雨坂小晴のとりあえず戦闘態勢とっています

第17話 父さまは・・・・・・わからず屋だ

 雑賀市の郊外よりさらに先。

 周囲が森に囲まれた小高い丘にぽつねんと一邸の洋館が建っている。

 築年数で言うとゆうに一世紀ほど。

 有名ではないものの日本人建築家がデザインしたとあって、西洋建築を忠実に守ってはいるが、日本の伝統的な柱梁を採用したり、火除け装飾の懸魚を採り入れていたりと日本建築の意匠を建物の内外に施している。


 正門へと続く石造りの道の両側にはよく手入れされたイングリッシュガーデンが。

 そこに1羽のモンシロチョウが舞っている。

 もう十分に蜜にありつけたのか、洋館側より吹く潮風の誘いにいとも簡単に乗りふわりふわりと屋根を越えると――。


 複眼に雑賀を支えていた旧漁港が幾重にも映った。


 雨坂グループが雑賀に誘致されてからは産業の中心は漁業から建築業や教育事業に転換してしまったが、遺構は当時の人々の暮らしを寂しそうに憶えていた。

 この洋館の主でかつての雑賀市長、桐谷知宏きりたにともひろはこう表現した。


「産業は廃れど人々の想いは廃れず。それを旧雑賀漁港が声なき声をあげているようだ。どれほどまで雑賀が発展しようとも、この景色、この邸宅より眺め見る遺構の逞しさを決して、自然の記憶から抹消してはならない」



