第7話 ますます気に入ったぞ!

 他人事と言われても、僕にあめあがりさんのお家の事情に介入する余地があっただろうか。

「はい?」

「自覚がないのか、本当に呆れたやつだ。私が考えを改めようと思ったきっかけを与えたのはもっくん、私の背後にある雨坂家を見ていなかったにせよ、貴様のどうしようもない不純な告白だったのだぞ?」


(大好きです。僕と付き合って下さい!)


 とっさに、あの雨の日の出来事が脳内をリフレインしやがて暴走する。


 ☆大好きです。僕と付き合って下さい!★


 ♪大好きです。僕と付き合って下さい!♬


 ♂大好きです。僕と付き合って下さい!♀


 僕をかき乱す圧倒的黒歴史!


「のおおおおおおおおおおん!!」


 絶賛審議継続中だったよ!

 原告側の和解案は提出されたけれど審議はね、べ・つ☆

 さあて判決はこれから、まずは結審しましょうねえ的なやつだこれ!


 僕はその辺に落ちていた大きな猫のぬいぐるみを素早く拾い上げ、土手っ腹に顔を突っ込んだ。

 ちくしょう柔らかくて埋め心地のいいやつめ。

 それを僕はデスマスク代わりにして喚いた。


「あめあがりさん、僕の死刑執行日はいつですか?!」

「やかましいわこのヘボザルが!」


「ぴぎゃ!」

 視界不良のためわからないが大きめの何かを投げつけられ、僕はぬいぐるみごと吹っ飛ばされた。


 顔全般、特に鼻が痛い。

 世界中から寄せ集められたと思われる人形やぬいぐるみが散乱する床で打ちひしがれているところに、あめあがりさんの低音域の美声が僕の耳に届く。


「進行を妨げるな慮外者め。私が五を数える前に起き上がるのだ。でないとマウントをとって貴様が失神する程度の縛り首にしてやる」

 それもそれで悪くない話だなとよぎってしまったのは内緒の話で、四を数えきる前に僕はあめあがりさんと正対していた。

「何を締まらない顔をしておる。私の話が聞けぬというのなら出ていけ」


 僕はあわてて表情を改めた。


「聞きます。聞きますよ、要するに僕が原因なんですよね?」

「あの人でなしな告白が私の相談との明白な因果関係こそはっきりはしない、だが、きっかけではある」

「その言い方に少し引っかかりを覚えますが、あめあがりさんの将来に僕が歯止めをかけてしまったのなら責任をとらないわけにもいかないですよ」

「なるほど。よい心がけだ」


 と澄ました顔で言うと、壁際のハンギングチェア、そこに置かれていた大きなテディベアと入れ替わりとなって座った。

 もにゃもにゃな頭にアンニュイな顔をのせ、ふかふかなお腹周りに細い腕を通してイスにゆらりゆらりと揺られる。


 可憐。そんな言葉がぴったりだ。

 乙女ティックイズ僕の大好物。

 昂った激情を悟られないよう、僕はあめあがりさんが話すのを待っていた。

 しかし気楽な気持ちで待ったのは大きな間違いで、僕の予想をはるかに超えた内容だった。


「結局、私が描いた未来はこどもの絵空事に過ぎないのだ。いくら理想像が崇高で人々から尊敬の念を集めるものだとしても、人間は現実に則した理性が附随していなければ心底賛同はしない。ましてや人情に欠けているのであれば尚更だ。私は、現在の雨坂で日々汗を流して働く職員らの将来に、全くの配慮を行っていなかったことを気づいてしまったのだ。彼らには私が考える以上に、守らなければならない生活や家族がある。ともすれば今後の雨坂が、マトリョーシカだとしても一向に構わないのだ。ビスクドールであって欲しいなどとは一抹も望んでなどおらぬ、それに気づかなかった時点で私もまた、あるまじき先見の盲目者であったのだ。なあもっくんよ、私はそれでも雨坂に背く道を歩むべきなのであろうか?」


 僕は人が、迷い充ちた顔をさせているのを初めて見た。

 なんて重い。とてつもない、重たい人生相談だった。

 それをどうして起伏のない人生計画と揶揄した僕なんかに?

