眠れない夜 - 第99話
弓坂の別荘へは数十分で到着した。
明かりのついていない別荘の玄関から入って、やっとおぼえだした照明のスイッチに手を伸ばす。壁に取り付けられているスイッチをオンにすると、黄色い光が玄関を照らした。
靴を履いたままリビングダイニングにあがり込んで、ダイニングテーブルから椅子を引っ張り出す。心身ともに疲れ果てているのか、肩が鉛のように重い。
妹原や上月も部屋に戻らず、となりの椅子に腰を降ろしている。ひと言も発さずにうつむいて、テーブルの表面を力なく眺めている。
弓坂の捜索を松尾さんにまかせて俺たちは帰ってきてしまったけど、本当にこれでよかったのだろうか。
一時間以上もかけて橋のまわりを捜索したけど、弓坂は見つけられなかった。
弓坂がいたという痕跡のひとつでも見つけられたら、当てのない捜索に少しは進展があったのだと思うけど、それすら見つけ出すことはできなかった。
そんな状況だったから、俺たちがあのまま橋のそばに残っていても意味がないことは重々承知している。捜索している俺たちの身にも危険が及ぶ可能性があることもわかっている。
けれど弓坂の友人として、あの場はわがままになってでも居残るべきではなかったのか。そんな葛藤が頭の中をずっと渦巻いてはなれない。
弓坂は無事なのだろうか。無事なのだとしたら、今はどこにいるのか。また、どうしていなくなってしまったのか。
まったく予測し得ない出来事だから、わからないことだらけだ。ひとりで考えても答えなんて出ないってわかっているのに、いろいろな考えや予測が湧き出てしまう。
ああ、なんでこんなことになってしまったんだ。こんなことなら、肝試しになんて行かなければよかった。
「弓坂のこと、心配だな」
玄関の明かりしかないダイニングの暗闇に山野の声がひびく。
喉がからからに渇いているのか、山野は意図的に咳払いをして、
「あまり悲観的に考えたくないが、弓坂が無事でいるという気分になれないな」
今の素直な気持ちを吐露する。いつもの無感動な表情で。
そんなことを言われれば、いつもの上月なら「なにネガティブなこと言ってんのよ」と啖呵を切ってきそうだが、
「うん。あんだけ捜してもいなかったんだもんね」
上月はテーブルに突っ伏して、両腕で頭を抱えてしまった。こんなに元気がない上月の姿は珍しい。
妹原は手でずっと顔を隠して、「未玖ちゃん、未玖ちゃん」とか細い涙声でつぶやいている。強く抱きしめて妹原をなぐさめてやりたいけど、そんな下心を出す気分にはとてもなれない。
楽しかったはずの夏休みのバカンスに、こんな不幸が起きてしまうなんて。
過ぎてしまったことは、いくら後悔しても戻すことはできない。それでも戻ってくれたらとしつこく願ってしまう。
非可逆的な時間を巻き戻す魔法や特殊能力があれば、肝試しに行く前の時間に戻ることができるのに――とか、中二病全開な妄想をしてしまうけど、そんな無意味なことを考えたって仕方がないのだ。
常日頃から思うことだけど、時間はなんで巻き戻すことができないんだろうな。わずかな時間だけでも巻き戻すことができれば、過去の失敗や黒歴史を好きなだけ消し去ることができるのに。
そんな有意義でない議題に思考が支配されつつある左隣で、山野が壁掛け時計を見やった。
「もう日付も変わっちまったから、そろそろ部屋に戻って寝た方がいいぞ」
こんな状況でもお前は俺たちを気遣う余裕があるんだな。男として尊敬するよ。
だが山野の気遣いに従うやつはいない。上月はテーブルに突っ伏したまま、
「なら、あんたひとりで戻れば?」
頭をぴくりとも動かさないで返答する。身体を起こす気力すら沸かないみたいだ。
妹原もしくしくと泣いたまま体勢を変える素振りは見せない。あんなことが起きた後じゃあ、ひとりで部屋に戻りたくなくなるよな。
俺は椅子の背もたれにもたれかかって、なんとなく天井を見上げる。白いコンクリートの天井があるはずだけど、照明が届かないから暗くて何も見えない。
部屋に戻ったって、どうせ寝られないよな。俺はだらしない体勢で長嘆した。
「今日はもう寝られないから、無理に戻らなくてもいいんじゃないか? そもそも部屋に戻る気力がないし」
「しかし、休養をちゃんととらないと身体をこわすぞ。それでもいいのか?」
山野はプロ野球チームの監督のようなことを言うが、ならお前が戻ればいいだろ。
「一日くらい徹夜したって身体はこわれないだろ。心配する必要なんてないぜ」
「し、しかし」
「お前は戻りたかったら、戻ってもいいんだぞ。俺たちに無理に合わせる必要はないからな」
そう返すと、山野はいつもの無表情面で「はあ」と嘆息した。それ以上言葉をつづけなかった。
* * *
ダイニングでほとんど会話もないまま無為に時間が流れて、その日の夜が明けた。
夜中の三時頃になるとさすがに眠くなってきて、テーブルでうとうとしたり、意識がふっと途切れることもあったけど、一応徹夜したことになるのだろうか。
上月や妹原も俺と同じだったのだろう。となりからすやすや寝息が聞こえてたからな。
山野だけは身体を起こしたまま、体勢をほぼ変えずにいたけど、こいつは寝るときまで石像みたいに固まる習性があるのか?
いや、そんなどうでもいいことに脳内のシナプスを浪費している場合ではない。夜が明けて意識が覚醒してくると、じっとしていることに退屈さを感じはじめてきた。
がたっと椅子を引いて立ち上がると、上月と妹原が少し驚いたのか、俺を見上げてきた。
何もしていないのは暇だから、テレビでもつけようと思っただけなんだけどな。
寝不足の重い身体を引きずってテレビのもとへと向かう。すると、椅子を引く音が後ろから聞こえた。
「コーヒーでも淹れよっか」
どうやら上月が動いたみたいだ。
「あ、じゃあ、わたしも手伝う」
「いいよ。ひとりでできるから。雫はそこにいて」
「うん」
妹原も手持ち無沙汰だったみたいだ。
テレビのリモコンがテレビスタンドの上に置いてあったので、テレビの電源を付けがてらリモコンを拾って椅子に戻る。
妹原は所在なげに俺の顔をまじまじと見上げている。その目は赤く腫れていて、少し痛々しく感じる。
一方の山野は腕組みをしたまま、頭をふらふらさせている。身体を起こしたまま寝入ってやがるんだな。器用な男だ、というかひねくれた野郎だな。
眠いんだったら部屋に戻って寝てくればいいのに。でもまあ、こいつはこいつなりに俺たちに気を遣ってくれているんだよな。
意識が途切れて重い上体が前のめりにたおれそうになる。すると山野は椅子をがたっと動かして、
「む、悪い。一瞬だが意識がなくなってしまった」
意味もなく強がるものだから、俺と妹原は堪えきれずに笑ってしまった。
「別に無理して起きてなくてもいいんだぞ。そういう我慢大会をしてるわけじゃないんだし」
「そうだよ。今からでも遅くないから、部屋で寝てきた方がいいよ」
俺と妹原が勧めてみると、山野はメガネの縁を右手でさすって、
「いや、もう眠くないから平気だ。上月が淹れたコーヒーでも飲んで仕切り直そう」
そう言って立ち上がり、ふらふらした足取りでトイレへと向かっていった。俺は妹原と顔を見合わせて、また笑ってしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます