雨坂小晴のちょっと小噺きいとくれ

第8話 雨のち晴


 こほん、私だ。

 世の中には日本資本主義の父と称され、今日の株式会社制度を根付かせた渋沢栄一男爵のように、自己利潤の追求には無頓着なタイプがいるようだ。


 さりとて四書五経を学んだ武士の志しが色濃く残る明治から昭和初期ぐらいまでの話であって、平成の現代ではもはや、伝説の生き物に国指定されるのではないのか。

 空言を用いては人を便宜的に扱うオトナ達に囲まれてきた私には到底信じることのできない、俗説に重ねた俗説である。

 私の家の人間は誰しも疑うところの価値観だ。おじいさまも父さまもそうだ。


 直接的関係の構築ではなく、対象の人間を欺いてはその人物の背後を取り巻く、カネやコネを蓄えんとする人間の形をしたヒト面妖と多く接してきた。

 ヒトによる欺瞞には人情を問ふて対抗すべし。

 小3で得たヒトを見抜く術において、私は絶対の自信があるぞ。

 ところがまあ絶対は絶対でないのだ。


 未熟者は本質知らず、つまり例外を見抜けないこともあるのだ。


 稀に軽挙妄動が先行して自己利潤を図ろうとする者がいる。

 見抜く以前にわかりやすい。

 さもありなん。何かしらの強い想いが行動に直結したゆえの過ち、若気の至りであるのだから仕方が無い。

 しかし既知に縛られた者ほど硬直した判断を下してしまうものだ。

 二度とそうせぬよう、人間常に鷹揚な心持ちでいたいものである。


 さて以上のマクラを踏まえてだ、そうだな。

 例えばこんな噺を作ろうと思うのだがどうだろうか?

 ある雨の日、どこの馬の骨ともわからぬ江戸町人の放蕩息子に家の財産目的で告白されたと誤解した商家の見目麗しき娘が、少年との突飛もないやり取りに翻弄される内に勘違いしていることに気づき、詫びの気持ちとして風変わりな名をお互いにつけて心を通じ合わせたという人情話だ。


 *


 始業式など執り行う重要性も必要性もない。

 雨粒のひとつひとつにからかわれているように降り続く雨。

 予報は一日中降雨予想だったが、ここいら一帯は山地と海に挟まれ気象がとても移ろいやすい。


 ということはふと晴れる瞬間があるのだ。

 いま私はおじいさまが異国の友人から譲り受けたというトーテムポールの掃除を兼ねて、客観的データに基づいた予測と経験に裏打ちされた予測のどちらが優れているのか勝負をしている最中だ。

 雨に打たれようが一向に構わぬ。

 最終的には私が勝つのだから、合羽すら身につけることさえ愚昧である。


 さてと気配が邪魔だ。


 たとえ太陽が今この瞬間に顔をのぞかせたとしても勝利の感動が半減するばかりであるし、それに青二才とて男、目線が太腿にもいっているようで掃除に集中ができん。


「まだおるのか曇り顔猿の助」


 私は再び冷たく言ってやった。 

 脚立の下の少年はいまだ時が止まったかのように見上げている。なんという情けない男だ。

 先程は白々しい言の葉を私にあしらわれたのだがそれだけで、みるみると顔の中心に表情筋を寄せていった。それはそれで滑稽であったのだが、いい加減目障りである。

 穿つ雨粒が傘に弾かれる音さえ鬱陶しいのだ。


「僕は……」

「帰れ」

「入学式の雨坂先輩のパフォーマンスを見て」

「聞こえぬのか帰れと言うておる」

「すっかり舞い上がってしまったんです!」

「知るか。入学式のことならば苦情は受け付けんぞ。あれは雨坂への私の宣戦布告だ」


「かっこいいなって」


 危うく脚立から転落しかけた。

 なんだこの小僧、まるで噛み合わぬぞ。

 もし運悪く崖下転落でもすれば、雨坂の後継者問題にまで発展するところだったぞ。


「僕は中学時代何一つとして誇れるものができなくって」

「興味ない」

「だから高校生になったら自分を変えようって」

「変わったではないか。より惨めな方にな」

「正直、先輩のこと女性として見ていませんでしたごめんなさい!」


「うにゃ?!」


 こ、こやつはっきり言いおったぞ。

 過去に斥けた不埒な男どもはこぞって、喋らなければとお茶を濁して去るばかりだったというのに明言しおった。

 無礼に失礼を練り込んだ告白、さらに人の話には耳を貸さず、挙げ句には侮辱的な発言。


 容姿に自信があるというわけではないが、男にないがしろにされるとやはり腹が立つ。

 私にもそのような女の矜持くらい、殿方の腕の中で温もりを感じながら、一層の人想いを恋路に馳せたい願望くらい備わっているのだ。


 それがなんだこの少年の見分の無さときたら心底呆れるばかりだ。白魚のような肌に目もくれぬとは雄の本能はどうなっているのだ。だいたい私の口調が女としての品質を下げているとぬかす輩は何様なのだ――とかなんとかで自尊心の保護に努めていたからである。


 果たして、発言のタイミングを逸してしまった。


「僕は、先輩のかっこよさに勝手に憧れて、近づいて、背伸びしたかっただけなんです。好きだとか愛だとかは後から付いて来るものだと思っていたんです、だから……本当にすいませんでした!」

