弓坂失踪事件の真相 - 第103話

 音を立てないように扉を開けて、慎重な足取りで部屋を出る。


 別に音を立ててもいいんだが、松尾さんを警戒しているせいか、いつになくびくびくしてしまう。


 今からこんな調子でだいじょうぶなのか? われながら情けなくなってくるな。


 ダイニングに戻ると、松尾さんが部屋の隅で立ち尽くしていた。昨夜は弓坂をずっと捜索していたはずなのに、疲れていないのか?


 もう還暦に近いはずなのに、すごい体力だよな。この人は本当に人間なのか? 実は別の星からやってきた超人なのではないのか?


 山野と妹原は疲れがピークに達したのか、テーブルでうつぶせになっている。テレビはついたままだ。


「ほら、早くしなさいよ」


 上月が俺の背中を小突いてくる。


 泰然とたたずんでいる松尾さんを見ると、突撃する勇気がなくなってくるな。かまをかけるのはやっぱりした方がいいかな。


 確証があるわけじゃないし、俺たちの予想がはずれていたら大事故になるんだもんな。


 ええい、さっきから何を迷っているんだ。行くとさっき決めたじゃないか。ここで逃げたら男が廃るぞっ。


 行け。間違っていても殺されやしないから、思い切って行くんだっ。


「あの、松尾さん。すみません」


 松尾さんを刺激しないように、そっと近づいて声をかけてみる。松尾さんが全身を向けて俺を見下ろす。


「八神様。どうかされましたか?」

「はい。松尾さんにお聞きしたいことがあるんですけど」

「私にですか? 私にわかることであれば、なんでもお答えいたします」


 ここまではとりあえずだいじょうぶそうだな。後ろの上月に目を向けると、上月が浅くうなずいた。


「あの、立ってるままだと話しづらいんで、椅子に座ってもらえますか?」

「椅子に座ればよろしいんですね。わかりました」


 俺が引いた椅子に松尾さんが素直に腰かけてくれる。とっつきにくいけど、やっぱりいい人だよなあ。


 こんな悪意が一滴もなさそうな人をこれから尋問しないといけないなんて、なんだか気が引けてくる。けど、やるしかないのだ。


 俺と上月も椅子を引いて座ると、音がうるさかったのか、伏せ寝していた妹原と山野が身体を起こした。


「さて、私にお聞きしたいことというのは、なんでしょうか」

「はい。……あの、ずばり聞くんですけど、弓坂のことです」


 弓坂の名前を聞いた瞬間、松尾さんの灰色の眉尻がぴくりと動いた。


「お嬢様のことですか?」

「はい。その、まわりくどい言い方は好きじゃないんで聞いてしまうんですけど、弓坂は本当は無事なんじゃないですか?」


 テーブルの向こうから、「うそっ」と驚嘆する声が聞こえた。たぶん妹原の声だ。


 だが松尾さんの表情に変化はない。黙秘権を行使する被疑者みたいに顔の筋肉を固まらせている。


「なぜそう思われるのですか」

「確固たる証拠があるわけじゃありません。こいつとさっき話して、疑問に感じたから聞いてみようと思ったんです」


 上月は真剣な面持ちで松尾さんを見つめている。


「弓坂が不慮の事故でいなくなってしまったのに、松尾さんたちがあまり焦っているように見えないんで、変だなって思ったんです。本当に事故が起きたんだったら、みんなパニックになってるんじゃないかなって思いまして」


 がたっと椅子を引く音がした。山野がテーブルの向こうからまわり込んで俺たちの正面まで近づいてきた。


「弓坂は弓坂家のお嬢様だ。あの超有名なアーキテクトの社長令嬢だ。そんなあいつが失踪しちまったら大事故ですよね。きっと弓坂の家や警察に電話して、今ごろ大ごとになっているはずです」


 松尾さんは唇を閉めたまま俺の話に聞き入っている。反論する気配は見えない。


「それと、弓坂と松尾さんたちの上下関係はよくわからないので、俺たちの想像が過分に入ってるんですけど、こんな大事故を起こしてしまったら、松尾さんたちは責任をとらされることになりますよね。そうなれば、失礼ですけど、松尾さんたちはおそらく全員クビです。それなのに、みんな焦る気配がない。それが不自然だと感じたひとつ」

「他にも不自然な点があるのか?」


 そう尋ねてきたのは山野だ。俺はこくりとうなずく。


「あとは、昨日からずっと疑問に思っていたんだけど、弓坂はいついなくなってしまったのだろうか。昨日の肝試しの最中に失踪したんだと思われるけど、それにしては失踪を予兆させる物音が何ひとつしなかった。人に連れ去られたりしたら、悲鳴だったり森の茂みの音などがしますよね? それがまったくしなかったのは、どうしてなんでしょうか」

「あっ、それ、わたしも変だなって、ずっと思ってた」


 妹原も俺と同じことを考えていたんだな。


「弓坂と松尾さんたちが俺たちを脅かすために仕組んだことなのだとしたら、それらの疑問はすべて説明がつきます。でも、これはあくまで俺たちの予想だから、本当かどうかはわかりません。だから松尾さんに真実を教えてほしいんです」


 みんなに見られている前で一通りの説明をすることができた。背中の冷や汗の分泌量が半端ないぜ。


 これで大幅な見当違いだったら、俺たちは松尾さんたちに真正面から喧嘩を吹っかけたことになるが、はたしてどうなるか。


 松尾さんは太い眉を少ししかめて俺を凝視している。その表情から不穏な空気を感じずにはいられないが。


 緊張と恐怖で心臓の鼓動がみるみる早くなってくる。やばい。俺たちの検討は、はずれちまったのか!?


 だが次の瞬間、


「はっはっは」


 松尾さんが突拍子もなく笑い出したのだ。部屋中に響かせるような、そして抑揚のない声で。


「よく見ていらっしゃいますね。いやはや、そこまで見抜かれているとは、思いもしませんでした」


 松尾さんが背筋を伸ばして俺の顔を正視する。


「みっともなく大笑いをしてしまいまして、申し訳ありませんでした。こうもあっさり見抜かれていたとは思いもしなかったので、感情が抑えられませんでした」

「じゃあ弓坂は無事なんですか!?」


 気持ちが逸って身体が思わず前に動いてしまう。上月と山野も同じく前のめりになっていた。


 松尾さんが相づちを打つようにうなずく。


「はい。もちろん、お嬢様はご無事です。実は昨夜から別荘に帰っておいでです」

「えっ、そうなんですか?」


 無事な上に、別荘に戻ってきてるだと!? そんな返答は予想していなかったから、心臓がばくばく動いて止まらないぜ。


 しかし、そのわりにはあいつの姿が見えないが、どこかに隠れているのだろうか。


 さっき部屋中の鍵を施錠してまわったから、別荘の中は一通り見ているはずなんだが、弓坂はどこにいるんだ?


 山野も悠然と腕組みして、


「しかし、さっき鍵を閉めに別荘の中をみんなで確認したが、弓坂はどこにもいなかったぞ。どういうことだ?」


 どうやら俺と同じ疑問に行き着いたようだ。


 みんなが一斉に目を向けると、松尾さんはにっと笑った。


「お嬢様には申し訳ありませんが、これ以上皆様を困惑させるわけには参りませんね。案内しますから、皆様は私についてきてください」


 そう言って松尾さんはゆっくりと立ち上がった。

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