夏休み明けの放課後 - 第108話
四十日間もつづいた真夏の休暇があっという間に過ぎ去って、九月からの憂鬱な高校生活に戻ってきた。
夏休みってあんなに休みがあるのに、なんで過ぎるのが早いんだろうな。きっと日本の学生たち全員が感じている学校生活最大の謎だ。
このテーマで夏休みの自由研究を発表したら、学校中の生徒たちから絶大な評価をいただけるのではないか。来年あたりに研究してみようか。
そして最終的な研究結果として、休みの日数が足りていないことを白日の下にさらし、学校側に起訴状をたたきつけるのだ。
そうすればきっと、全校生徒が日本海の荒波のように俺の意見を後押しして、校長も夏休みを増やさずにいられなくなるだろう。
くっ、これはぞくぞくと鳥肌が立ってくるほどの妙案だ。そうと決まれば、来年だなんて悠長なことは言わずに、今から――。
「明日のホームルームは、文化祭の出し物について話し合うらしいぞ」
実にくだらない計画を思考していた俺の脳天を、山野の抑揚のない声が遮る。
夏の残暑がきつい夏空の下校道。俺は山野と学校沿いの通学路をひた歩いている。
山野とそろって帰宅する特別な理由があったわけではない。教室で帰る準備をしていた山野に声をかけたら、今日はバイトがないという返事があったので、じゃあ帰るか? という流れになっただけだ。
間違っても山野とのツーショットを熱望していたわけじゃないぞ。
山野は白の透き通るようなワイシャツを着て、空色のクールなハンカチで首の汗を拭っている。特にかっこつけているわけではないのだろうが、山野の動作はどこか品があるんだよな。
今の服装だって、俺や木田と同じ学校の制服なのに、山野の方が二倍も三倍もきまっている。こんなの不公平だ。
それはともかく、明日のホームルームのことをなんでお前は知っているんだ?
「そうなのか? 俺は全然知らないぞ」
「帰りのホームルームの話、聞いていなかったのか? 松山さんが腰を振りながら言ってたぞ」
そういえばそうだったかもしれないな。松山さんの動きがあまりにも気持ち悪かったから、話にまったく集中できなかった。
「でも文化祭の出し物なんて、どうせくだらない模擬店でもやるんだろ」
「だろうな。文化祭の出し物って言ったら、みんな模擬店をやりたがるだろうからな」
文化祭と言えば模擬店やお化け屋敷がすぐに頭に浮かぶが、別のクラスの連中だってきっとそう思ってるんだろうな。
安易にコスプレ喫茶なんかに決めて、となりのクラスと企画がバッティングしたら目も当てられないぞ。
「ところで文化祭っていつやるんだ?」
俺が当たり前の質問を切り出すと、山野がメガネの縁をさすって嘆息した。
「お前、帰りのホームルームの話を何も聞いていなかったんだな。文化祭をやるのは今月末だ」
文化祭の日にちも帰りのホームルームで言っていたのか。しかし、俺が話を聞いていなかった原因は、すべて松山さんの気持ち悪さにあるのだから、俺は何も悪くないのだ。
「文化祭のスケジュールは、さっきくばられたプリントに書いてあるから、一度目を通しておいた方がいいんじゃないか?」
そうだな。文化祭なんてクソゲーを攻略するのと同じくらいに興味はないけど、全体スケジュールくらいは把握しておいた方がよさそうだな。
「しかし文化祭なんて、かったりーな」
「ぼやくな。文化祭と体育祭は二学期の二大イベントだからな。高校生活を少しはエンジョイするためにも、文化祭は素直に楽しむべきだぞ」
そういうことを他人ごとのようにつぶやくお前が、一番素直に楽しむべきだと思うが。
「でもよ。文化祭は準備とか、また後片付けとか、面倒なこともたくさんあるぞ。企画だって考えなくちゃいけないし」
「まあそうだが、後夜祭ではフォークダンスをやったりするらしいから、妹原とさらに距離を近づけるチャンスだぞ」
なにっ。後夜祭でフォークダンスだと?
「後夜祭って文化祭の後にやるイベントだよな。フォークダンスなんてやるのか!?」
「風の噂だから、くわしいことは俺もよく知らないが、去年の後夜祭では校庭でフォークダンスをやって、それで結ばれたカップルが何組かいたらしいぞ」
マジか!? それは聞き流すことのできない超重要な噂じゃないか。
文化祭で盛り上がって気分がハイテンションのまま夜を迎えて、後夜祭でさらに気分が絶頂まで高まる。
フォークダンスで気になるあの子と手を取り合って、お互いが心に秘めていた想いを夜の少し大人な時間で打ち明ける。
そして、つらい片思いだと思い込んでいたのが、実は両思いで、俺は、そして、ついに――。
刺激的かつ大人すぎる妄想で、俺の幼稚な恋愛脳があっさり破裂しかけたが、
「でも妹原は音楽のレッスンがあるから、文化祭の後はすぐに帰宅するんじゃないか?」
「そうだな」
山野がなんの感情もない仏頂面で相づちを打つ。
「文化祭なんて、生徒がもっとも浮かれるときだからな。後夜祭の参加なんて、妹原の親は絶対に許さないだろうな」
そうだよな。頑固一徹そうな妹原の親父のいかにも考えそうなことだ。
後夜祭とフォークダンスはかなり期待の持てるイベントだったが、妹原を相手に使用するのは難しそうだ。ここはあっさりあきらめるしかないのか。
残念な気持ちでがっくりと落とす俺の肩を、山野がぽんとたたいた。
「まあ、文化祭の当日や準備しているときにもチャンスはあるだろうから、そんなに落ち込むな」
「おう」
そうだ。チャンスは後夜祭の他にもたくさん点在しているのだ。この程度のことであきらめてなるものかっ。
秋を迎えた
初秋のそよ風に川の表面が静かに波打っている。下水が流れ出る川だから、水はあんまりきれいじゃないけど、水の流れをながめるのは嫌いじゃないな。
なんというか、水のゆるやかな流れを見ていると心が洗われるような気がするのだ。――いや、こんな詩人みたいなことを呑気に考えても意味はないな。
土手にふと目を向けると、大きなキャンバスが置かれているのが視界に入った。画家が風景画や油絵を描くときにつかうような、巨大で本格的なキャンバスだ。
画家や美術の世界なんて俺はよく知らないから、これ以上のうまい表現はできそうにない。
その大きなキャンバスの前に腰かけているのは、どうやら女の人だった。鮮やかなオレンジ色のキャップをかぶった、身体の細い人だ。
顔が見えないから、年齢を伺い知ることはできない。着ている服がTシャツと細身のジーンズだから、比較的若そうな人だと俺の脳は推察したが。
こんな薄汚い川の土手にキャンバスを置いて、風景画を描く画家がいるんだな。特徴のない街のさびれた風景よりも景色のいいところなんて、日本のいたるところにあると思うけどな。
こんなことを考えてもしょうがないか。今日も親の仇のように暑いから、さっさと家に帰ろう。そう思って山野に目を向けると、山野が足を止めていた。
「山野。どうした?」
山野はいつもの無表情で、画家の女の人をじっと見下ろしていた。表情にまったく変化がないから、あの人を見て何を思っているのかわからない。
こいつは弓坂に好意を寄せられていても、微塵も気づかない男だからな。顔も年齢もよくわからない他人に一目惚れしたとは思えないが。
山野は俺に見られていることも気づかないで、耳を澄まさないと聞きとれないような小声でつぶやいた。
「
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