第6話 何を他人事みたいに言っておるか。

「私は将来のためだけに生かされているのだ」

 あめあがりさんにしては力感のない声だった。

「将来のためだけ……ですか?」


「さよう。貴様も知っていることだと思うが私の家系は代々、教育事業に携わっていてな。この雑高さいこうは我が雨坂グループが経営する学校の内のひとつなのだ」

 「え……えええええええ?!」

 知らなかった。

 僕はあめあがりさんの並外れた行動力しか知らない。


 ひょっとして、僕以外周知のことだったのか?


 あまりの無知さに、あめあがりさんはがっくり。眼鏡がずり落ちた。

「よもや全く知らぬとは思わなかったぞ」

 と眼鏡をかけ直しつつ、呆れたような感心したような半分半分に言った。

「ふむ、それでこそもっくんであるといえるが……くっくっく。まあよい、話を続けるぞ」


 失笑のあめあがりさんはテーブル上のとんがり帽子付き水晶玉を床に置いた。

 それから制服のポケットから手のひらサイズのマトリョーシカを取り出して、それを若干の左肩下がり、三体にして並べ置いた。

 そして僕が疑問を呈するよりも早く、あめあがりさんが順番に指をさしつつ説明する。


「もっくんから見て左側のかわいらしいマトリョーシカを雨坂グループの過去としよう。順に真ん中が現在、一番右の大きなのが未来だ。私は常にこの右端のマトリョーシカのためだけに生かされていると言った」


「はい。でもそれがどういう……」

 と僕がそう言うと、あめあがりさんはマトリョーシカにさしていた指を、今度は、茶目っ気を含ませながら唇にあてた。

「慌てるな。今から説明しようぞ」


 と愛らしく振る舞うあめあがりさんは、雨坂グループの過去とやらに見立てた一番小さなマトリョーシカを持って語り出した。


「江戸中期の寺子屋を起源とする我が雨坂グループは『人情こそ教育の礎なり』をモットーに、明治大正昭和の時代を時間をかけて、文房具製造と教科書出版と学校経営、これら三者を生業として人々の暮らしに寄り添いながらもしかし着実にのんびりと成長を重ねてきた同族経営企業なのだ。ところが祖父がグループを総括するようになった三十年前からは方針が代わり、人々の心からかけ離れた急進的な経営を行うようになった。おかげで確かに業績は好転したが、代償に雨坂の人間はヒトに成り下がった。すべては売上至上主義の波に乗り遅れないようにするための脱皮。はっきりいってしまえば、家族経営死守のため初心を斬り捨てたグループなのだ、雨坂は。私は両親はもとより、一族全体から次代のグループ経営者として統べるのを期待、いや、絶対視されておる。社員教員合わせて五千人を支え、しかしこれからも、窮屈で堅固な組織を築きあげていかなければならない。いわばワンサイズ上のマトリョーシカを作らされ続ける、そのためだけに私は存在しているのだ」


 話の中で順々にしまわれ、最後に残った、雨坂の未来と位置づけられたマトリョーシカ。

 僕はそれに言いようのない虚しさを感じた。


「そんなはずは!……ってすいませんつい」

「よい。そう言ってくれる人間は実に少ない。それだけで救われる思いになる」

「でもそれじゃ」


 あめあがりさんは首を振った。


「昔は雨坂の家に生まれてしまったことを自他に呪ったものだが、今は別段嫌ではないのだ。むしろ雨坂家に与えられた宿命など私の足元にも及ばないことを証明してやりたいとさえ思っておる。であるからして、私は世界中の人々と人情と教育の交流がしたい。そしてグローバル教育事業者として他の追随を許さないほどに経営展開させたら、早々に引退して後進に譲るつもりだ。作るんだったらマトリョーシカではなく、いわく付きのビスクドールのほうがよいしな」

 と口角をあげたあめあがりさん。


 雨坂家の宿命とかだなんて、父さんみたいに労働時間を短くして趣味のために使わせろと言っている人には到底背負いきれないレベルだと予想する。

 学年は違ってもまだ同じ高校生なんだ。

 僕はどのようにして、その反骨心が唸りをあげることになったのか不思議でならなかった。


「だがしかし、ごく最近、私に疑問が生じたのだ。このまま私は現在の雨坂の方針に背いてでも私の人生を生き抜いてよいものなのか、熟慮して再考すべきではないのかと」

「いいに決まってるじゃないですか。お家の宿命だか決められた未来なんだか知りませんけどね、ここはひとつあめあがりさんの持ち前の行動力で盛大に突っぱねましょうよ!」

 

 そんな不条理あってたまるかってんだ、美人なあめあがりさんには広大な世界がお似合いなんだよまったく。

 僕は腕を組んで憤慨した。

 そして相談されている身だということも忘れていた。

 だから。

 そうですよねあめあがりさんという目配せをしたところ、先輩は目を丸くして軽く驚いた表情を作っていたのだった。


「何を他人事みたいに言っておるか」


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