軽井沢へ - 第78話

 そして八月上旬の、旅行の出発の朝。


「麻友ちゃん。八神くん。おはよう」


 東京駅の混雑したホームで手を振ってくれたのは、妹原だった。山野と弓坂も大きなバッグを持って待っている。


「おはよう」

「ちいーっす」


 俺と上月は眠たい眼をこすって挨拶する。今は午前中の八時五十分だから、いつもより早起きで眠たいのだ。


 軽井沢は東京じゃなくて、長野県にあるようだ。となりの群馬県との境にあるので、車と高速道路を利用すれば、都心からでも割と簡単にアクセスできるらしい。


 車なら弓坂に頼めばすぐに出してもらえるが、それは嫌だと山野が言い出した。車で行くのだと家族旅行みたいになるからだ。


 その意見はもっともで、上月や妹原も電車をつかうことに賛成した。だから、朝から東京駅のホームで待ち合わせることにしたのだ。


 つかう電車は長野新幹線だ。電車系のアプリケーションで乗車時間を調べると、一時間ちょっとで軽井沢駅に着くらしい。


「ああ、眠っ」

「眠いよねぇ」


 肩をだらりと下げている上月を見て弓坂が苦笑する。


 今日の弓坂は、桜色のひらひらとしたカーディガンを羽織り、下はデニムのショートパンツを穿いていた。ショートパンツの裾から白人女性のような生脚がすらりと伸びている。


 インナーは黒の薄いシャツで、足に穿いているのはやはり黒のヒールだ。私服姿の弓坂を改めて眺めると、かなり大人びたプロポーションだ。


「わたしも朝早かったから、ちょっと眠いかも」


 弓坂のとなりで苦笑する妹原も、またおしゃれな私服姿だった。


 妹原が穿いているのはミニスカートっぽい感じだが、あれもおそらくショートパンツだ。ふりふりの布地がついた、キュロットパンツっていう名称だったかな。


 最近はミニスカートっぽいデザインのショートパンツをよく見かけるけど、今年の流行なのだろうか。


 脚には黒のストッキングをつけて、生脚は残念ながら隠れてしまっている。けれど黒のストッキングも、生脚に負けない魅力があるよな。


 上半身に着ているのも、ふりふりの生地がついたシャツで、全体的にキュートなコーディネートだった。妹原はきっと可愛い系の服やコーディネートが好きなんだろうな。


 残る上月は純白のワンピースに、高原のお嬢様風のつば広の帽子をかぶっているが、こいつの描写はいいか。いつも見てるんだから。


「それじゃあ、そろそろ出発するか」


 山野が新幹線の乗車券を見ながら声をあげる。


 妹原や弓坂は眠たそうにしているのに、こいつだけはいつもの無表情キャラだな。こんな朝っぱらから自分のキャラクターを貫いているなんて、お前はなんてストイックなやつなんだ。


