今度はテニスで妹原と急接近! - 第90話

 いろいろと複雑になってきた人間関係のもつれの果てに、妹原とふたりでテニスをすることになった。


 今日も朝から幸運の女神が舞い降りて、脳天から俺の想いやら正直な気持ちが活火山のマグマみたいに噴火してしまいそうだ。


 だが妹原にこんな赤裸々な気持ちを知られてはいけない。


 もっと冷静になるんだ、八神透矢。そう、執事の松尾さんや長内さんみたいに、落ち着き払った大人の振る舞いで妹原をリードするのだ。


 俺は口に手を当てて、こほんと咳払いした。


「じゃあ妹原。俺たちもさくっとシングルでテニスでもしようか」

「うん」


 本当はさくっとじゃなくて、妹原とのラブラブペアでがっつりテニスがしたいが、そんな熱すぎる想いを禁断の魔法で封印する。


 意味のわからない比喩表現は置いておいて、妹原とネットを挟んでふと思った。テニスのルールとかラケットの振り方がまったくわからないな。


 妹原もおそらくテニスについて何も知らないんだろうから、ふたりともテニス初心者だけど、このままゲームをはじめてもだいじょうぶなのか?


 山野たちみたいにテニスを真面目にやりたいわけじゃないから、ぐだぐだな試合になっても俺たちはかまわない。しかし、ゲームとして成立しないものを現役高校生のふたりがやるのは、いかがなものだろうか。


 フェンスのそばで、執事の松尾さんが昨日と同じく黒いスーツに身を包んで立っている。今日の日中も炎天下になると天気予報で言っていたけど、黒の長袖なんか羽織って暑くないのだろうか。


 松尾さんは人生経験が豊富だろうから、テニスのルールなどもきっと知っているはずだ。俺は松尾さんに頼んで、テニスについていろいろと手ほどきしてもらった。


 テニスの初歩的なルールと、アンダーサーブやボールの打ち方を三十分くらい教わって、


「それじゃあ、妹原。いくぞ」

「う、うんっ」


 かなり緊張しながら妹原にサーブをわたした。山野のオーバーヘッドサーブが兎だとすると、どん亀のようなゆるゆるサーブだ。


 妹原も相当緊張した面持ちで、全身をふらふらさせながらボールにアプローチする。そしてラケットを両手で振って、ボールを打ち返した!


「あっ、できた」


 妹原の強張った顔が少しほぐれる。


 妹原のレシーブが成功して嬉しい反面、きっと空振りするだろうと高を括っていたから、俺の気持ちがレシーブする方向へと向いていないぞ。


 レフトサービスコートの後方というなかなかいい場所に打ち返されたボールは、バックハンドで打たないと妹原に打ち返せない。さっきの松尾さんの講習にバックハンドの練習なんてなかったぞ。


「くっ!」


 懸命にボールに近づくが、一度もやったことのないバックハンドはボールに当たらない。ラケットが虚しく斜め上の空を切った。


「入った!」


 レシーブが成功して、妹原がその場でぴょんぴょんと飛び跳ねる。かなりかっこ悪い空振りをしてしまったけど、妹原が喜んでくれたからよしとするか。


「妹原様、お見事です。八神様も、妹原様を気遣った素晴らしいサーブでしたぞ」


 審判台の横にいつの間にか移動していた松尾さんも祝福の言葉をかけてくれる。レシーブに失敗した俺まで褒めてくれるなんて、この人はやはりおもてなしのプロだ。


「とりあえず、一セット取るまでやろうか」

「うん!」


 一セットの決着がつくまではサーブ権が移動しないので、気を取り直して妹原にサーブを送る。さっきのレシーブで自信が少しついたのか、妹原の動きが生き生きしてきた。


 だが俺だって何度も空振りするわけにはいかない。センターサービスラインに打ち返されたボールをアプローチして、フォアハンドでしっかりと打ち返す。


 硬式の硬いボールがコートの左側へと流れる。ライトサービスコートの後ろでじっとしていた妹原は慌ててボールを追ったが、追いつくことはできなかった。


 こんなレベルだったから、ラリーになんてなることはなく、そもそもゆるいサーブでサービスエースが取れてしまうくらいのゲームだったけど、二セットまでゲームして、お互いが一セットずつをとる結果となった。


