


 急な提案に妹原は戸惑っているのか、無言の時間がしばらくつづいた。けど――。


『わたしも、八神くんと会って話したい。麻友ちゃんのことも、含めて』


 小さいけど、はっきりと聴き取れる声で断言してくれた。


「すまねえな。新年早々に変なことを言っちまって」

『ううん。わたしも八神くんと話したいって思ってたから。気にしないで』

「ありがとう。じゃあ、いつも行く駅前のカフェで会おうか」

『あっ、カフェだとたぶん人がたくさんいるから、話すのは公園がいいかな』


 新年でもカフェには客がたくさんいるか。そこまで考えが及ばなかったな。


「了解。じゃあ駅で待ち合わせして、学校のそばの公園に行こう」

『うん』


 妹原の返事を聞いて、俺は通話を切った。



  * * *



 早月駅の改札口は今日も人ごみでごった返していた。


 今日は一月四日なのに、東口へつづく下りのエスカレーターには長蛇の列ができている。


 性別や年齢層も豊かだ。中学生くらいの女子が三人で騒いでいる後ろには、杖をついたじいさんが口を真横一文字に閉ざしている。スーツを着たどこかの会社の営業マンや、ビニール袋を下げたおばちゃんの姿もあった。


 年が明けたばかりなのに、早月に住む人たちはみんな精力的だな。俺もそのひとりだと思われているのかもしれないけど。


 東口のデパートの看板がかけられている柱の近くに妹原はいた。雪のように白いコートとムートンっぽい茶色のショートブーツを穿いている。頭には毛皮の帽子を被っていた。


「急に呼び出してごめんな」

「ううん。うちにいても暇だったから」


 妹原のうちは正月に親の実家に帰ったりしないのかな。


 学校へ向かってゆっくりと歩きはじめる。


「妹原のうちは、正月にばあちゃんの家へ帰ったりしないのか?」

「うん。おばあちゃんちは大晦日に行くから、お正月はうちで過ごすの。変わってるよね」


 妹原家では大晦日に挨拶を済ませるルールになっているんだな。


「少し変わってるかもな」

「八神くんは、おじいさんやおばあさんは他界してるんだっけ」

「ああ。年末も正月も俺ひとりだから、身内関係で外出する予定はないな」

「そうなんだ」


 妹原が眉尻を少し下げる。


「いつも思うけど、八神くんってすごいよね。みんなが家族で普通に過ごしているのに、八神くんはひとりでいられるんだもん」

「別にすごくないだろ。これが普通だ」

「普通じゃないよ。だって、わたしだったら絶対に耐えられないもん。お正月に独りで過ごすなんて」


 普通じゃないと言われても、俺のまわりには身内がいないのだから、背伸びしたって俺は独りで正月を過ごすしかないのだ。


 海の向こうのシンガポールにいるであろう親父へ密かに恨み言を飛ばしていると、


「ねえねえ八神くん。学校に行ってみようよっ」


 妹原が俺の袖を軽く引っ張った。


「学校に?」

「うんっ。お正月の学校って見たことないから、見てみたくない?」

「そうかな」


 正月の学校と言っても、だれもいない土地に校舎が佇んでいるだけだと思うけど。でも妹原のせっかくの提案を断れるわけがない。


「ついでにちらっと寄ってみるかっ」

「うん。行こう!」


 妹原の屈託のない笑みが眩しい。ああ、やっぱり妹原が好きだな。


 駅の近くは人口密度が高いけど、学校のそばまで歩くと歩行者はほとんどいなくなった。葉の落ちた桜の通学路を妹原と歩く。


「お正月に八神くんとふたりでこの道を歩いてるのって、すごく変な感じがする」

「普通じゃ絶対にあり得ねえシチュエーションだもんな」


 俺が反応すると、妹原は口に手を当てて笑った。


 本当に、普通では絶対にあり得ないシチュエーションだ。一月四日の昼過ぎに、会話することだけを目的にふたりで通学路を歩いているんだから。


 以前の俺だったら、ここで命が果てたとしても悔いはないぜと、バカみたいに妄想していたんだろうな。


 けれど、どうしてだろう。こんな素晴らしいシチュエーションなのに、俺の核の部分がひどく冷静で、バカみたいな妄想を出させないようにしているのだ。