 そもそもあめあがりさんみたいな超アグレッシブな人が、先見の盲目だとか僕には到底受け入れ難いことだ。


 とにかく。

 責任取って僕が婿になりますから自由にやって下さいと言える状況は完全に消失した。

 僕の軽率な行為が、僕の軽はずみな言葉があめあがりさんを苦しめることになるとは思いもしなかった。

 それでも何か言葉を。


 何でもいい、僕なりに励ますんだあめあがりさんを。




 どうした僕?!なんで言葉をかけない、どうしてだ!


「沈黙か」

 

 あめあがりさんは心底残念そうだ。

 違うんです!

 適当な言葉が思い浮かばないだけで、かける言葉がないってわけではああでも言葉にしなきゃ無視しているのも同然だほらみたことかあめあがりさん完全に顔埋めちゃったじゃないか!


 大切にしたい人じゃないか。

 思い出せ、僕があめあがりさんに本当に惚れた理由はなんだった?

 始業式の雨の日、僕は愚かなことをしでかしたが、その後、奇跡的に雨が止んだ。

 そして雨上がりの曇天から、温かくて柔らかな一条の光が差し込んできて。

 

 雲間の太陽を背景に「天気予報との勝負に勝ったぞ」なんて、ずぶ濡れなくせに無邪気に笑う彼女に、僕が一目惚れしたからだろ?

 理由は単純だし面白味もないけれども、誰もが見られるわけでもないここぞしかない、彼女が輝いて見える瞬間に出会ったからなんだよ。

 

 これからもキミとの特別に――。


 そんな瞬間に、僕は出会いたいんだよ。



 言えよそれくらい!


「なら……大切にしてみませんか?」

「何をだ」

 あめあがりさんは埋めたまま言った。

「時間です。今こうしている時間です。ここから繋いでいく時間をです」

「言っただろ、私は将来に生かされていると」

「そんなもん、マトリョーシカと一緒に収納箱の中にしまっちゃいましょう!」

 

 あめあがりさんは顔を跳ね起こした。


「できるわけなかろう!」

「するんです!何もかも全部!一切の保留です!とりあえずしまってうっかり開けてしまわないよう鍵もかけちゃいましょう、南京錠一〇〇個くらいつけて」

「そんなことしてどうする。雨坂から目を逸らして、遊び呆けろと申すのか」

「そうです遊ぶんです!今!高校生にしか出来ない遊びをするんですよ!」

「なっ……言わせておけばこの曇り顔猿の助が!」


 あめあがりさんが体をわなわなと震わせているその隙に、僕は大きく息を吸いこんだ。

 怒りで飛びかかってこようが構わない、結局、僕が一番言いたいことはこれだったからだ。


「雨坂グループがどうたらこうたらなんて、あめあがりさんが社長になってから考えて下さいよ!」


 我慢の限界、やはりあめあがりさんは飛びかかるように来た。

 血気を迸らせて僕の襟元を掴み、再び頭突きをしようとものすごい力で手繰り寄せようとする。

 でも今回ばかりは負けたくない。

 僕は僕なりに引きつけられないよう、あめあがりさんの腕を掴んで後ろに体重をかける。


「素人が、雨坂を壊滅させる気か!」

「知りませんよそんなの。あと何年であめあがりさんが社長か偉い何かになられるのかわかりませんけどね、天気予報士の資格とって朝の情報番組でお天気お姉さんになる余裕くらい、あめあがりさんに与えられているんじゃないですか?」

