第5話 私のことが見えていない輩に返答する義務はない。

 四月七日。

 その日は始業式で予報通り、全国各地で雨。

 花散らしの雨だった。


 学校は午前で終わり、まだ単独行動ソロアーティストだった僕は足早に、大勢の生徒に紛れ家路につこうとしていた。

 雑高さいこう正門前、リオデジャネイロにあるコルコバードのキリスト像ほどじゃないけれど、僕たちは丘の下の街を見守るトーテムポールを目にする。


 そこで僕は――長い脚立に座って雨に濡れながら、彫刻物を丹念に拭いているあめあがりさんを――見かけた。


 目的も意味も不明なその行為に、僕は傘の集団を離れ吸い寄せられていく。

 異性とは見ていない。

 完全に興味の対象として見ていた。


 近くで見るあめあがりさんは頬に濡れ髪を張りつかせ、真剣な眼差しを送りながら、柱の上部を真心込めて拭いていた。


 僕の身体を巡る血が騒いだ。

 

 雨なんてコーティング剤。

 職人のように黙々と、磨きあげる。

 その姿、なんと美しいことだろう。

 まるでナイチンゲールのような慈愛と献身と勇気の結晶体。

 見事なまでに完成された美少女。


 僕は、奇跡の美少女と出会ってしまったんだ!


 みっともないこじつけだった。

 中学生の頃、地味で目立たなかった自分でも新しい環境でならモデルチェンジぐらいは難なくできる。

 それを見せつけてやりたい、しかも対抗したい。

 自己顕示欲を満たす恰好の相手として、僕はあめあがりさんを選んでしまったんだ。


 だから前置きもムード作りも何にもなく、


「大好きです。僕と付き合って下さい!」


 と無責任な言葉を投げつけた。

 あめあがりさんは作業の手を止め、脚立の下の僕の方に顔を向けた。

 水滴のついた眼鏡のまま凝視、その目力凄まじく、僕はまるで四方八方から監視されているような錯覚をおぼえる。

 やがて照会もそこそこに、あめあがりさんはぷいとトーテムポールの方へ向き直ってしまった。

 手応えがまるでない。

 それを焦らし作戦とみなす僕の思惑は、次の言葉で見事に粉砕された。


「私のことが見えていない輩に返答する義務はない」


 叩きつけられた白紙回答。

 それに罪悪という文字が炙り出される。

 目を見ただけで見透かされていた。

 僕はただ見つめ返すことしか能がなかった。

 あめあがりさんは何事も無かったように作業を再開、せっせと拭きながら追い打ちを独り言にのせた。


「どうしても答えを欲するというのであれば、最悪のタイミングで貴様に返答してやろう」


 この時からだ。

 形式的ではあるけれど僕は、恋愛裁判の被告となった。

 そこに実質的な意味が伴うようになって二週間後まで戦々恐々としていたのは、この後すぐの出来事のせいだった。


「それから」

 ん、それから?


「もっくんの羞恥話に私を付き合わすなこの慮外者が」

 

 おやおや?

 僕の記憶ではあめあがりさんはそんなこと言っていないぞ。


 いやいやいや。


「僕の思い出に口を挟まないで下さいよ!」

「は、やはりそうか。どうりで貴様のつまらない目と鼻がうねうねしていたというわけだ」

 あめあがりさんはテーブルに片肘をつき、うろんな目を僕に差し向けながら言った。

 そんな変質者並みの顔で僕は回想をしていたのか。

 しかしそれでは納得がいかない。


「あめあがりさんだって……なんですかこの部屋は?」

 僕はクォーターサイズのバウムクーヘンのような元体育教官室を見渡して言った。

 香の薄い煙が漂い 、照明まで曼荼羅模様の壁紙で覆われていてひどく薄暗い。


 なにしろ部屋中が人形だらけだ。

 テディベアをはじめ動物の愛玩用ぬいぐるみもあれば、水牛の頭蓋骨の上に乗って十字架を担がせるビスクドールや金の阿修羅像の腕に目隠しされた市松人形をぶら下げているようなものまであった。

