弓坂と山野がやっぱり気になる - 第89話

 今日は別荘のとなりに併設されたテニスコートでテニスをするみたいだ。


 軽井沢でテニスというと、いかにも金持ちの娯楽っていう感じがするけど、そんな安っぽいことを考えるのは俺だけか?


 テニスラケットとウェアは弓坂が貸してくれるみたいだ。着替えるのが面倒だから、俺は自前のシャツとジーンズでかまわないが。


 白の薄いTシャツとハーフパンツに着替えて部屋を出る。


 シャツは無地だけど、布地をつまむと指がつるりとすべる。こんな何気ない感じでも、きっと一万円以上もする高級品なんだろうな。


 部屋の前でシャツに辟易していると、となりの部屋の扉ががちゃっと開いた。青の横縞よこじまのポロシャツに着替えた山野が出てきた。


「八神。何してるんだ?」


 俺の間抜けな顔を見て山野がつぶやく。


 山野は今日も縁ありのメガネをかけている。少し冷たそうな顔の印象が、メガネのお陰で柔らかそうな感じになっている。


 長くなった前髪は額の真ん中で左右に分けて、両サイドの髪にはヘアワックスか何かをつけて爽やかな無造作ヘアに仕上げているな。


 髪を伸ばすにしても、ダメンズの桂と違って山野はどこかおしゃれなんだよな。髪の成長速度は大して変わらないはずなのに、どこに違いがあるのだろうか。


 しかもよく見ると、眉毛がきりっと鋭い感じに整えられているぞ。俺は何も手入れしていない普通の地味な眉毛なのに。


 さらに身体に香水でもつけているのか、プールミントの爽やかな香りがしてくるぞ。


 これまでは山野の外見なんて小さじ一杯ほども気にしていなかったけど、朝食のときから気になって観察してみると、女子にモテるポイントであふれているような気がする。


 くっ、これが弓坂からひそかに好意を寄せられている勝ち組男子の自信だというのか。妹原はおろか、女子のだれからも好かれたことがない俺にとって、今日の山野は眩しすぎるぜ。


「どうした? 八神。俺の顔に何かついてるか?」

「別に」


 怪しむ山野に背を向けて、外のテニスコートへと向かう。


 頑丈なフェンスに覆われた場所にテニスコートは三面も敷かれている。審判が座るあの梯子みたいな椅子もちゃんと用意されているから、わりと本格的にテニスすることができるみたいだ。


 妹原たち女子三人が少し遅れてやってきて、執事の松尾さんからテニスラケットを受け取る。三人とも裾の短いミニスカートに着替えている。かなり色っぽい姿だ。


 今日もプールに入ると思っていたから、内心少し――いやかなりがっかりしていたけど、女子のテニスウェアって意外ときわどいデザインだったんだな。知らなかったよ。


 あんな高校の制服のミニスカートくらいの丈しかないものを穿いて動きまわったら、裾が何度もめくれ上がってしまうんじゃないかと思うけど、その辺の性的な視線もカバーできるつくりになっているのだろうか。


 とても下品でくだらない邪推をしている後ろから、山野がテニスラケットをもって上月に近づいていく。


「上月。シングルで対決でもしないか?」


 なにっ。昨日のプール対決に懲りずにまた上月と対戦したいのか?