 高そうなジーパンを穿いて、全体的にチャラチャラした印象なのに、中身はだれよりも職人気質で硬派なんだな。友人として見直したぜ。


 それはともかく、俺もバッグから乗車券をとり出して時間を確認する。新幹線の出発時間は九時三十分だった。


 駅の構内にあるコンビニで缶コーヒーと朝食のサンドイッチを買って、新幹線の改札を通過する。新幹線に乗るのは、中学校の修学旅行でつかって以来だ。


 新幹線が来るまでまだ少し時間があるので、待合室に入って待つことにする。女子たちの話に聞き耳を立てながら待っていると、定刻になって新幹線が到着した。


「新幹線なんて、乗るの修学旅行以来だね」

「あたしもぉ」


 考えていることはみんな同じようだな。


 九号車に乗り込んで指定席へと移動する。三人掛けの座席を前後で予約してある。


 前の座席を回転させて、五人で向き合えるように調整する。後ろの座席を上月たちに譲って、俺と山野は前の座席に座った。


 乗客が腰を落ち着かせた頃合に、新幹線が音を立てずに出発する。窓際の座席には山野と弓坂が座っている。


 俺は真ん中の席にいるが、正面に座っているのは妹原だ。席は適当に選んだので、断じて狙っていたわけじゃないが、朝からなんという幸運なんだ。


 こんな間近で、しかも正面から妹原をずっと眺めていられるなんて、ああ。幸せすぎて早くも昇天しちまいそうだ。


 新幹線の乗車時間はたったの一時間だけど、このまま北海道でも九州でも、どこまでも乗っていたい気分だ。


「なんだかピクニックに行ってるみたいだね」


 妹原が窓から流れる景色を眺めて嬉しそうに微笑む。その控えめな笑顔が見れて、俺も幸せさ。


「お弁当でもあったら、本当にピクニックみたいだったんだけどなあ」

「駅弁とかぁ、買っておけばよかったねぇ」


 弓坂の言葉に妹原がうなずく。山野が窓枠に肘をついて言葉をつなげた。


「さっきコンビニで朝飯のおにぎりやサンドイッチを買っただろ。それでも食べればいいんじゃないか?」

「そうだね」


 俺も腹が減ってきたから、さっき買ったサンドイッチを食べよう。


 新幹線で向かい合わせに座って、妹原や弓坂と楽しくおしゃべりができて、旅行ってこんなに楽しいのか。俺のちんけな予想をはるかに超えている。


 中学校のむさ苦しい修学旅行とは大違いだ。


 修学旅行のときなんて、同中の木田や小早川など、暑苦しい男連中に囲まれて散々な旅行で終わったからな。新幹線の中で騒いでいたから、先生に説教までされたし。


 けどそんな、非リア充の世界とついにおさらばできるんだ。


 今の俺の前に座っているのは妹原で、弓坂もとなりでほんわかとした笑顔をふりまいている。上月は、どうでもいいけど、女子といっしょの旅行って、こんなに華やかなのか。


 俺が食べているのは、なんの変哲もないコンビニのサンドイッチだけど、うまい。今日は涙が出てくるほどうまいぜ。


 しかし妹原をずっと視姦していたら、間違いなく気持ち悪い男だと思われるので、適度に視線を上へと逸らすしかない。自動扉の上には、案内用の電光掲示板が設置されている。


 だいだい色の発光ダイオードで書かれた文字が右から左へとスライドしている。どうやらニュースの記事を一文で紹介しているようだ。


 記事の内容は、一昨日に起きた女子大生の殺人事件の容疑者がまだ捕まっていないというものだ。


「そういえば、長野のどこかで殺人事件が起きたんだよな」


 俺がつぶやくと、通路側の席で梅干しのおにぎりを食べていた上月が見上げてくる。


「それって、女子大生が殺された事件のこと?」

「ああ、それだよ」


 言葉をつづけると妹原や山野も俺たちの方を見てきた。


 昨夜のニュースで見かけただけなので、俺も詳しいことはよくわからない。殺されたのは、長野の住宅地に住んでいた女子大生のようだ。


 被害者の遺体が発見されたのはその人の自宅で、女性は一人暮らしをしていたらしい。


 発見者はだれだか覚えていないけど、遺体は全身を包丁で滅多刺しにされていたようだ。


 容疑者は元交際相手の無職の男で、財布や物が盗まれていないことから、交際のもつれから発生した怨恨が原因だと警察はみているらしい。


 上月はおにぎりを食べ切ってから眉根を寄せた。


「犯人はまだ捕まってないんでしょ。早く捕まってほしいよね」

「そうだよな」


 容疑者の男は長野県内を逃亡中のようで、詳しい足取りがまだつかめていないらしい。他県に逃げた可能性もあるみたいだが。


「まあ直に捕まるから、心配しなくても平気だろ。俺たちには関係ないし」

「いや、八神。そうでもないぞ」


 山野が横から口を挟んできた。


「そうでもないって、なんでだよ」

「ニュースをちゃんと見ていなかったのか? その事件が起きたのは軽井沢の近くなんだぞ」

「えっ、マジ?」


 衝撃のひと言にみんなが軽くどよめいた。


 ポケットに入れていたスマートフォンを取り出して、WEBブラウザをすぐに立ち上げる。


 殺人事件の記事を検索して内容を確認すると、死んだ女子大生の自宅は軽井沢の近くだった。他市ではあったが。


「軽井沢のそばで事件が起きてたなんて、だいじょうぶかな」

「怖いねぇ」


 妹原や弓坂が不安がるのはもっともだ。俺だって軽く驚いているし。


「俺たちが巻き込まれるとは思えないが、その事件だけは危険だからな。注意しておいた方がいいだろう」

「うん」


 注意すると言っても、俺たちはまわりに気をつけることくらいしかできないが。


 楽しい旅行に思わぬところから水を差されてしまった。この暗い影がこれ以上大きくならなければいいが。

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