文化祭編

山野の知り合い

夢枕に立つ母 - 第107話

 あれはたしか八歳の頃の記憶だ。


 当時、炭酸飲料が異常に好きだった俺は、寝しなに炭酸飲料を大量に飲んでしまった。そのせいで布団に入ってからトイレが近くなってしまい、まったく寝つけなくなってしまった。


 すぐにトイレに行って用を足してしまえばいいのだが、小学生の低学年の頃というと、夜にひとりでトイレに行くのがまだ怖かった時期だ。たとえ小便が出そうでも、トイレに行く勇気はなかなか絞れ出せなかった。


 だから俺は、トイレを我慢しようと敷布団の上で身体をもぞもぞ動かして、尿意を堪えようと悪あがきした。しかし、そんな無意味なことをつづけていても尿意は強くなる一方なので、仕方なくトイレに行く決断を下したのだった。


 トイレは部屋を出て廊下を渡った先にある。何歩か歩けば着くくらいの距離だ。


 けれども夜のトイレというのはそれでも怖いもので――いや、夜のトイレの怖さを長々と語りたいわけじゃないんだ。トイレのくだりはここで終わりにしよう。


 俺はそそくさと用を足して、洗面台で手を洗うことすら忘れて、自分の部屋に逃げ込むようにトイレから飛び出した。


 そのときに初めて、廊下の向こうの明かりがついていることに気づいた。


 明かりがついている部屋は、リビングダイニングだ。今の俺はひとり住まいだから、リビングダイニングがメインでつかう部屋になっているが、八歳当時はそうではなかった。


 当時は母さんが生きていたから、母さんがリビングダイニングを占有していた。


 母さんの寝室はあったが、母さんは就寝するときしか寝室をつかわなかった。だから、うちにいるときはリビングダイニングのソファに腰を降ろして、ひとりでのんびりとテレビを観ていることが多かったと思う。はっきりとおぼえていないが。


 そのときも俺は、母さんがまだ起きていて、ひとりソファで寛いでいるのだと思っていた。ただ明かりがついていたのが気になったから、ふらっと覗き込む感じで様子を見に行った。


 うちの廊下は、玄関からリビングまでまっすぐにつながっているから、リビングに近づかなくても中の様子が見える。白のソファも視線の先に映っていた。


 しかしソファにはだれも座っていない。音が聞こえてくるから、テレビはついているみたいだけど、母さんはテレビを観ていないのだろうか。


 さらに気になって俺は、リビングダイニングへと歩いていった。


 ダイニングの真ん中にはダイニングテーブルがあって、食事するときはいつもダイニングテーブルを利用していた。なぜか知らないが、母さんはリビングで食事するのがあまり好きじゃなかったのだ。


 俺は食事する場所のこだわりなんて、これっぽっちももっていないから、今ではリビングで食事を摂ることが増えてしまったな。ソファで寛ぎながらコンビニ弁当を食べるのが、なんとなく好きなんだろうな。


 俺の食事するときの傾向なんて語っても、何も面白くはないから話を戻そう。


 母さんはダイニングにいた。ダイニングテーブルの椅子に座って、テーブルに肘をついていた。そして両手で顔を隠して、身動ぎひとつしていなかった。


 母さんは一体何をしているのだろうか。大好きな夜のテレビも観ないで、なんで顔を隠しているのだろうか。


 廊下の壁に身を隠すように観察していると、ダイニングから嗚咽が聞こえてくるのがわかった。


 身を小さく震わせて、しくしくと悲しむ、ほとんど声にならない嗚咽だ。母さんのそんな姿は、それまで一度も見たことがなかった。


 母さんは女手ひとつで俺を育ててくれた人だから、気は強いし、しゃべる声は大きいし、いつでも快活に笑っているような人だった。


 普段は仕事しているから、しゃべる回数は決して多くなかったと思うけど、食事のときはたくさん会話したし、いたずらをしてこっぴどく叱られることも一度や二度ではなかった。


 そんなしっかりした人だったから、母さんが泣いているところなんて俺は見たことがなかったのだ。


 母さんはなぜ泣いていたのだろうか。どこかに身体をぶつけてしまったのだろうか。それとも、怖い人にたくさん怒られてしまったのだろうか。


 当時の俺の幼い頭では、わからなかった。気の強い母さんが泣く理由なんて、いくら考えてもわかるはずがなかった。


 その理由がわかったのは、それから六年後――母さんが脳卒中でたおれた後だった。



  * * *



「またあの日の夢だ」


 九月のとある真夜中。俺はベッドの上で独りごちた。


 八歳のあの日の夢は、よく見る。母さんが死ぬ前から、ずっと。


 母さんは俺の枕元によくあらわれて、いろんな感情を俺に見せて帰ってゆく。あの日の夢は悲しさや寂しさをあらわしているが、暢気にげらげらと笑っている姿を見せていくことも多い。


 ひどいときなんて、ビールで悪酔いして、子どもの俺が無茶苦茶からまれて散々な思いをすることもあるからな。


 母さんは繊細な俺と違って、全体的に大ざっぱな人だったから、どちらかと言うとおおらかな印象の方が強かったな。


 今でこそ母さんの夢はあまり見なくなったけど、母さんが死んだ直後には毎日のように見ていた。そして夜中に目が覚めて、言葉に出来ないような寂しさと虚しさを感じていたな。


 二年が経つと、さすがに耐性がついたというか、独りの寂しさにだいぶ慣れてきた。そのせいか、母さんが俺の夢枕に立つ回数はかなり減ってきた。


 今は二ヶ月に一回くらいのペースで見ているのだろうか。ちゃんと測っていないから、正確な数字は算出できないが。


 母さんが夢枕に立つと、よくないことが起きる。


 理由はわからないが、母さんの夢を見ると、その数日後――長くて一ヵ月後くらいだろうか。俺のまわりで嫌なことが起きるのだ。


 この前は七月の期末テストの時期だったか、クラスメイトの桂が車に轢かれそうになったそうだ。


 その前は五月のゴールデンウィークの頃だろうか。上月がめずらしく包丁で指を切っていたな。


 まあ嫌なことと言っても、その程度のものだから、大きな事故にはならない。


 それ以前にこんなものは気のせいだ。たまたま起きた嫌な出来事を、俺は母さんの夢と無理やり関連付けているだけなのだ。


「そうだ。こんなものはただの気のせいだ」


 取るに足らない悩みだ。俺は毛布の裾を引っ張って寝返りを打った。

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