第23話 違います!僕は嘘なんかついてない!僕はいつだってあめあがりさんです

 ☁


 そこには確かに、僕の歩幅を鈍らせるバリアがあった。


 ラスボスという表現はしっくり来ない。よくある、お父さん娘さんを下さい!を言いに彼女の家にお邪魔するような気持ちだ。荒れた会見場は大部屋の両隣にメディア関係者らが跪いて頭を垂れている。応援してくれるならまだしも揃って、黙って、光史朗さんの事を奉る。


 神は現存するって言いたいのかな。その無言の信奉が雨坂のことなんかよく知らない僕を重圧で追い返そうとする。まだ暗闇の中、一歩ごとに松明が灯っていく演出の方が迎え入れられているようでよかった。RPGの世界はなんだかんだで人に優しい気がする。


『僕は余所者』と確信したのは、その大人のひとりが僕の事をゆらりと睨んできたのをきっかけに、それに反応して二人目が睨むと瞬く間に連鎖反応が起こり、全員が視線を僕に向けた時だ。ひとりひとりの視線が帰れと物語っていて怖い。蛇に睨まれた蛙の僕はとうとう足を止めてしまった。


「どうしたもっくん。その程度か?」


 あめあがりさんだ。

 腕を組み、不気味な笑みを浮かべているが、瞳はきらきらと輝いている。なんで、なんでこの場でそんな表情ができるんだあめあがりさん!


「無理ですよあめあがりさん。僕はこれ以上、進んじゃいけない!」


「その通りだ凡人!」


 星野くんだ。彼は壇上を降り、腰をくねくねさせてこっちにやってくる。あめあがりさんの横を通り抜けた時、髪をかきあげて『本の印』とあめあがりさんにキスを贈るのが動けないなりにイラッとした。


「お前には凡人の証としてこれをあげよう」


 そう言ってブレザーの内ポケットから取り出したのは、古びた一冊の本だった。そしてそれを僕に乱暴に押しつけた。


公認野球規則ルールブック……」


 本を受け取った僕はそう呟くと、星野くんは突然嗤い出した。顔とお腹を押さえ、声高らかに嗤う。ひとしきり狂ったように嗤うと、僕の持っている本を指差して。


「ルールに縛られるのがお前、すなわち凡人の定めだ」


「……僕の……定め」


 朝の雑賀中央駅で僕が見た雨坂の奔流が思い起こされる。巨大な組織相手に僕ひとり、その奔流から助かる方法はただひとつ。流れに乗ってしまえばいい。ルールブックは競技内で発生する不確定要素を排除するための安全装置だ。つまり、僕は、雨坂にとっての不確定要素。


「そうだとも!雨坂はルールを決める側、そして凡人、お前は従う側なのさ☆」


 星野くんの言う通りだ。僕にはなにもできない。だったら従うしかない、従って、従って、僕の人生を生きるのがベストなのかもしれない。そう思うと、急に足に力が入らなくなってきた。そうだこのまま濁流に飲み込まれた方が楽だ、そうすれば泳がなく済む。あめあがりさんには悪いけど。


「あめあがりさん……僕は……」


「どうした?いつもの曇り顔に猛威を奮う台風みたいな顔をしおって」


「……できません。雨坂相手にひと暴れなんて、僕にはできません」


「ではどうする。大事なのは、次になにをするかだ。もっくん、貴様は次になにをするのだ?」


「ど、どうするって、僕には、なにも!」


 がつん!

 僕の額になにかがぶつかった。いやわかっている、あめあがりさんが履いていたヒールを僕に投げつけたんだ。


「……痛いなあ、なにするんですか!」


「慮外者。では貴様は私ではなく、やはり雨坂を見ていたのか?」


「っ!?そんなわけないじゃないですか!」


「なぜソウのくだらぬ妄言に貴様の心が折れんとするのだ。私に嘘をついていたのか」


「違います!僕は嘘なんかついてない!僕はいつだってあめあがりさんです」


 嘘なんかついてない。本心だ。

 だいたいなんでそんな事言うんだよ、だから本気でムカついた。


「だったら言わせてもらいますけど朝から呼びつけておいて、姿見せないってどういうことですか?角館さんを危険な目に遭わせるし、学校にも来ないで、テロリストみたいなことして今度は市役所をジャックしてなにやってんだ。雨坂がなんだってんだよ、しかもお父さんまで、あなた方は頭がおかしいです!」


「ほーう。そこまで言いのけるのであれば、私の手ひとつくらい取ってみせよこの曇り顔猿之助が!」


「簡単じゃないですか、そんなのいくらでもやってやりますよ!」


 僕はずかずかと歩み寄って、艷やかな笑みと手の平を上にして差し出すあめあがりさんの白くて柔らかい手を、上からむんずと掴んだ……失礼にも掴み取ってしまった!


「あっ、あ、ごごごごめんなさい!いやこれは!これは魔が差したんです!」


「なにを慌てているのだもっくん、私の手を取ってしまったな、さて次はどうするのだ?」


「ど、どうするって、このまま……逃避行?」


 バチん。デコピンをくらった。


「痛〜。なんですかあめあがりさん、夢があっていいじゃないですか。深夜バスから見る夜明けの空、不安を埋めるように小指と小指を絡め合うふたり、不満ですか?」


「はにゃ!?ふ、ふ、不満はないが、い、今は貴様の、貴様のだな……妄想劇、そうだ!妄想劇に付き合う時ではない。ないのだ!慮外者、貴様がすべきことはあの分からず屋の父さまに言ってみせることなのだ。この私と、どうしたいのかを!」


 ☔


 逃避行か。

 ずいぶんと私を惑わせることを言ってのける。たぶんこやつは全てを敵に回してでも私を連れ去るだろうな。しかしそんな情景が夢か現か幻かも区別がつかないくらい僅かに浮かんでくるのは、夜空を駆けてみたい私も、少なからずいるからであろう。私もまた、雨坂に縛られた内のひとりなのだから。むしろ手を取り合いたいのは私の方なのかもしれないな。


 さあ父さま。


 もっくんは存外、手強いですぞ。こやつ相手にどう闘うおつもりでしょうか。

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