彼女の消息は

弓坂が、消えた - 第98話

「弓坂っ、弓坂あ!」

「未玖、どこに行ったの!? 返事してっ」


 心霊スポットの前で異例の弓坂の大捜索がはじまった。


「未玖ちゃんっ」

「弓坂っ、どこだっ」


 山野や上月といっしょに叫んでみるが、弓坂からの応答はない。妹原ですら怖さを忘れて弓坂を探している。


 こんなことは考えたくないが、弓坂はこの橋に取り憑いている地縛霊に引き摺り込まれてしまったのか。


 橋の悪霊に呪われてしまったのだとしたら、十中八九橋の下に落とされてしまったのではないか。けれど、ここに来て弓坂の悲鳴は聞かなかったぞ。一度たりとも。


 安易に幽霊の仕業にしないで、状況をまずは整理しよう。


 俺たちは別荘からこの橋まで、松尾さんと長内さんが運転する車で移動してきた。その車に弓坂もしっかりと同乗していたことを俺は目撃している。


 車が橋の近くに着いて、前に停車した松尾さんの車から弓坂は降車していた。それは上月たちも見ているはずだ。


 その後だ。記憶が曖昧なのは。


 県内でも有数の心霊スポットだから、俺は弓坂のことを見ている余裕なんてなかった。というか、弓坂がいなくなってしまうことなんてまるで想定できていなかったから、弓坂の存在を確認する意識がそもそも欠如していたのだ。


 山野たちだってきっと同じはずだ。だから今になって血眼になって探しているのだ。


 橋の向こうへは進めないので、橋の手前の道や森に懐中電灯の光を当てて捜索する。が、弓坂の姿が照らし出されることはなかった。


「皆様、どうかされましたか」


 俺たちの叫び声に気づいたのか、松尾さんが落ち着き払った素振りでやってきた。


 弓坂がいなくなってしまっただなんて、弓坂家の関係者である松尾さんには言いづらい。しかし正直に話さなければならない。


「それが、弓坂の姿が見えないんです」

「姿が見えない?」


 松尾さんは反問して、俺の意図を汲み切れていない様子だったが、はっと口を少し開けて、


「もしや、お嬢様が行方不明になられてしまったのですか」


 大人の松尾さんもさすがに動揺したみたいだ。


「お嬢様はいつごろいなくなられてしまったのですか」

「わからないです。俺たちが目をはなしているうちにいなくなってしまったんです」


 それでも松尾さんの対応は落ち着いている。冷静に俺から話を聞いて状況を分析しようとする。


「それでは、橋に向かっている最中か、橋を見ている隙にお嬢様はいなくなられてしまったのですね」

「はい。申し訳ありません」

「いえ、八神様は何も悪くありませんから、八神様が謝られる必要はございません。私めの管理がしっかりしていなかったのがいけなかったのです」


 松尾さんは両手を身体につけて頭を深々と下げてくれる。そんな丁重に扱われると逆に萎縮してしまうんだが。


「しかし妙ですね。お嬢様が何かのトラブルに巻き込まれたのだとしたら、お嬢様の悲鳴が聞こえてもおかしくはないと思うのですが」

「そうですね。俺もそう思います」

「それにこの付近には、わたしたち以外に人がいません。それなのに、一体なんのトラブルに巻き込まれてしまわれたのか。皆目検討がつきません」


 松尾さんと話しているうちに山野たちが森の奥から戻ってきた。


「弓坂はいたか?」

「いや、ダメだ。向こうの方まで探してみたが、弓坂はいなかった」


 山野はいつも通りの無表情面で報告するが、顔に汗が少し出ている。


 上月と妹原も数秒遅れて帰ってきた。


「どう? 透矢。未玖は見つかった?」

「いや、まったくだ。お前らの方はどうだ?」

「そんなの見ればわかるでしょ。全然見つからないわ」


 上月の憎まれ口を今は気にしている場合じゃないな。


 長内さんがおもむろに橋へと近づいて、橋の下を覗き込む。この暗闇でサングラスなんてつけていたら何も見えないはずだが、迂闊に突っ込みを入れたら豪腕でラリアットされそうだ。


 その後も松尾さんや長内さんと協力して弓坂を捜索した。だが一時間くらいかけても弓坂を捜し出すことはできなかった。


「どうしよう。未玖ちゃんがこのまま見つからなかったら、わたしたち……」


 妹原が手で顔を覆ってすり泣く。鼻水をすする音が夜中の静寂に消えてゆく。


 上月が妹原を優しく抱擁する。


「雫。泣かないで」

「でもっ、でもっ……」

「未玖は絶対に無事だから。すぐに見つかるから」


 上月は妹原を強く抱きしめながら涙をこらえている。そんな悲痛な姿を見ていると俺の涙腺もゆるくなってしまう。


 松尾さんが左腕の腕時計を見やって、


「予定よりもかなり遅くなってしまいました。皆様はそろそろ別荘へお戻りください」


 いつもの落ち着き払った感じで言ったものだから、俺たち四人は驚いて松尾さんの顔をまじまじと見上げてしまった。


「遅くなってって、弓坂が見つかっていないのに、別荘に戻ってもいいんですか?」

「はい。お嬢様の捜索はわれわれが引き受けますので、皆様は別荘へお戻りください」


 自分たちに後はまかせてくれということか。しかし俺たちが悪いのに、松尾さんたちにすべてをまかせてしまってもいいのか?


 俺が山野を見やると、山野はこくりとうなずいて口を開いた。


「弓坂がいなくなっちまったのは、俺たちに責任があるんです。だから、俺たちもいっしょに弓坂を捜します」

「いけません。もう夜も遅いですし、何よりここは危険な場所なのです。そんな場所に何時間も皆様を残すわけには参りません」

「し、しかし――」

「お嬢様のことは心配ありません。われわれが総力をあげて捜索いたします。ですから、皆様はどうか別荘へお戻りになり、疲れた心身を静養なさってください」


 松尾さんが両足のかかとをぴたりとつけて、背筋をびしっと伸ばして頭を下げる。こんな慇懃いんぎんに頭を下げられたら、これ以上異論をとなえることなんてできない。


 松尾さんの言い分としては、おそらく俺たちまで行方不明になってしまうことを恐れているんだと思う。だからそうならないように、自分たちだけで弓坂を捜索したいのだろう。


 それはすごく合理的で大人な考えだと思う。だけど、どこか冷たい感じがしてしまうのはなぜだろうか。


 とはいえ、ここで俺たちが駄々をこねていたら無駄な時間を浪費してしまう。仕方なく俺たち四人は長内さんの運転する車に乗り込んだ。

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