「お疲れ様でした。今日も暑いですから、無理をなさらずに休憩してください」


 松尾さんがタオルとスポーツドリンクを持ってきてくれる。俺や妹原よりもはるかに暑苦しそうな格好をしているのに、顔には汗ひとつかいていないぞ。


 松尾さんがちゃんと水分を補給しているのか少し気になるけど、そこはおそらく大人だから、自分の体調管理はしっかり行っているんだろうな。


 松尾さんのことはさておき、俺は妹原と並んで奥のテニスコートへと目を向ける。山野と上月の頂上対決はさっきよりも白熱しているみたいだ。


 けれど、そんな間抜けで無意味な対決よりも、今は弓坂の様子が気になって仕方がない。弓坂はコートのそばでふたりのマジ対決を観戦しているみたいだ。


「未玖ちゃんは、山野くんのことが好きなのかな」


 妹原が不意にそんなことを口走る。俺の心臓がどきりと飛び出そうになる。


「さあ、どうだろうな」


 弓坂の純粋な想いを俺の口からばらしてはいけない。けど、嘘なんてつけるタイプじゃないから、唇がひくひくとふるえてきたぞ。


「未玖ちゃんは、お昼のときとか、山野くんといつもいっしょにいるんだもんね。山野くんのことが好きになってもおかしくないなって思うけど」


 お昼のときは俺も弓坂といっしょにいるんだけどな。俺のことが好きだという発想にはならないのだろうか。


 いや、そんな発想になるわけはないか。俺は桂や木田よろしくのダメンズだからな。あまり調子に乗ってはいけない。


 俺のくだらない増長はテニスコートの端に追いやって、妹原は山野のことをどう思っているのだろうか。すごく気になる。


 ここで聞いて、もし山野のことが好きだと告白されたら、俺は今すぐに荷造りして実家に帰らなければいけなくなるが。


「妹原は、山野みたいなやつは、好きじゃないのか?」


 聞くのがかなり怖いけど、ふるえる心を叱咤してつぶやいてみる。顔に心なしか熱を帯びているような気がする。


 妹原は、口を止めて山野のことをじっと見つめていた。その表情は、恋焦がれる女子というより、遠くの情景を茫然とながめているように見える。――俺の贔屓目ではないと断言したいが。


 そして、不意にくすりと苦笑して、


「山野くんは、かっこいい人だなって思うけど、少し近寄りがたいから。ふたりでいたら、きっと何もしゃべれないと思うし」


 思いの丈を素直に打ち明けてくれた。どきどきしていた胸が落ち着きをとり戻していく。


「山野くんは、麻友ちゃんみたいにスポーツのできる子や、もっとおしゃべりな人が好きなんじゃないかな。山野くんは静かな人だから、わたしみたいな暗い子はきっと合わないと思う」


 そうなのか? 俺は山野の好みのタイプなんて考えたことがなかったから、どんな子が好きなのかわからないけど。


 妹原って自分からしゃべるタイプじゃないから、俺たちのことなんて見向きもしていないように見えるけど、意外とよく見てるんだよな。


 俺と上月の関係だって、入学して早々に看破していたみたいだし。なんでそんなに正確に見抜けるのだろうか。


「あ! 麻友ちゃんみたいにって言ったけど、麻友ちゃんと山野くんが付き合うことはないから、安心してねっ」


 ……俺の想いだけを除いて。


 俺が傷ついたと勘違いして、妹原が俺の両腕をつかんで弁明する。


 俺は上月のことが好きじゃないと、もう十回くらいは言ってるんだけどな。


 妹原の手が触れて、心臓がまた肋骨から飛び出しそうになったけど、このまま黙っていると妹原の主張を肯定したことになってしまう。俺は妹原の手をはなして、いつも言っている言葉で上月への想いを否定した。

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