弓坂家の激シブ執事登場 - 第79話

 その後はコーヒーやジュースを飲みながら、楽しくおしゃべりをつづけた。


 しゃべるのは主に女子三人で、俺と山野はほぼ聞き役に徹していたけど、女子ってしゃべるの好きだよな。


 カフェでしゃべっているときなんかもそうだけど、会話が次々と矢継ぎ早に繰り広げられて、それが延々とつづいているのだ。


 放っておけば二時間でも三時間でもしゃべりつづけているんだろうけど、そんなにしゃべっているのにどうしてネタが尽きないのだろうか。俺には理解できない問題だ。


 そうしている間に新幹線が軽井沢へと到着した。


 荷物を上の荷物棚から降ろして、降りる乗客の列に並んで新幹線から降車する。プラットフォームの空気が心なしかひんやりとしている。


 前を歩く観光客の流れに沿って、近くのエスカレーターへと乗り込む。観光客の数は思っていたよりもはるかに多い。


「けっこう、混んでるねぇ」

「そうだな」


 俺たちの最後尾を歩く弓坂も、観光客の多さに感嘆していた。


 新幹線の改札を出て、改札の前の広場になっているところで一度足を止める。出口はどうやら北口と南口に分かれているみたいだ。


「弓坂。俺たちはどっちに行けばいいんだ?」


 尋ねると、弓坂は「えっとねぇ」と京都の舞妓まいこさんみたいな遅口でつぶやいて、


「うちの車はぁ、北口で待たせているの。アウトレットに行くんだったら、南口だよぅ」


 雲みたいにふわふわした笑顔で言った。


 改札を出た観光客は、南口に向かっている人が多いような気がする。俺の気のせいかもしれないが。


 山野も南口に向かう人たちを見て、「そうだな」と腕組みする。


「アウトレットは帰りに寄ろう。今行っても混んでるだろうし、先に買い物すると目的もぶれるからな」

「そうね。でも、お昼にするには早いわよ。どうするの?」


 上月がスマートフォンを眺めながら聞くと、山野は返答に窮しているみたいだった。到着してからの予定を何も考えていなかったんだな。


 今は十一時前だから、昼食を採るのは少し早い。朝食も摂ったばっかりだから、お腹もあまり空いていないしな。


「ここにいても意味がないから、とりあえず別荘に向かおうか。弓坂、車は用意してもらってるんだよな?」

「うん。そのはずだよぅ」


 アウトレットモールに向かう人たちを背に、俺たちは北口へと向かうことにした。


 北口の二階の出口から青々と茂る木々が垣間見える。清涼なそよ風が入り込んできそうな感じで、雰囲気がとても爽やかだ。


 二階の出口の手前にあるエスカレーターで一階へと降りる。


 一階に降りるとロータリーにつながっていた。ここから軽井沢の各地へと移動するためのバスが出ているのだろうか。


 ロータリーには、家族や遠方から来る友人を待っているものと思われる車が何台か停まっている。その中でひと際目立つ車が二台停まっていた。


 その車は黒塗りの高級車で、エレガントだがとても近寄りがたいオーラを放っていた。ボディは黒真珠のような重厚感で、日陰に停めてあるのに黒々とした光沢に覆われていたからだ。


 外観は新車のようにぴかぴかで、後ろには高級外車のエムブレムが偉そうに取り付けられている。


 一歩間違えると柄の悪い人たちの愛車に思えてくるが、弓坂家が用意した車はきっとあの二台だ。いや絶対にあれだ。


 その証拠に、車のリヤドアの前に黒のスーツに身を包んだ人が立っているんだぞ。どう見たって観光客であるわけがないじゃないか。


 その人たちは背筋を伸ばして、気をつけの姿勢を少しもくずさずに立ち尽くしている。弓坂のうちの執事さんなんだろうな。


 執事ってそもそも日本に実在したんだな。知らなかったよ。


 首につけているのは黒のネクタイで、両手にはタクシーの運転手みたいに白い布手袋をつけている。真夏にあんな格好でいたら暑さに耐えられない気がするが、どうなのだろうか。


「あ、いたいたぁ」


 弓坂が案の定その執事の人たちのもとへと走っていく。相手の人は深々と頭を下げた。


「お嬢様。お待ちしておりました」

「松尾。待ってくれてたのね。ありがとぅ」


 執事の松尾さんは、きっと五十代くらいの人だ。髭はきれいに剃られているが、頭には白髪がかなり混じっている。


 日焼けしていない顔には皺が多く、乾いた肌は油分が不足している。だが年齢を重ねた渋さが顔立ちから静かににじみ出ている。


 高齢だがほとばしる男気を感じさせる、とてもかっこいい人だ。


 執事の松尾さんが慇懃いんぎんにリヤドアを開けた。


「別荘まで案内しますので、お乗りください。お友だちの方々も、どうぞ。ご遠慮なく」

「は、はあ」


 渋い執事の人にご遠慮なくなんて言われても、弓坂以外の庶民四名は耐性がまったくついていないから、どう対処すればいいかわからないぞ。


 松尾さんが運転する前の車には女子三人を乗せて、俺と山野は後ろの車に乗車させてもらうことにした。


 こっちの車を運転する人は、長内ながうちさんという名前らしい。松尾さんの部下らしく、年齢は少し若くて四十代なのだそうだ。


 無言の長内さんは、茶褐色の肌で目もとには黒いサングラスをかけている。身体つきもすさまじく、逞しい筋肉にスーツがぴったり張りついているぞ。


 渋キメの松尾さんを超える、いろいろな面ですさまじい人だ。こんな鬼神のような人と喧嘩でもしたら、きっと三秒で殴り倒されるんだろうな。


 なんて戦々恐々としながら生唾を呑み込んでいると、


「それにしても、すごい車だな」


 となりの山野が車の内装をまじまじと見ながら言った。


「こんなすごい車、一度も乗ったことがないぞ」

「俺もだ」


 車のシートは高級感あふれる本革製のシートで、触ると赤ん坊の素肌のようにすべすべしている。


 天井から小型のテレビがぶら下がっていて、画面にお昼のワイドショーが映っている。車にテレビがついているのなんて初めてみたぞ。


 道路を走っているはずなのにほとんど揺れないし、匂いも軽井沢に合わせているのか、爽やかなミントグリーンの香りがする。高級ホテルの一室で寛いでいるかのようだ。


「本革シートにテレビまでついて、まるでホテルだな」


 山野もどうやら同じことを考えていたようだ。


「そうだよな。俺もびっくりだ」

「この様子だと、別荘もかなりすごそうだな。気を引きしめて臨んだ方がよさそうだな」


 別荘に対して気を引きしめるって文脈が少々意味不明だが、気持ちは痛いほどわかるぞ。


 高級外車と執事さんの存在だけでこれだけ圧倒されているんだから、弓坂の自宅はもっとすさまじいんだろうな。俺はまた乾いた喉で生唾を呑み込むしかなかった。

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