 弓坂とおしゃべりしていた上月も、今日の提案には難色を示した。


「ええっ、昨日、プールで対決したばっかりじゃない。またやるの?」

「普通にテニスしてたってつまらないだろ? 別にいいじゃないか」

「似たような台詞を昨日も聞いた気がするけど」


 上月はいかにも面倒くさそうに不満を言って山野の誘いを拒否していたけど、山野が「負けるのが怖いのか?」と挑発すると、バカみたいに奮起し出した。


「今日は負けた方が缶ジュース一本奢りだからね」

「オーケー。その方が張り合いがある」


 手をぱきぱきと鳴らして勇躍する上月を連れて、山野が一番奥のテニスコートへと消えていく。あいつ、上月の扱いがうまくなったな。


 あいつらは今日も無意味な対決で神経を無駄にすり減らすのか。バカなやつらだなと内心呆れながら見ていると、となりから「ああっ」とか弱い悲鳴が聞こえてきた。


 俺の横で顔面蒼白になっているのは、弓坂だ。山野と上月がテニスコートの両端に立っているのを見て、しどろもどろになっている。


 そして俺のシャツの裾を急につかんで、


「ヤマノンはっ、麻友ちゃんのこと、好きなのかなぁ」


 藁にもすがる感じで言った。


「いや、単に対決したいだけだと思うけど」

「でも、でもっ、昨日も、ふたりで楽しそうにしてたしっ」


 山野と上月がふたりでいるのが、弓坂は心配でならないようだ。


 これが男に恋焦がれる女子の姿なんだな。弓坂の挙動不審な姿を見て思った。


 俺は、山野と上月が間抜けな対決をしていても、一ミリも感情の起伏が変化しないけどな。山野の性格は、これまでの付き合いで大体把握しているし、上月の想いも入学当初に聞いている。


 山野と上月が付き合う可能性は、おそらく俺と妹原が付き合う可能性と同じくらい低い。かぎりなくゼロパーセントに近いはずだ。


 それでも弓坂にとっては、山野が別の女子とふたりでいることは由々しき事態なのだ。


 山野と上月の無意味なテニス対決がどうやらはじまったみたいだ。山野がプロ顔負けのオーバーヘッドサーブでボールを打ち込む。


 ボールの芯を打ち抜く軽快な音がテニスコートに響くのと同時に、超高速のサーブが上月に容赦なく襲いかかる。


 しかしそれを上月があっさり打ち返して、ハイレベルのラリーの応酬がはじまった。


 ふたりともバックコートでボールをレシーブしながら、相手の隙を伺う。そして上月がバランスをくずしたところで山野がサービスコートへと踏み込み、強烈なスマッシュを決めた。


 あいつらの運動神経が抜群で、きっと学校内でもトップクラスの運動能力を誇るんだろうというのは、この数ヶ月で充分に理解しているつもりだ。


 けどな、ひとつだけ言わせてもらいたいのは、お前らはテニス経験者なのか? 運動神経が優れているというだけで、あんな超高速なサーブを打つことができるのか?


 もうなんていうか、運動神経が抜群というレベルを三十くらい超えている気がするんだが。それは俺の思い違いなのだろうか。


「ふたりとも、すごいね」


 ほれ見ろ。俺の左斜め後ろにいる妹原だって、ぽかんと口を開けて絶句しているじゃないか。いたって平凡な運動能力しか持たない一般人の俺たちには刺激が強すぎるんだ。


 俺たちが呆れていることなんて知らずに、山野がまた強烈なオーバーヘッドサーブを打ち込む。上月は野生の猫のような鋭いまなこでボールの軌道を読んで、テニスラケットを豪快に振り払う。


 上月のアウトすれすれのレベルの高いレシーブを山野が拾って、またプロ顔負けのラリーがはじまったが――これ以上は描写するのが面倒だな。あいつらの好きにさせておこう。


「妹原。俺たちは、こっちでのんびりやろうか」

「うん」


 妹原もどうやら山野たちの間に入れないと悟ったようだ。


 一方の弓坂は、ふたりの真剣勝負を違う見方でじっと見つめている。俺と妹原のことなんて見えてすらいないようで、ふたりの――いや山野の姿に釘付けになっているみたいだ。


 山野と上月が結ばれることは、地球外生命体が発見される確率よりもたぶん低いんだから、何も心配する必要はないっていうのにな。やれやれ。


 仕方なく弓坂に言った。


「弓坂は、向こうに行っていてもいいんだぞ。俺たちは、こっちでのんびりやるから」


 そのひと言で妹原も何かに気づいたのか、テニスラケットを両手で抱えてうなずく。


「そうだよ。わたしたちのことは、気にしなくていいから」

「えっ、でもぉ」


 弓坂は、俺と妹原を交互に見やって、どうしようか対応に困り果てていた。けれど、やがてとぼとぼと歩きだして、山野たちのいるテニスコートへと向かっていった。

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