「ない!雨坂の掟を知らぬくせにぬけぬけと申すな慮外者が」

「また出た!今度は掟ですか、じゃあそれも収納箱にしまっちゃいましょうよ!」


「笑止!悔い改めよ!」


 次の瞬間、僕の視界が急展開する。

 ぐらぐらと動いたと思ったら、みぞおちあたりに蹴りを入れられたような衝撃を覚え、しばしの無重力感覚を味わう。

 巴投げだった。

 着地にはふかふかのぬいぐるみがたくさん敷き詰められていたから無事で良かったものの、これが素の床だったら頸椎をやっていた自信がある。


 ぬいぐるみに埋もれ、天地の区別がつかない僕のところにあめあがりさんがやってきた。

「申せ」

 冷淡な声、でも僕は言ったことに後悔なんかしていない。

「僕の言いたいこと全部言いましたよ」

「違う……私の相談の答えだ」


「………………」


 僕は無視するように黙った。代わりに強く目を瞑って押し黙った。

 路傍の石みたいな僕がたいそうな答えなんか持ち合わせていない、それも確か。

 でもそれ以上に。


 答えたくなかった。


 届けよ。


 突っ走れよ。


 僕の好きなあめあがりさんでいてくれよ!


「……またもや沈黙か」

 駄目か。やはり言葉にしなきゃ伝わらないのか?

 そう僕が諦めかけたとき。

 あめあがりさんが狂ったようにわらい出した。


「くっくっく……あーはっはっは!はっはっはっは!」

 何事かと這い出したところ、あめあがりさんはお腹を抱えて、とても愉快そうに笑っていた。

 理解不能。

 そんな感じで見つめていたら、あめあがりさんは目元を指で拭いつつ腑に落ちたように話し始めた。


「実に痛快にして本質的な回答だ、恐れ入ったぞもっくん。沈黙こそ真理への扉とはよく言ったものだ。扉を開けるその機会を私に譲るとは粋なやつだ、ますます気に入ったぞ!」

 それだけでは飽き足らず、なんと部屋中に張り巡らされた曼荼羅模様の壁紙を剥がし始めた。

 簡易なものだから大丈夫。

 散乱するもの達を蹴散らしながら、カーテンでも開けるように爽快に剥がしていく。

 そして最後に、通路側の一面ガラス窓に貼り付けた壁紙に手をかけると、きっぱりと僕に宣言をした。


「私は私の将来のため自分が決めた道を駆けよう。しかし今は高校生、されどあと一年の猶予もない高校生。未来のため何が出来るか、否!私は今、遊ぶための部活を創ることを決めたのだ!無論、私を焚きつけた貴様にも大いに貢献してもらうぞ!」


 その表情は雨上がりの空の下で僕に見せてくれた無邪気さに、さらに生き生きとした憧憬を掛け合わせた、まるで煌めく虹を描いたような笑顔だった。

 僕の限界を超えた驚愕などつゆ知らず、あめあがりさんは地平を駆ける獅子のごとく、猛々しくも意気揚々と壁紙を剥がしていった。


 突き刺すような眩しい光、僕の頭に宇宙開拓という言葉がふと浮かんだ。

 そうかあめあがりさんと部活を創るなんて、まるで地球外の星へ移住を決意した人にでもなった気分なんだ。

 未開の地を目指す期待と高揚、でも遠ざかっていく故郷の星に寂しさと不安を溶かし込んでいくような……ん?


 同好会ならまだしも、部活って遊び目的に創部してもいいのだろうか。

 部費で超有名レジャー施設を巡ったり、ゲーム買って夜通し遊んだりするのだろうか。

 布団をふたりでシェアしながらギャルゲーの選択肢場面であーだこーだ言いながらプレイする……いいねそれ採用!

 でもまあ何はともあれ、あめあがりさんとの関係がグッと近くなるのかなと思ったのも束の間、またもや懸念となりそうな事項が発生した。


「え……あれ誰?」


 と指さす僕。

 あらわになった通路から、ひとりの男子生徒がこちらを覗き見る恰好でいた。

 びっくりした状態から慌てて体裁を整えると、すかさず僕のことを睨んできた。

 そりゃあもう怨恨の鬼みたいな形相で。



 いやあ……二重に参ったな。

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