別荘に危険が迫っている!? - 第100話

 上月が淹れてくれたコーヒーを飲みながら、ダイニングの端に置かれているテレビの画面に目を向ける。


 早朝のニュースでは、名前のよくわからない女性アナウンサーがニュースの記事を淡々と読み上げている。抑揚のない声は、質の悪いオルゴールのようだ。


 退屈なのでリモコンを操作してチャンネルを変えてみるけど、裏番組も同じくニュースしかやっていないな。


 教育テレビだけは相変わらずというか、子供向けの独特な世界観のテレビ番組が放映されている。ピンク色の象のゆるキャラと、茶色の犬型のゆるキャラが何やら会話しているみたいだが、これをあえて見るくらいだったらニュースを見ていた方がマシだな。


 なので最初につけていたチャンネルに戻して俺はリモコンを置いた。


 テレビ画面が国会中継の様子に変わって、首相が壇上で演説している姿が映し出される。どうやら憲法改正のニュース記事について現状を読み上げているようだ。


 憲法改正とか、憲法の解釈を変えるとか国会でよく議論に上がっているみたいだけど、憲法を改正したところで俺たち国民にどんな影響があるのか、よくわからないっていうのが本音だよな。どこかの政党は憲法改正を猛反対しているみたいだけど。


 憲法改正の議論をするくらいだったら、電化製品の物価やスマートフォンの通話料を少しは値下げしてほしいよな。そうすれば、このふやけたじゃが芋みたいな顔をした首相の支持率だって安定して、俺たち国民とウィンウィンの関係を維持できるのにな。


 憲法改正のニュースが終わって、名前の知らない女性アナウンサーが次のニュースを読みはじめる。次の記事はどうやら殺人事件のようだ。


 画面下部のテロップには長野県と書かれている。このニュースは、前々から放送されている女子大生の殺人事件じゃないのか?


 じわじわと襲ってきていた睡魔を振り払ってテレビ画面を注視する。画面が長野県の山林に切り替わって、作業服に身を包んだ捜査官を映し出している。


 女子大生を殺害した犯人は未だに逃走中のようで、軽井沢の近辺にも潜伏している可能性が高いそうだ。


 いや、ちょっと待て。画面がまた切り替わって、犯人の逃走経路を示した地図が画面いっぱいに表示されたけど、犯人の潜伏先ってこの別荘のそばなんじゃないのか?


 地図では軽井沢町と書かれた場所に、犯人の潜伏先であることを示す赤のマークがつけられているのだ。


 軽井沢町のどの辺りかまでは明言されていないが、この別荘の近くに凶悪犯が潜んでいると考えられるんじゃないか?


「ちょっと、うそでしょ」


 上月がコーヒーカップを口から放して声をあげる。


「殺人事件を起こした犯人が軽井沢まで逃げてきたなんて、冗談でしょ。何かの間違いよ」

「そんな……」


 妹原が上月のとなりで色を失う。


「犯人がもしこの近くに来ていたら、あたしたちも危ないってこと……?」

「ま、麻友ちゃんっ」


 妹原が恐怖のあまりに上月に抱きついた。


「落ち着け。犯人がこの別荘の近くにいると決まったわけじゃない。悲観的な想像ばかりしてもパニックになるだけだ」


 山野はこんなニュースを見ても至極冷静だが、


「じゃあなによ。殺人犯が近くにいるかもしれないっていうのに、ぼけっと突っ立ってればいいってわけ?」

「いや、そういうことを言いたいわけでは――」

「そんな悠長な考え方をしてて、後ろからぐさってやられたら、どうすんのよ。あんた責任持てんの?」


 上月は寝不足のイライラも相まって山野を捲し上げるが、こいつの主張はごもっともだ。こんなニュースを見て冷静でいられる方がおかしいと思う。


 しかしここで無益な口げんかをしていても埒が明かない。犯人が入ってこれないように、戸締りを確認しておくべきではないだろうか。


 俺が椅子を引いて立ち上がると、上月と妹原がびくっと肩をふるわせた。


「とりあえず、ドアや窓にしっかり鍵がかかってるか、見た方がいいんじゃないか? 用心に越したことはないんだし」

「そうね」


 上月にしては素直に俺の言葉に耳をかたむける。妹原や山野も俺に続いて席を立った。


 四人で手分けして別荘の戸締りを確認する。上月と妹原は、女子三人の寝室がある二階をまかせて、俺と山野は一階を担当する。


 別荘はちょっとした旅館くらいの広さがあるので、扉は玄関の他にもたくさんある。テラスに出るための裏口があったり、キッチンからも外に出られるようにドアが設置されている。


 また部屋の数がそれなりに多いので、窓の数もかなり多い。それらの施錠をひとつひとつ確認していかなければならないのは、意外と体力が必要だ。


 家が広いというのは利点ばっかりじゃないんだな。こういうときになると思い知らされるな。


 だが数十分かけて確認した結果、鍵のかかっていない扉や窓はひとつもなかった。執事の松尾さんや使用人の方々がしっかりと鍵をかけてくれていたみたいだ。お陰で助かったよ。


 確認を終えてリビングダイニングに戻ると、上月と妹原が階段から降りてきた。


「二階の方はどうだ?」

「問題なしよ。鍵のかかっていない窓はなかったわ」

「そうか」


 これで例の犯人に不法侵入されるリスクが回避されたようだ。


 とはいえ不安の芽が完全に摘み取れたわけではない。寝不足だから自分たちの寝室で休息をとりたいが、とてもひとりでいられる気分じゃないよな。


 それはきっと上月や妹原も同じなんだろうから、今日はダイニングで不安な一日をすごすしかなさそうだ。


「しかし妙だと思わないか」


 そんなときだ。山野が腕組みしてそんなことを言い出した。


「何が妙なんだ?」

「この殺人犯の逃走と、弓坂の失踪がかさなっていることがだ」


 なんだって? ショッキングな想定が瞬時に脳裏を過ぎり、俺の思考が急停止しかける。


「もしかして、逃走してる犯人が未玖を攫っていったっていう気?」

「キャア!」


 妹原が恐怖におびえてまた上月に抱きつく。


 とんでもない想像をしているはずなのに、山野は感情を一切面に出さずに、


「弓坂が事件に巻き込まれたなんて、俺も考えたくはないが、不穏な出来事が立てつづけに起きれば、それらに何かつながりがあると思えてしまう」


 自分の素直な考えを歯に衣を着せずに吐露した。


 山野の気持ちはわかる。嫌なことが連続すれば、それらが連鎖して巻き起こっていると考えることに説得力がある。


 弓坂が殺人事件の犯人に連れ去られたと考えると、曖昧だった答えの輪郭がくっきりと形どられてしまう。


 弓坂は、犯人に連れ去られてしまったのだろうか。長野の女子大生を殺害した、凶悪な犯人に――。


 そのとき、扉をノックする音が玄関から聞こえて、胸に杭が打たれたような衝撃が走った。


「だ、だれ……?」


 上月の声がふるえている。妹原に至っては顔面蒼白で、もはや声を出すことすらできていない。


 山野はとっさに椅子を引いて、中腰のような体勢になっている。よからぬ侵入者にそなえているのか。


 こんな朝っぱらに扉をノックするやつは、一体だれなんだ。生唾を呑み込む音が、俺の耳に鮮明にとどいた。

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