「慮外者め」

 私は飛び込み営業の泣き落とし策にはまっているのであろうか。

 少年は傘を放り投げて土下座していた。

 わずかであった野次馬どもが集まり出してきた。


 ちりりとこめかみに焦りが走る。しかし熱はさめた、本音であろう。

 バカ正直者め、私は奇異な目線に慣れているからいいがこやつはどうだ、まだ一年生であろう。

 先は長し、痴情のもつれで中途退学されては我が校にとって損失以外何ものでもない。


「立て」


 私の言葉に少年はおもむろに立ち上がったが頭は垂れたままだ。

 恐らくと感じつつも私は訊ねた。

 雨坂家本家の人間に近づくよそ者が必ず問われる、悲しくも虚しい選定の網。


「雨坂家と不幸になれる覚悟はあるか?」

「え……」

 と少年自身に予期せぬことが起こったのか、とても驚いたような表情を見せるとすぐに目鼻を奇妙に動かして思い耽った。

 明鏡止水。私は静かに待った。

 きっと見立て通りの回答を寄越すであろう。


「……すいません、僕不幸になったことがないのでよくわかりません。それに雨坂先輩、どうせ訊ねるなら先輩のことを幸せにする覚悟を訊いたほうがいいのでは?」


 ふ、ほらな。雨坂家のことに触れなかった。

 少しだけだ、興味のある回答であったぞ。それと少年はヒト面妖ではなかった。

 きょとんとした表情が全てを物語っているではないか。

 ならば私は非礼を詫びねばならない。


「お主、名はなんと申す」

「安元です。安元歩っていいま……あああああ!僕まだ自分の名前も言っていませんでした!!」

 安元少年が驚愕の顔からみるみると表情筋を中央に寄せていく。

 よくもまあ何度も同じ形態になれるものだ、かくも見ていて飽きぬ芸当である。


「この曇天のように、もくもくもくもくと表情を曇らせおって。ならば今日から貴様の名はもっくんだ。うだつがあがらなそうだから平坦気味に呼んでやる」

「なんですかその木琴みたいな呼び方は~」

「ぴったりではないか。それに私が気に入ったのだからいいのだ」


 少年こともっくんの情けない抗議は続いたが私は取り合わない。

 それよりも両の手のひらを空に向けた。

 予想した通り、雨が止んでいたのだ。

 私は握り拳を作った。勝利宣言をする時が来たようだ。


 まもなく、うなじが乾くような熱を感じとった。

 同時に翳っていたもっくんの顔にハイコントラストの色調が鮮明に帯びていく。

 いよいよである。来たぞ来たぞ、栄光の道しるべとの邂逅が。

 全知全能たる太陽よこの時を待っていたぞ、さあ勝利の詩を御身に刻むがよい。

 いざ、振り返らん!


「まぶし」

 思いの外、肩越しの日光が眩しかった。レンズについた雨粒が乱反射して敵わん。

 しかし我が身に得たりはえもいわぬ高揚感。

 私は天気予報士の包括的な予測に勝利したのだ。すなわち経験則の勝利である!


「ふふん、天気予報との勝負に勝ったぞ!」


 特別にもっくんにも共有させてやろう。このように嬉しい時は迷わず人を巻き込んでやるのだ。

 ええいピースもつけてやろう。

 雨に濡れた甲斐もあったってものだ。それほどに今の私は気分爽快明朗快活なのだ。


「綺麗だ……」


 もっくんが私のことを見つめて呟いた。ようやく私の魅力に気づいたかと思ったがどうやら違うようだ。

 ああそうか、雲間からのぞいている太陽のことを指したのか。

 そこは概ね同意である。

「もっくんよ、雨上がりの優しげな太陽に安堵した覚えはないか?私はたくさんあるぞ。嫌なことがあっても何故か、雪解けのようにじわじわと溶けていく感覚になるのだ……む」


 名案を思いついてしまった。

 雨上がりの空に心温まる太陽、雨上がりの太陽、太陽はSUN。

 全てを照らし照らされる道しるべ。

 おそらくはエジプト遠征したナポレオンも、ピラミッドの歴史の威光を痛感した時に同様の思いだったに違いない。

 しかし何とも先輩らしくて、ユーモアに長けた慈悲深い私にぴったりではないか。


「もっくんというしょうもない名だけではアンフェアでアンバランスだ。私のことは、あめあがりさんと呼べ」

「ええ?!でもそのあの……はい」

「何を顔を火照らす必要があるのだもっくん。この雨上がりの空の慈悲深い太陽にふさわしいユーモラスな私と掛け合わせたジョークであるぞ?ここはくすくす笑うところだ、いや遠慮なく笑え」

「お、おもしろいですよ!とっても……」

 と言ったきり、もっくんは声に出して笑うのを遠慮したのか、顔をさらに赤く染めて俯いてしまった。そうかそうかそれほどまで感動的な面白さであったか。


 私は大いに満足である。


 我ながら煌々とした渾身の出来であった。



 *


 ふむ。

 当時はこのような感じであったな。

 これらを江戸町人文化と融合させて再構築した噺を動画にあげようか。

 演目は「雨のち晴」。

 古典落語を演じる難しさは十分に理解しているが、定期的に新作落語を作って演じるのもまた困難で途方もない作業である。


 何、サゲがイマイチだし自慢話に聞こえるだと?


 それはもっくんの持っている凡庸さが私と釣り合わないせいだ。私のせいではない。

 そんなにサゲに対してオチオチ言うのならば、どうだろうか、私とカケでもしてみないか?


 対象は「今度はマスクが怖い!」ともっくんとプリノが阿鼻叫喚する図だ。


 負けたほうが、そうだな。

 角館の伝統工芸品である桜皮細工かばざいくで拵えた茶筒(ネコのイラスト入りだぞ)を部室に提供するというのはどうだ?



 ~第一章~ おしまい

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