番外編

真夏のとある一日

真夏のとある一日 - 第106話

 ミンミンゼミの鳴き声が窓の外から聞こえてくる。


 リビングの窓の上に取り付けられたクーラーは、今日も横に長い口を開けて冷風を出しつづけている。


「暑い……」


 リビングのフロアマットに仰向けになりながら、俺はひとりでにつぶやいた。


 夏休みはお盆を迎えて、盛り上がりのピークがじょじょに過ぎようとしている。


 二学期の学校生活がやってくるのをじわりじわりと感じながら、今日もぐーたらとした日々を無為にすごしている。


 暇だ。


 休日にひとりで家にいると、することが何もない。


 今月の上旬には、山野たちと弓坂の別荘に泊りがけで遊びに行った。だが、弓坂や妹原と会えたのはそれっきりだ。それ以来、いっしょに遊ぶどころか、連絡すらしていない。


 別荘に泊りに行ったときは、妹原とふたりきりでたくさん話したり、弓坂と恋愛の密談をしたのにな。彼女のいない非リア充の夏休みなんて、こんなもんだよな。


 喉が渇いてきたから、冷蔵庫に常備している麦茶でも飲もう。夏バテ気味の重い身体を持ち上げて、のっそりとダイニングへと向かう。


 一昨日に木田や桂たちに誘われて、早月さつき駅のそばの水上公園に遊びに行った。男友達と遊ぶのは、それはそれで楽しいんだけど、妹原とまたいっしょに遊びたいって、つい思ってしまう。


 軽井沢ではあんなにたくさん話ができて、しかも手づくりのカレーまでつくってもらったっていうのに、贅沢な悩みだ。


 人間が持つ七つの大罪のひとつである強欲は、一度芽生えるととどまることを知らない。一度手に入れてしまうと、もっとたくさん、そしてもっと質の高いものをどんどんほしくなってしまうのだ。


 ……自分で考えていて、意味がまったくわからないな。夏バテのせいで、ただでさえ稚拙な文才がさらにレベルを下げているようだ。


 冷蔵庫をがちゃりと開けて、麦茶の入ったペットボトルを取り出す。使い慣れたコップを棚から取り出して、ペットボトルのキャップを捻って開ける。


 とくとくという心地よい音を発しながら、麦茶がコップの中へと注がれていく。


 夏休みにひとりでいると、暇だ。


 こんなにも時間が有り余っているのだから、妹原と会って仲をもっと深めたいよな。しかし山野や上月の支援がないと、妹原に連絡すらできないのが現実なわけで、俺の恋は進んでいるようで、実は大して進んでいないのかもしれない。


 あれから山野から連絡はない。きっと美容室のアルバイトで忙しいのだろう。


 上月はたまに家に来て、夕食を適当につくってくれるが、あいつにお願いするといろいろと面倒なことが起きるから、お願いしたくないんだよな。


 ひねくれ者のあいつが、まず俺の悩みを素直に聞いてくれるという保障がないからな。


 仮に打ち明けたって、きっと眉間のシワを三本くらい浮き立たせて、「はあ? なに調子に乗ってくれちゃってんのよ」と文句を言ってきたりするのだ。


 うん。絶対にそうだ。間違いない。


 ただでさえ猛暑なのに、あんな暑苦しい女に近寄られたら俺は夏バテでたおれてしまう。


 麦茶を飲み干した空のコップをキッチンに置いて、リビングへと戻る。


 意味のないことに頭をまわしていても埒が明かないから、書きかけの小説でも書いて気を紛らわせよう。


 リビングのテーブルに置いているノートパソコンのディスプレイをぐっと持ち上げる。


 キーボードの右上にある起動ボタンを押して、ノートパソコンを起動させる。ディスプレイの黒い画面にOSのロゴが表示される。


 小説はゴールデンウィークの頃から書きはじめたが、実はそれから数週間しか書いていなかった。


 だって書き上げた小説を小説投稿サイトに投稿したって、ユーザから何も反応がないんだぞ。継続する気力だってなくなってしまうじゃないか。


 もうちょっとこう、ユーザから感想をもらえたり、ポイントをもらえたりしたらやる気が出てくるんだけどな。それは俺のわがままなのだろうか。


 WEBブラウザを立ち上げて、ブックマークから小説投稿サイトのタイトルを選ぶ。サイトのログイン画面に遷移して、ユーザ名とパスワードを打ち込む。


 ログインするとユーザの管理画面へと遷移する。別のユーザから感想がもらえたら、左上に赤字で『感想がもらえました』的なメッセージが表示されるはずだが、今日も何も表示されていないな。


