軽井沢別荘編

軽井沢へ

夏休みの提案 by 山野 - 第73話

「お前はこのままでいいのか?」


 山野の伝家の宝刀である無感情冷酷詰め寄り攻撃に奇襲されたのは、期末試験の試験結果が返却された七月の蒸し暑い日のことだった。


 期末試験の試験勉強はほとんどできていなかったので、全教科で散々な結果になると腹を括っていた。しかし蓋を開けてみると、全教科すべてで八十点以上をしっかり保持していた。


 対する山野の試験結果はほとんどが六十点代であったようなので、山野の主張の根源にあるのは試験絡みではないと推測する。


「何がまずいんだ?」


 お昼前の放課後。無色半透明のプラスチック下敷きで首もとを扇ぎながら聞き返す。


 期末試験が終わったので授業はもう午前中だけにしか行われていない。エアコンのない教室は蒸し暑くて仕方がない。


 教室の窓は全開だが、その程度で日本の酷暑を緩和できていたら、残量の少ないマンパワーを消費して身体を扇ぐ必要性はないのだ。――そんな下らない愚痴をこぼしている場合じゃないな。


「お前にはわからないのか?」


 山野は俺の前の席に腰かけて、メガネのブリッジをいつもの所作で押し上げる。木田と桂は先に帰宅したので教室にはもういない。


「いきなり言われたんだから、わかるわけねえだろ。もったいぶってないで早く教えろよ」

「別にもったいぶってはいないんだが」


 山野が身体を横に向けて腕組みする。


「四月からかったるい高校生活を送ってきたわけだが、とりあえず期末試験まで無事に終わりを迎えることができた」

「数学の結果が三十九点でも無事に終わりを迎えたといえるのか?」


 こいつの試験結果は弓坂を経由して聞いたが、三十九点って赤点すれすれだぞ。


 インテリぶってメガネをかけているくせに、五教科でしかも数学がとくに酷いというのは、ある意味で詐欺行為だぞ。かけているメガネにも謝った方がいいんじゃないのか?


 しかし山野は、これでもかという無表情面でメガネのレンズを光らせて、


「赤点でなければ何も問題はない」


 俺のおせっかいをひと言で振り払ったが、問題はありまくるだろ。美容師になってもレジの会計をしたり売り上げの計算をするときがあるんだぞ。


 だがこいつは上月と同じくらいに人の忠告を受け付けないやつなので、俺は心の奥底でため息をついた。


「八神。期末試験の次にやってくるのはなんだ?」

「期末試験の次? と言うと、二学期の中間――」

「違う! 夏休みだっ」


 山野が怒りをあらわに机を平手で叩く。いらいらしてるんだったら眉間に皺くらい寄せろよ。


「来週からもう夏休みだ。そして夏休みと言えばなんだ」

「夏休みと言えば――」

「友達とバカンスだ」


 今度は俺に有無を言わせずに山野が口を切った。こいつはこんなに面倒くさい男だったか?


 それに友達とバカンスといっても、高校生の俺たちでできる遊びといえば、木田や桂を誘って市民プールや水上公園に行くことくらいしかないぞ。男の四、五人でプールなんぞに行っても何も面白くはないと思うが。


「バカンスって言ってもな。木田や桂とプールに言ったって大して面白くないだろ」


 俺が半ば呆れながら返答すると、山野はわざとらしく肩を竦めた。


「八神くん。きみは勉強ができるが、本当に頭が悪いな」

「うるせえ」


 数学の試験結果が三十九点だったお前が言うな。


「高校生にもなって男だけでプールなんかに行ったって盛り下がるだけだろ。そうではなくて、女子とバカンスに行こうぜとお前に提案しにきたのだ」


 な、なにっ。女子とバカンスに行くだと!? それを先に言えよ。


「叶うはずのない妹原との仲を、入学式から少しずつ温めてきたんだ。それなのに、夏休みに何もしないなんてもったいなさすぎる。だから友人としてお前のためにわざわざ提案しにきてやったのだ」


 叶うはずのないというのは余計なお世話だし、言い回しも過分に恩着せがましいが、山野の提案は目から鱗だ。


 夏は恋のアバンチュール。ガードの堅いあの子だって、海に行けば否が応でも心が開放的になるさ。


 夏休みに妹原の心をぐっとつかんで、俺の恋をつかんでみせるぜ。ところで、アバンチュールって碌に知らずに使ってみたが、どういう意味だ?


「上月や弓坂に協力してもらえば、妹原を呼び出すのなんて簡単にできる。夏のひとときをあいつと過ごして、あいつの気持ちをぐっと引き寄せるんだ」

「でもなあ。学校は夏休みでも音楽のレッスンがあるから、妹原は暇じゃないんじゃないか? しかも俺たちは妹原の親父に目をつけられているから、約束を取り付けるのは意外と難しいかもしれないぞ」


 俺が冷静に反論すると、山野も言葉を止めてまた腕組みした。


「それはあるが、一日か二日くらいならスケジュールを空けることはできるだろ」


 それもそうだが。


「俺たちが目をつけられているのなら、別のやつの名前を出してもらえばいい。妹原の親父さんが同伴するわけじゃないからな」


 それだと妹原の親父を騙すことになるが、こういう言葉をさらりと言える山野は嫌いじゃないぞ。


「ヤマノン、ヤガミン。なにしてるのぉ?」


 そこへ学生鞄を肩にかけた弓坂がふらりとやってきた。


「みんな、もう帰っちゃったけど、ふたりでなにを話してるのぉ?」

「弓坂。八神と夏休みの計画について話をしていたんだが、みんなでいっしょに遊びに行かないか?」


 山野が仏頂面で提案したら、弓坂の顔に「わあっ」と明るい花が咲いた。


「うん! 行くぅ」


 よっしゃ。女子一名をまずは確保だっ。


「なら、ならっ、ご飯を食べながら、話をしようよぅ」


 弓坂が興奮して目をきらきらと輝かせる。弓坂は付き合いがいいから助かるよ。


「そうだな。腹も減ってきたことだし、ハンバーガーでも食いながら夏休みの計画を打ち合わせるとするか」


 放課後の教室に居残っていても担任の松山さんに無駄に絡まれるだけだからな。


 ただでさえ蒸し暑いのに、あんな濃ゆい顔のおじさんに詰め寄られたら夏バテでたおれてしまう。


 なので、俺は山野や弓坂といっしょに教室を後にした。

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