 🌂



「ところであんた、元の名前はなんていうんだい?」


 雨坂小晴もとい黒猫柳鉄虎くろねこやなぎてっこ『雨のち晴れ』、一晩考え抜いた渾身のサゲである。


 カメラの奥から流入する大ウケの確信。

 しかし今日の黒猫柳、これだけにあらず。私はダンボールを払い除け深々と三つ指をついた。重たかったカツラがほろりと取れて転がっていった。


 少しの静けさをおいて男の下品な笑い声が上がり、私は怒りに身を任せた。


「坂本!配信は止めたのか!」

「イヒヒ止め、止めましたぜお嬢イヒヒ。お嬢、もうお嬢持ってすぎぃ」

「嗤うな慮外者」

「む、無理だって!だってカツラ取れるタイミングがぜ、ぜ、絶妙」


 と坂本の腹を抱えて転げ回る様子がいつになく私を苛つかせた。が、寛容に済ませてやる。カツラが取れるのは織り込み済みの事だ。

 大事なのは伝播したかという事なのだ。

 広告収入を慮ってではない。

 雨坂の不穏分子にどのくらい揺さぶりをかけられたのか。

 端的に言えば挑発である。


「ほらよお嬢、メイク落とし」

「ほう貴様にしては気が利くではないか。さては新しい女か?」

「お、よくぞ聞いてくれた!今度の彼女は・・・・・・たまらん!わかる?もうたまらんのよ!」


 別に坂本の女になど興味無い。

 せいぜい碌でもないこのお守り役を真っ当に仕向ける器である事を願うのみである。

 さて坂本の話題はこれきり。私は瞼のペイントを落としにかかった。


 伝わったのだろうか?いや愚問だな。

 伝わらないはずがないのだ。この場所はかつて――。

 嫌なものだ。過去に縛られるというのは。


 10歳の頃、私は誘拐された。通算で6度目の。

 たった今まで落語を生配信していたこの部屋にて監禁された。


 誘拐の黒幕は当時雨坂グループと敵対していた企業だった。

 ソウに誘われ野球を観に行った帰り、SPらの一瞬の隙を突き、前市長である桐谷知宏氏の邸宅に私を拉致した。市長の差し金と偽装したかったようだ。

 事件後、洋館は売却され、両親と曽祖父の代より目をかけて下さる桐谷家の反対を押し切り、私が自腹で購入した。


 自分の所有物になった屋敷を前に、私は誇らしくなった。

 なにせ私だけの秘密基地アトリエがそびえているのである。特別な事をした訳では無いのにコロンブスを凌駕した気さえした。

 誰にも干渉されず自分だけの空間を好きなだけ過ごせる。その事が嬉しくて仕方の無い私はこのアトリエにソウをよく招いていた。


 その頃にはもう星煌会の連中はソウの一族を排除していたが、私はただソウと遊びたかった。

 純粋な子どもの欲求のはずであったが、残念な事にこの時も雨坂家第一位承継者としての自覚が足らなかった。


 いつしかソウはアトリエに来なくなった。

 一家は離散していたのだ。

 そうとも知らず、待てども待てども来ない事に私は憤った――しばし待て。


「オレ、化粧を落としている女の顔好きなんだよなあ」


 間発入れず変態さかもとの頬を引っぱたいた。乾いた爽快な音がした。


「いってぇなお嬢!何すんだよ!」

「慮外者」と吐き捨ててから、愛用の眼鏡をかけた。屈強な体つきのくせに軟弱な精神構造を持つ男の情けない表情がよく見える。


「貴様の性癖を押しつけた罰だ」

「なんだよそれ、急にしおらしくなってやっぱ美人じゃんって思ってたのによぉ」


「むっ。貴様にとって若い女は皆、欲情の対象であろうが」

「失礼な全員じゃないぞ!100人いたら20〜30人くらいですぜ!」


「下衆め」


「ああ今ゲスって言った!お嬢そいつはパワーハラスメントだよパワーハラスメント!パワハラ・オブ・パワハラ!いーけないんだーいけないんだー労基署に言ってやろう」

「You’re fired.」

「ファイヤー?!いえーすいえーす、オレは今、恋に燃えているんだぜええええ」

「ならば世界の片隅でも暮らせるな」

「おうよ!カナがいればどこでだって生きていける!」

「全くだ。貴様の蛮行に言語はおよそ必要としないようだ」

「ところでお嬢」

「なんだ異邦人」

「光史郎さんブチ切れてるってよ。秘書課からの呼び出しがひでーぜ。どーすんだよこれから」


「父さまは・・・・・・わからず屋だ」


「そうは言ってもよお。これ以上、悠遠の引き伸ばしは」

「坂本」

「わかってるよ。だけどその怖い顔はもったいねえよお嬢。せめて頬を膨らませるまでにしとけ、男が逃げる」


 余計なお世話だ、と言おうとしたが止めた。


「そろそろ時間だ。見届けるぞ坂本」

「待てよお嬢。本気かよ?」

「やると言ったらやるのだ。破壊に躊躇いは不要」

「この家って建ってから一世紀ぐらいなんだろ?お嬢に文化的価値観はねえのか」


「あるとも」と半ば坂本を遮るように言い、「ただ、私以上にそれが無い連中がいる」

「・・・・・・わーったよ。とっととやっちまおうぜ。ったくお嬢のせいでここでカナと暮らす計画は台無しだ」


「暮らせばいい」

 私は窓辺に立った。ひっそりとした集落と旧雑賀漁港が小さく見えた。

「住家ならば、また建てられるではないか」

「ちげえねえ」

「坂本、業者は来ているのか?」

「正門のところで待機してるぜ。あとはお嬢がGOサインを出すだけだ」


 私は頷いた。間もなくして坂本は退出した。


 一人きりの部屋。何度も喉が鳴る。何度も血の気が引く感覚に陥る。

 後悔がない訳では無い。

 ただあやつは言った。


 時間を大切にせよと。全部収納箱にしまってしまえと。

 そして沈黙。その先に答えがある。

 答えを見つけるのだ私が。私達が。


 そう思うと自然と笑いがこぼれた。


「世界一退屈しない遊びをやってのけるのだ。私の、私達の、knock on unknown(ノックオンアンノーン)が!」

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