 つづけて、俺の小説『曹魏末期にトリップされてしまいました』の小説情報を確認してみる。ポイントは五月から四ポイントしか上がっていないぞ。いや、四ポイントも上がっていたと楽観視すべきなのか? ここは。


 己のアメーバみたいにマイクロな情報を見ていても悲しくなってくるだけだから、さっさとサイトをログアウトしよう。そう思ってログアウトと書かれたリンク先をクリックしたときに、玄関からドアの開く音が聞こえてきた。


「透矢。いる?」


 うちに無断であがってきたのは上月だ。いつものことだ。


 上月は玄関から軽快な足どりですたすたと歩いてきた。


「なんか用かよ」

「別に。暇だったから、わざわざ家に来てあげたのよ」


 何が来てあげた、だ。来て早々に恩着せがましく言うな。


 今日の上月は、デニムのショートパンツにフリフリの白いシャツを着ていた。丈のないショートパンツから白い腿があらわになって、性的な刺激を俺に与えてくる。


 顔にも今日もほどよくわかる程度にメイクしている。目もとに塗られたアイシャドウが彼女の大きな目をさらに際立たせて、女性的な魅力を俺にアピールしてくる。


 ほんと、いつも親の仇のように思うことだけど、見た目だけは最高なんだよな。性格は裏を返したように最悪だが。


 上月は俺の顔を眺めると即座に眉間のシワを三本浮き立たせて、俺のそばへと歩み寄ってきた。そして身体をかたむけて俺のノートパソコンを見やって、


「あんた、また下らない小説でも書いてるの? バッカじゃないの」

「う、うるせえな! 見んじゃねーよ」


 俺はディスプレイを閉じた。けど上月は険しい表情を変えない。


「隠したって無駄よ。スマホからアクセスすれば、あんたの小説なんていくらでも見れるんだから」


 ぐっ。いちいちめんどくさいところを突いてきやがる。さすが俺的な嫌な女ナンバーワンだ。


「せっかく夏休みで時間がたっぷりあるんだから、少しは実のあることをしなさいよ」

「うるせえな。っていうか、お前だって無駄にだらだら過ごしてんじゃねえか」

「そんなことないわよ。雫や栞と遊びに行ったりしてるもん」


 なにっ。俺の知らない間に妹原と遊びに行ってただと!?


 上月は俺の間抜けな顔を見ると、悪意を込めまくった面でせせら笑う。


「一昨日はふたりでかき氷を食べに行ったもんね。ふふっ、羨ましいでしょ」


 くっ、こいつの完全に勝ち誇った顔は最高にむかつくが、とてつもなく羨ましいぜ。


 どうしてなのか知らないが、こいつと妹原は超がつくほど仲がいいのだ。性格は正反対なのに、不思議だよな。


 その羨ましい立場を俺と交代してほしいぜ。


 それより、ふと思った疑問があるのだが。


「そういえばお前、なんで俺が小説を書いてることを知ってるんだ?」


 俺が小説を書いていることはだれにも言っていないんだが。


 すると上月は顔色を変えて、大げさに上体を仰け反らせた。


「うっ、うるさいわね! あ、あんたが、小説を書いてるところを、み見たのよっ。偶然っ」


 フィギュアみたいに小さな顔を真っ赤にしているが、お前、相当挙動不審だぞ。


「お前の前で執筆してるときなんてあったか?」

「あ、あったわよ! あんたがぼけっとしてるから、気づいていないだけでしょっ」


 そもそも小説なんて大して書いていなかったんだが、まあいいか。


 上月はくるっとまわれ右して、いそいそとダイニングへと向かう。


「細かいことはいいから、さっさと執筆しなさいよ。……なんだっけ? 中国の歴史小説だっけ?」

「正確には三国時代の末期だよ。曹魏のな」

「そんなの知らないけど、いいから早く書きなさいよ。つづきを待ってる人もいるんでしょ?」


 けっ、口から出る言葉といえば文句やクレームばかりだな。猛暑でも相変わらずに可愛くないやつだ。


 今日は小説のつづきを書こうと思っていたが、こんな騒がしい迷惑女が同室していたら書けるものも書けないぜ。俺はノートパソコンをシャットダウンして、そっとため息をついた。

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