第12話後編 🌂あめあがりさんはつらいのだ
「♪♬エーデルワイス エーデルワイス
名曲の改悪。
物憂げな顔。
孤独のワルツ。
これら珍妙な入室の仕方はどれをとっても不快である。
「これはこれは
とあまつさえ気味の悪い笑みを携え、胸に手を当てた西洋式一礼のやかましさよ。
極みだ。
ゲオルク・フォン・トラップ大佐の墓前にて跪け、赦しを乞え、毛という毛よ抜け落ちろ自称騎士めが。
今の今まで泡を食いながら覗いておったくせに、見栄っ張りなところは不変の性である。
溜め息などとうの昔に涸れた。
この無駄の多さにこやつの長短が詰まっているのだが、せめて余白部分を程よく残す生き方はできぬものか。
「白痴も甚だしいぞ。前世から情操教育を受け直してこい」
「ノンノンノン。それはできないカリキュラムさ!」
さてお次は三文芝居の開幕である。
勝手にやっとれ。こちとらもっくんへ新たな伝言を作成、忍ばせることに割かせてもらうぞ。
「愛!それは人類の近くにありながら最も遠き深淵のテーマ。愛はヴィレヴァンの片隅に落ちているが、現世でしか学べないエターナルケイオス!実に美しい!
終わった。
小っ恥ずかしいものをよくもぬけぬけと、もっくんなど決壊間際のおたふく顔だぞ。
私は腰に装着するサイドパックをまさぐった。
すると指先と一冊の本が触れ合い、再生ボタンでも押されたかのように追憶が呼び起こされる。
映像の私は小学五年生で、難解な文字羅列の解読に躍起になっていた。
寝食を忘れて解読するのは当然、授業も稽古も目を盗んでは対峙し、時折、坂本に無理を言っては実際に試合を観戦したりと当時は全ての解読こそできなかったが、その没頭具合ときたら凄まじかったと今更ながら苦笑にも似た想いを抱く。
あの日までは確かに、本を通じて、雨坂小晴というひとりの人間でいられたのだ。
それが。懐古の分だけぼろぼろになってしまった、
そして裏表紙には掠れた『雨坂総一郎』の文字。
刹那、文字は灼熱の焼きごてとなり代わり、私の心臓を激しく焦がしつけた。
痛みなどあやつに比べればなんのこれしき、ここから羽ばたくのだ。
文庫本より気持ち大きな古びたルールブック。
それを結いていたシュシュでまとめ宙へ、小鳥を逃がすように放った。
「(中略)――ホワイトホールの加護あれ!今ここに!
シュシュ付きの本は綺麗な放物線を描き、見るも聞くもやかましいソウの脳天で少し跳ねて落ちた。
判定はストライク、いやデッドブックか。とかく良い具合に抑止をかけてくれた。
まこと無駄のない妙々たる働きをする本である。
「酔いは覚めたか?」
「凶暴だなあ、こはるちゃん。星野の見せ場を邪魔しないでくれたまえよ」
と不満を漏らしつつ、患部を擦っては出血の有無をしきりに確認していた。
「慮外者。大仰とすれば押し切れると思いおってからに」
「おっと。それはこはるちゃんのちょっとした思い違いさ。なんてったって大げさは、星野の文化だからね☆」
「ほーう?それはそれは未来の紫綬褒章ものだな」
「いいや。いらないね。星野の言う文化とは!
そうそれが。貴様を縛りつける鎖の正体なのだ。
「本家も分家もあるものか。足元のルールブックに見覚えくらいあるであろう?その本に貴様と私の、原点であり終着点が詰まっているのだ」
言われて。ソウは目線を下にやった。
そしてのっそりと本を拾ってシュシュを外し、感傷もなくページをめくりやがて裏表紙を見たとき、その整った眉が急激に狭まった。
「これ……おれのか」
「そうだ。雨坂に暮らしを奪われた貴様と、雨坂に生かされ続ける私の目指すところ。それは人間を平等に扱うルールブックにある。
「冗談じゃない」
「む?」
「正気か!こんな
「止めるでない!続きを申せ、貴様の抱える想いはそのような陳腐の如き感情論では済まないはずだ」
「ぐっ……!キミは馬鹿だ、大馬鹿だ。教出の奴らを見限る真似をして一体何のメリットがある!このルールブックはキミが常日頃語っていた希望の光――でもキミ以外の人間にとっては、雨坂を破滅に導く絶望の鎌だ!悠遠の儀を遅らせているのはそんなことのためなのか!?こはるちゃんらしくない、衝動的で、短絡的で、非合理でおまけに無慈悲だ、愛が足りないよ!」
「不足で結構」
「こはるちゃん!!」
「たとえ貴様が雨坂の中枢に近しい人間と人脈を築こうが所詮は家に囚われし飼い犬のまま。救うのみならず、雨坂に新しい時代の風を吹かせるためだ。不人情に見えるならばそう捉えるがよい。私は勝手にやる」
ソウは髪を乱暴に掻きむしった。
感情に任せルールブックを叩きつけようとしたがそれは歯を食いしばって思い留まり、抑えきれないエネルギーは声量の方に回した。
「させやしない、させてたまるか!その前に
「好きにしろ」
果たしてあやつも気づいたのであろう。
「こ、婚姻届の提出はカミングスゥーンではないがねっ!」などと余所見をしながら教室を出ていこうとするのだが。
慮外者、そっちは閉めた側のドアである。
「ぎゃうち!」
この見栄っ張りが。動揺のあまり思いきりぶつかりおって、それからさも何事も無かったような顔をして出ていくな。
さて。ひとまずの嵐は去った。
まずは溜め息をひとつ、盛大につかせてくれ。
「……岡田。坂本に後始末を頼むと言伝してくれぬか」
「承服」
閑散となった教室にどこからともなく響く重厚な声、以降、隠密の岡田は無音のまま気配を消した。
もっくんらがここに訪れる以前より潜伏していたとは、もはやA組の連中さえ知る由もない。
「♬エーデルワイス あめあがり さんはつらいのだ♪」
不細工な韻律だ。私もまた墓前で土下座ものである。
あとはもっくんに賭けようではないか。
成就できない時はおとなしく悠遠の儀を行なうまで。
しかしこやつならきっと
もちろん――。
呪いの解かれたソウと一緒にだ。
「もうよいぞもっくん。む、いや待て、まだ瞑っていろすぐに済む」
無理もないか、心中穏やかでないだろうに。
机上でだらしのない格好のまま、表情筋を複雑にうねらせるもっくん。
私は立て膝をつきそっと頭を持ち上げた。
頼りにしてるぞ。
目を閉じて、額と額を合わせた――想いが伝わりますように。
☁
『明日、朝七時、雑賀中央駅前ロータリー』
家に帰ってから見ろ慮外者と怒られ気味に言われた、あめあがりさんの伝言メモはこれだけだった。
けれども。
おでこの火照り具合が更に激しくなった。
【部活申請期限まで、あと四日】
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