別荘から漂う違和感 - 第102話

 上月は俺の寝室の前まで歩いて足を止めた。俺の寝室に用でもあるのか? いや、そんなはずはないな。


 上月は細い背中を俺に向けたまま、


「ねえ、おかしいと思わない?」


 意味不明な同意を求めてきた。


「おかしいって何がだ?」


 とりあえず次の言葉を催促してみる。上月は身をくるりとひるがえして俺を見上げた。


「執事の人たちの態度がよ」


 執事の人たちの態度? どういうことだ?


「松尾さんとかの態度が変だったのか? いつもと変わらないと思うが」

「いつもと変わらないから変なのよ!」


 いつもと変わらないから……?


 お前は一体何が言いたいんだ? 意味がわからないから、俺はきょとんと馬鹿みたいにたたずむしかない。


 そんな様子にこいつはさらにイライラしているみたいだな。


 お前の言葉はいつも唐突だから、言われても意図が理解できないのだ。おかしいと思った理由や経緯を順序立てて説明してくれよ。


 上月は「はあ」と偉そうに嘆息して、いつものように傲岸と腕を組む。


「あんたの少ない脳みそを回転させて、考えてみなさいよ。未玖はここのお嬢様なのよ。そのお嬢様が失踪したら、もっと大騒ぎになると思わない?」

「大騒ぎに……?」

「そうよ。あたしたちはどうしようって、昨日から騒いでるけど、執事の人たちはなんかおとなしすぎるのよ」


 おとなしい、か。なるほど。上月の言いたいことがやっとわかってきた。


 普通だったら、松尾さんたちがもっと騒いでいるはずなのか。


 弓坂はアーキテクトの社長令嬢で、松尾さんや他の使用人の人たちの主だ。その主が、自分たちの過失によって失踪してしまったのであれば、もっと危機感を持っていてもいいはずだ。


 松尾さんは俺なんかよりもずっと大人の人だから、俺たちを動揺させないように平静を装っているのかもしれないけど、それにしてもこの状況下で平静を保っていられるのは、なんというか尋常ではない。


 考えたくはないが、弓坂の身にもしものことがあったら、松尾さんたちはおそらく懲戒処分されちまうんだ。それなのに、なんであんなに冷静でいられるのか。


 もし責任逃れをしようと考えるなら、責任を俺たちに擦り付けようと思うはずだ。しかしその気配もない。


 上月の言う通り、松尾さんたちの冷静さはかなり異常であり、不自然だ。


「たしかに、なんであんなに冷静でいられるんだって感じはするな」

「ね、そうでしょ?」


 上月がドヤ顔で胸を張る。


「まあ、俺たちを動揺させないように、平静を装ってるのかもしれないけどな」

「でもさ、未玖が失踪しちゃったのに、あの人たちは冷静でいられるの? なんか冷たくない?」


 弓坂への情が欠乏していれば、平静でいられるのもうなずけるが。それでも責任逃れをしようとしない理由がわからない。


 がたっと音がして後ろを振り返る。使用人の姿が見えたので、上月を寝室に招き入れる。


 上月に椅子を差し出して、俺はベッドに腰を落とす。もう一度、状況を整理してみよう。


 昨夜に弓坂をくわえた五人で肝試しに行って、現地に着いた後に弓坂がいなくなった。


 弓坂の失踪に気づいて、俺たち四人は松尾さんたちと弓坂を捜索した。三時間くらい粘ったが、弓坂を捜し出すことはできなかった。


 ここでも不可解なことがある。弓坂は具体的にいついなくなってしまったのか。


 車に降りた直後か? それとも橋に着いてしばらく経った後か。


 弓坂の悲鳴が聞こえなかったから、あの場にいただれもが弓坂の失踪に気づけなかったのだ。


 だれかに連れ去られたり、また崖に落ちたりしたら悲鳴を上げるはずだ。悲鳴が上げられなかったとしても、何かしらの物音がするはずなのだ。


 だが、俺は弓坂の悲鳴も物音も一切聞いていない。それは上月や妹原たちも同じはずだ。


 考えれば考えるほど、わからなくなる。弓坂はいつに忽然と姿を消してしまったんだ?