 なぜ俺はこんなに冷静でいられるのだろうか。自分の心境がこんなにわからないのははじめてだった。


 校舎を囲む塀を伝って通学路を抜けると正門が見えてきた。


 冬休みでも部活動は校舎や校庭が使われるから、正門は夕方まで開いていることが多い。けれど正月は先生たち職員すら学校へ来ないから、正門を開ける必要がないんだろうな。


「お正月の校門は閉じてるんだね」

「先生も正月は休むから、学校へ来る人がいないんだろうな」

「そっか。先生とか警備員の人たちも、お正月はうちで休むんだもんね」


 せっかく学校まで来たんだから校庭くらいには入りたかったけど、門をよじ登ったら不法侵入者になっちまうな。在校生と言えども。


 そう俺が真面目に思案しているのに、


「ねえねえ。中に入っちゃおうよ」


 妹原がらしくない提案を喜々とし出したから、俺は思わず唖然としてしまった。


「いや、それはまずいだろ。っていうか、なんていうことを言い出すんだっ。そんなことしたら親御さんが悲しむぞ」


 優等生の妹原に校則違反などさせてはいけない。妹原は音楽と勉強を両立させて、やがて日本を代表するフルート奏者になってもらわなければいけないんだから。


 それなのに妹原は、口をぷくっと膨らませて俺を睨み出した。あれ、もしかして、怒ってる……?


「ずっと前から思ってたけど、八神くんはたぶんわたしのことを勘違いしてる。わたし、学校のみんなが言うような優等生じゃないもんっ」

「いやでも、学校の成績はいいし、生活態度も模範的だって、松山とかも言ってるんだから、どこから見たって――」

「お父さんやお母さんが無駄に厳しいから、学校の成績を落とさないようにがんばってる、けど……子どもの頃は、ジャングルジムとかっ」

「お、おい!」


 妹原が正門に手をついて、ひょいと跳躍して――!


「公園で、友達といっぱい遊んでたんだからっ!」


 今までで一度も見たことがない妹原の活発な姿だった――いやっ、のんきに見とれてる場合じゃないっ!


「ま、待て!」


 俺も右手と足を正門に乗せて跳躍する。門を越えることはできたが、足が門にはげしく当たってしまったから、金属的な騒音が校庭に響いてしまった。


「おい、妹原っ!」

「八神くんっ、こっちだよ!」


 妹原は幼児のような笑顔で校庭を走り回っている。妹原はどうしちまったんだ。上月のことを考えすぎて頭がおかしくなってしまったのか?


 いや、違う。この無邪気な姿もきっと妹原の素顔なんだ。


 いつも静かで、落ち着いていて、クラスのだれよりも頭がよくてフルートの演奏技術はプロをも凌駕する。


 それが俺の、いや世間一般で認知されている妹原の姿だが、それはある方向から見た妹原のイメージでしかなかったのか。


「妹原っ、待て!」

「きゃっ!」


 元気に走り回っていても、妹原の足は決して速くない。追いかけるとすぐに捕まえることができた。


「はあ、はあ。ひさしぶりに、走ったから、疲れた」


 妹原は屈んで息を整えている。柄にないことをするから息が上がるんだ。俺も同じだが。


「準備運動もしないで、急に走ったからだっ。俺も疲れたぜ」

「ごめんね。急に、変なことをして。でも、八神くんが、お父さんとおんなじことを言ったから、向きになっちゃった」


 妹原のあの頑固親父と、同じことを俺が言ってたのか?


「それは、向きになるな」

「でしょっ」


 妹原は親父のことが嫌いだったんだな。あの頑固親父が好きなんだろうとは思っていなかったけど。


「奇遇だな。俺も自分の親父が嫌いだ」

「シンガポールにいるんだよね。仕事のためでも、子どもを放って海外に行くなんて最低だよね」

「そうなんだよ。あんなやつ、親父じゃねえっ」


 くそ親父のことを考えたら胸の下のあたりがむかむかしてきた。あんな野郎の記憶は脳から消し去っておこう。

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