 こう言ってはなんだけど、女の子の猟奇的世界観に放り込まれたような。

 ただただ怖い。そんな印象を受ける部屋だ。


「何だこの部屋はって人生相談コーナーなのだから、雰囲気を重視したのだ。どうだこの内面の深淵まで覗かれるような感覚、吐露の衝動に駆られるであろう?」

 とあめあがりさんは自慢げに見せびらかすも、申し訳ありませんが僕には……。

 「呪いの声が聞こえてきそうですよ!相談どころじゃないですって」


「む」

 あめあがりさんは少しだけ顔を歪めた。

「良いではないか。ドール・プロジェクトという言葉があるほど人形は、人と人を繋ぐ友好の媒体でもあるのだ。それに今日に限っては相談者は私なのだぞ」

 と口を尖らせて言うといよいよ頬を膨らせる。

 僕の神経が変な方向に偏った。


「えとえーと……そう!僕はこう言いたかったんですよ。あのビスクドールなんて、精巧なつくりかつリアル感満載で見とれちゃうから、相談は二の次になっちゃいそうですねえって」


「ふん。あれは一八七〇年代にフランスはパリの人形職人が作製したドールだ。作者は完成したビスクドールと一緒に買い物するのが唯一の楽しみだったのだがな、ところが街を歩けば市民からは気持ち悪がれ、ついには暴漢に襲われ命まで落としてしまった。嘆かわしいことだ。作者の最期はドールを守るため、抱きしめたままの姿だったと云われておる。そんな家族と遜色ないドールへの愛情を醜悪と捉えてしまう人間の浅はかさよ。貴様も同様だ、呪われてしまえ」


 しまった、ぬかった!

 次、早急に次の話題を見つけるんだ僕! 


「どうしたもっくん。目が泳いでおるぞ?」

「泳いでません泳いでいませんよ?あ!あの市松人形の目隠しときたら――」


「作者は不明だが先の大戦の最中に作られたものだ。しかし空襲にあい、家も持ち主の家族も全て燃えてしまった。その家の焼け跡からはまるで、火が自発的に避けたかのような無傷の市松人形がそれだそうだ。かわいそうに。突然主人を失い、以降忌み嫌われつつ主人を転々とさせられた孤独な人形。私はそれは真実ではないと教えるため、敢えて目隠しで吊り下げたのだ。呪われてしまえ」


 万策尽きた。


「ごめんなさいでした!」

 

 僕は腰をめいっぱい折り曲げて謝罪した。

 幾つ間があいたのかわからない。

 頭をあげた時、あめあがりさんは鼻を鳴らしながら、とんがり帽子をテーブルの上の大きな水晶玉に被せた。

 帽子で気づかなかったけれど、あめあがりさんは髪をおろしていた。

 こんなときでも、ポニテじゃない先輩もかわいいなぁだなんてことを思ってしまう。


「もっくんよ」

「はい!」

「うるさい……貴様は将来あるいは未来のことをどう考えておる」

 それはあめあがりさんと僕の……意味ではなかった。

 先輩は目線を伏せ、殊勝な面持ちだったからだ。


「具体的なことは考えたことありません。漠然と、高校卒業して、大学行って、就職して、そのほかに素敵な恋愛ができたらいいなあとかいい家庭が築けたらいいなあとかそんなんですよ」

 率直に思ったことを告げた。

 あめあがりさんは僕の言葉を咀嚼するように頷きながら聞いていた。


「そうか。起伏のない人生計画だな」

 人はそれを普通と呼ぶ。

 地味な僕にお似合いの人生ですから。

 とたぶん弓削君相手になら、にへら顔作ってそう言っていたのかもしれない。

 でも相手は雨坂小晴あまさかこはる、あめあがりさん。

 ヘタな返しをしてそっぽ向かれることはもうしたくなかった。


「地味こそ僕の取り柄です。今、僕が踏みしめている時間こそが、僕が大切にしたい時間ですから!」


 ヘタレな僕のただの願望でしかない。

 でも自分の将来よりもあめあがりさんと会話をしている今の方が、大事なことのように思えて仕方がないんだ。

 嘘じゃないんだ!

 それが伝わったのか定かではないけれども、少なくとも、あめあがりさんの表情には余裕さに混ざった柔らかな自信が戻っていた。


「少し話が長くなる。聞いてもらうぞ」


 願ってもない、嬉しい申し出だった。

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