「なあ、上月。妙なことを聞くんだが、弓坂はいつにいなくなったと思う?」

「はあ? 何言ってんのよ。肝試しのときに決まってるでしょ」

「それはわかってるよ。肝試しのいつごろかって聞いてるんだよ」


 俺がしつこく切り返すと、上月は「うっ」と言葉をつまらせる。


「さあ。車から出た後なんじゃない? それと執事の人たちのことと何が関係あるのよ?」

「関係あるだろ。そもそも今の問題は、弓坂がいなくなっちまったことに起因してるんだからよ」


 俺が言い返してやると、上月はぶすっと口をとがらせた。


「昨日から思ってたんだけど、弓坂がいなくなっちまったタイミングがわからなくて、ずっと悶々としてるんだよ」

「でもそんなこと言ったって、どうしようもないでしょ。今考えたって、わかることじゃないし」

「それもそうだが」


 認めたくはないが、こいつの言う通りではある。


「でもなあ、今回のことは、なんか作為的な感じがしてもやもやするんだよなあ」


 答えの出ない難問を考えていたら、頭がだんだんとむずむずしてきた。右手でぼりぼりと掻くしかないか。


 すると上月がはっと表情を変えて、


「作為的?」


 すばやく俺に聞き返してきた。


「作為的って、どういう意味よ」

「あ? そんなこと言ったか?」

「言ったわよ。それ、どういう意味よ」


 知らないうちに変なことをつぶやいていたようだ。


 昨夜から睡眠不足だから、頭の回転がいまいち鈍いんだよなあ。ぐっと伸びをして一呼吸置いてみる。


「なんていうんだろうな。お前の意見を聞いてて思ったんだけど、今回のことは不自然だらけな気がしてならないんだよな」

「不自然?」

「ああ。松尾さんたちの態度にしても、弓坂が消えたタイミングにしても、冷静に考えてみるとなんだか普通ではない。だからどこか不自然で、作為的というか、わざとらしい気がするんだよ」


 今回のことが突発的に発生した事故なのだとしたら、みんながもっと驚いて、冷静になれないくらいにパニックに陥るほどの状況だと思うんだ。


 だけど実際にパニックになっているのは、俺たちだけだ。弓坂は悲鳴を上げていないし、松尾さんもそれほどインパクトを感じていないように見える。


 これがもし仕組まれたことなのだとしたら、すべての違和感に説明がつく――気がする。根拠の乏しい直感だが。


「作為的、か。なるほどね」


 上月が顎に手を当ててうなずく。こいつの頭にも納得のいく何かがあったみたいだ。


「なあ」

「なによ」

「俺たちの方から仕掛けてみないか?」


 そう提案すると、上月が顔をしかめた。


「仕掛けるって、かまをかけるってこと?」

「そうだよ。このままじゃあ埒が明かないから、俺たちで松尾さんを問い詰めるんだよ。あんたら、グルなんじゃないか? ってな」


 松尾さんはダンディズム溢れる大人の人だ。そんな強固な壁を俺たち風情で打ち破れるとは思えないが、この不自然で気味の悪い状況を打開するためには、やるしかない。


 松尾さんにはなんの怨みもないし、もし俺たちの考えが的外れだったとしたら、とんでもない迷惑をこうむることになるが。


 上月も同じことを懸念したのか、眉間に皺を寄せて言った。


「そんなことして平気なの? あたしたちの考えが間違ってたら、とんでもないことになるわよ」

「まあ、そうだな。松尾さんたちの逆鱗に触れて殺されっかもな」

「殺されっかもって、そこまでわかっててハイリスクなことをする人なんていないでしょ。そもそも、あたしたちの考えには確証がないのよ。あんたバカじゃないの?」


 バカじゃないのは過分に余剰だが、その他の言葉は正論だな。


 しかし俺たちの考えが実は正しくて、俺たちが弓坂と松尾さんに騙されているのだとしたら、俺たち四人は相当なお間抜け野郎たちだったということになる。それはそれで、なんだか悔しいんだよなあ。


「そんなにマジ体当たりをしなければいいんじゃないか? このまま何もしないのは微妙だから、松尾さんにちょっとかまをかけてみようぜ」

「軽く聞いてみるだけだったら、いいかもしれないけど」


 聞き分けの悪い子どものわがままに妥協する母親のように上月がつぶやく。


 もとはと言えば、お前が俺に相談を持ちかけたんだからな。お前は道連れになってもらうぞ。


「メインは俺が切り出してやるからよ。お前も付き合えよ」

「しょうがないなあ。ちゃんとやりなさいよ」


 寝不足と疲労で重い腰をよっこらせと持ちあげる。上月も合わせるように立ち上がった。

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