第13話A 定期、かざすの忘れてたんだ

 頼む頼む急いで早く!


 先頭車両に乗ったはいいけれど、その際は気持ちに余裕を持たせなければいけなかった。

 時間に追われる人ほど酷な映像になるとは思いもしなかった。


 電車が乗客を焦らすように、急カーブをのっそりと走行している。

 その速度は制限ぎりぎりの十五キロ、頭端式ホームの雑賀中央駅と相まって直前になると慎重に慎重を重ねて減速するんだ。と今となって思い出した。


 ただ運転士は冷静だ。

 僕がヤモリのようにひっつきながら送る、速度超過の念をもろともせずに安全運行。そのプロ意識の高さに比べて僕ときたら。


 あめあがりさんごめんなさい、これを反復して唱えてばかりで何もかも駄目だ。

 いい加減に『慮外者お断り』と書かれた重石で押し潰されそうなほど慌てていた。


 大遅刻だった。

 集合時間は七時。既に四十分以上遅れている。

 真夜中まであめあがりさんとの登校の予行演習なんてするんじゃなかった。

 肝心の乗り換え駅で微睡のツケを払わされた。


 乗り換え駅までたった五駅だったんだ、眠気なんて目玉を捻ってでも我慢しておけば……の後悔と終末感が今も付き纏っている。

 そんな僕を慰めてくれるように、電車がそっと終点に着いた。

 電子音のドアが開き切る前、僕は強引にホームへと下りた。


 雑賀中央駅はビルと一体型構造だが、レトロ風吹く駅ナカ商店街を通る仕組みで改札までは少し距離がある。

 さすがラッシュ時の構内。混雑の人々からは、独特な冷めた苛つきが発せられていた。


 それを霧散させるように僕は走った。

 迷惑なんて知らない。

 走って走って、人をなぎ倒してでも走って、僕はあめあがりさんに会いたかった。

 怒られるのはいい。会えないことのほうがとてつもなく辛いんだ。


 会いたいから走る。

 そんな獣的な思考でも、雨坂グループ関係の店舗は次々と当たり前のように捉えていた。

 中でも目を引いたのは大型デジタルサイネージに映し出された、雨坂教育出版社のCM。


 暗がりの雨中を駆け抜ける少女、目指す遥か先は晴れ間、手には受験参考書。意味が分かるようで分からない。

 それが引き金だったと思う。僕の心肺機能は限界寸前だが蓄積した疑問を無にする程ではなかった。


 ここに居る人たちみんな、雨坂と関係にある人たちなのだろうか。


 老若男女問わず、僕とすれ違う人間への勝手な当てはめ。自意識過剰と言えばそれまで。でもそう思えて仕方がなかった。

 能面の顔してホームに向かうサラリーマンの群れ、マナー違反の僕に怪訝な顔を仕向けるおばちゃん、携帯画面を指でつつく高校生、何食わぬ顔でも雨坂の恩恵を受け、日常の流れに乗っている人たち。


 いわば雨坂の奔流だ。強迫に近い印象さえ覚えた。そこを遡上している異質な僕、分かりきっているがこの身ではあまりにも軽すぎる。


 じゃあ僕は一体どうすれば良いのか。

 勢いに任せて創部することになってしまったとはいえ、雨坂に不利益となるようなことへ手を貸そうとしている。

 これみよがしに赤見内くん、下敷領くん、高見沢くん、三人の悪人面が思い浮かんで肩が疼いた。


 ならば昨日の出来事が答えじゃないだろうか。

 赤見内くんたちが逼迫していた様子(星野くんも一応含めて)から推察して、あめあがりさんはどうも御自分の家か同グループを困らせているらしいということがわかった。


 簡単だ。そうだ遠慮なんかいらない、僕はこう言ってやればいい。

 ちょっとあめあがりさん!

 ユウエンノギって何ですか、ちゃんと僕にも説明して下さいよ。

 遊ぶための部活なんてふざけたこと言ってないで、みんなが納得出来るよう節度のある行動をとって下さいよ。

 御自身のお家の掟とやらに素直に従って、これからも社員が安心して働けるグループであり続けて下さいよ。

 なんてったってあめあがりさんは頂点に立つ御方なんですからね!


 ……やめよう。少し朦朧としてきた、もう走れない。


 急激な運動による低酸素症とは違う。額だけが異常に熱い。

 頭がぼうっとする、魔法をかけられたかのようだ。

 それは柔肌で体温の高いあめあがりさんの、昨日の接触部分そのままにくっきりと高熱を発していた。まるで態度をはっきりとさせろとでも言われているように。


 僕はデートを賭けてあめあがりさんと部員集め勝負の最中、ただそれだけ、それだけのはずなんだ。

 それに僕はあめあがりさんがやりたいこと全部、問答無用に、狂おしいほど勤しむ僕でありたいはずなんだ。

 なのにいとも容易く大群の中に紛れ込もうとする自分がいる。その方が楽だから。大きな力には逆らえないから!


 不意に何かが歩行の邪魔をして前に進めなくなった。

 間髪入れずピンポーンの警告音、それで我に帰った。

「あ……定期、かざすの忘れてたんだ」

 想いだけでは立ち向かえない。

 そのことを教えてくれるように、自動改札機が僕を足止めしていた。


「やっぱり。おでこの熱で通してくれないかな」


 端末を見つめてそうぼやいた。

 駅員の不審な目を横に改札を通り終えた時、僕は持っていたIC定期券を握り潰したくて握り潰したくて堪らなかった。 

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