第4話 黙れ、私が許可した。

 UFOコロシアムと呼ばれているけれども、実は外観はなんてことない円柱型の三階建て建物。

 由来は不明だが、僕が初めてその名前を聞いた時、SFティックな近未来的建築物を想像してしまっただけに、知ってしまった時の失望感はとても大きかった。


 まあそれはよしとして。


 内部構造を例えて言うならば、バウムクーヘン。

 四つのガラス張りの部屋に休憩所とトイレと出入り口を合わせると、ひとつの円ができる仕組みだ。

 一階は主にダンス部が使用するダンスレッスン場、二階は運動部が筋トレ目的に使用するトレーニングジム、そして三階がそれらのインストラクターの控え室と体育教官室だ。


 あらかじめ言っておくよ。

 体育教官室は消滅した!


 直結する空中廊下から見て奥側。

 目立ったのは内側からガラス一面にびっしりと張り巡らされた曼荼羅模様の壁紙。

 またその部屋からは香を焚く匂いが漏れているのか、近づくごとに強くなっていった。


 それとスライド式ドア横に、二本足で勇ましく、長槍を持って立つゾウの像が設置されていて、その脇に置かれたアンプからはガムランが奏でられていた。


 あるべきはずの表札が取り除かれていたけれども、揉み手をして誰かに確かめるでもない。

 ここが、宗教的な雰囲気と酔狂さを見せびらかしているこの部屋こそが、ほかでもない雨坂先輩が人生相談コーナーとして占拠した元体育教官室だ。


 本当にごくごく普通の、当然の発想として。

 学校の許可とか権利問題はどうなっているんだろうね。

 僕はため息をひとつ吐いてからノックした。


 いやいや待てよ。


 と寸前でその手を止め、僕はもう一度確認とる。

 僕は裁きを受けに来たと思っている。

 勢いだけで何もかも上手くいくと思っていた、あの日の。

 雨の日の始業式に犯してしまった許されない過ちの。


 


 そう思った途端、心拍数が急上昇した。

 手汗に始まり、次第に寒気と軽い目眩に襲われ、立っているのがやっとな状態に。

 自重に笑う膝を押さえ、心もよれきった自分を嘲笑う。

 やっぱり無理だこんなんじゃ。

 もうその時の僕じゃないんだ。

 無謀で愚かで身の程知らずのとんだ馬鹿野郎な僕じゃないんだ。


 逃げよう。


 ここまで来たんだ。

 弓削君言ってたじゃないか、逃げることは恥じゃないって。

 そうだよ。

 別に恥じゃないんだ。

 ここまで来たという事実が、逃げる前提じゃなかったと証明しているじゃないか。

 だから、僕は逃げていいんだ!


 待ち受ける懲罰がタイキックでもスクリューパイルドライバーでもいい、とにかく最後の力を振り絞って引き返そうとした。

 ところが僕は思わぬことにつんのめってしまった。


「む」


 僕の声じゃない。

 いつの間にか僕のすぐ側に誰かが立っていたんだ。

 ぶつかりこそしなかったけれども、僕とその人は極めて密に迫っていた。

 僕は両手をあげて、全貌を覆い隠すような大きなとんがり帽子を被ったその人から離れようとしたら。

 僕の胸ほどの背のその人が、やおら顔を上げた。


「何をぶつぶつ言っていたのだ。こんな所で愚図愚図してないで、男らしく、堂々と入らぬか、よ」


 で僕を呼んだその人。

 水色フレームの眼鏡に潜む切れ長の目。

 白雪のような肌の小顔に相応しい、整った目鼻立ちに薄い桃色の唇。

 立ちのぼるあまい香り。

 というか絶対的に近すぎて人肌の温さが伝わってくる!

 そして何よりもコスプレかわいい!


「あ、雨坂先輩ぃぃ?!」


 僕は奇声を上げつつエビのように後方に跳ね、そして尻もちをついた。

 動揺っぷりが甚だしく焦点が合わない。

 その姿がよほど情けなく映ったのか、黒いマントを羽織った魔女っ娘スタイルの雨坂先輩は不機嫌な顔をして僕を見下ろしていた。


「あめあがりさんと呼べと言ったであろうが」


 不満ポイントがピンポイント!


「で、でも!それを僕が呼ぶ権利なんて」

「黙れ、私が許可した」

「あまさ……確かにあめあがりさんはそう言いましたけれど、僕なんかが気軽に呼んでいいはずが」

 と身振り手振り交えて言うと、あめあがりさんの眉間にめきめきと鬼渡りのようなシワが寄った。


「貴様、同じことを私に言わせる気か?」

 その凍てついた言葉に僕は反射的に正座の姿勢になって、首がねじ切れるほど左右に振る。

「滅相もございません!」

「まあよい。ほれ、さっさと中に入らぬか。それとも」

 あめあがりさんは不意に口角をあげた。


「始業式の日のように、好きでもない女をまた口説いてみるか?この前のように雨も滴るいい女ではないがほれ、今の私はファビュラスな魔女っ娘だぞう?」


 先輩はおどけて見せたが、僕にとっては心臓に針が何十本も刺さったような気にさせられた。

 判決の時が来たと思った。

 僕は好きだという気持ちや愛しているという想いは、後から勝手についてくるものだと思っていた。


 あめあがりさんの言う通り。

 僕は当時、恋愛感情を大して抱いてもいないにも関わらず、入学式のあめあがりさんに感化され、気だけが大きくなっていたその勢いだけで、雨に打たれる先輩に告白してしまったのだ。

 無礼で傲慢で恥ずかしい僕の罪。

 僕はどんな罰を受けてもいいように唇を噛んだ。


「っ……」

「ジョークだ。ったく曇り空を寄せ集めたような顔作りおって。それだから貴様はもっくんなのだ」

「でも……でも」

「でもでもって貴様はデモクリトスか。あの時のことならばすでに赦しておる。ちょっと根に持っているくらいだがな」

「やっぱりそうなんだあああああ」

「うるさい。貴様に贖罪の気持ちがあるのであれば、人生相談に乗らんか、私の」


 僕は頭を抱えて悶絶するのを止めた。

 判決を言い渡すのでは?

「人……生……相談?あめあがりさんのですか?」

「そうだ」

「僕に相談するんですか?」

「そうだ」

「なぜですか、判決は?」

 と迂闊にも訊ねてしまった時だった。

 あめあがりさんの両腕が伸びてきたと思ったら、胸ぐらを掴まれ、肉薄してくるおでこが見えた。


 そうしてガムランの演奏に鈍い音を立てて合いの手を入れる頭蓋骨、額が焼けるように痛い。それに首もとを締めつけられて息苦しい。

 額と額をくっつけたまま、あめあがりさんが眼鏡越しに睨みつけたまま言う。


「私の人生相談に乗るのか、乗らないのかはっきりしろ」

「の、乗りまふ……」

「よろしい」

 喜色満面。あめあがりさんは僕を解放した。

 相談?

 いったい何を僕に。

 もちろん贖罪の気持ちは大いにある。

 ただ入学式を大荒れにさせ、毎朝精力的に活動している人が、味も素っ気もない僕にどんな相談要件を持ちかける気だ。

 

 まあ今考えても仕方がない。

 先輩と僕はもはや刑務官と囚人のような関係なのだから。

 もう逃げたくても逃げられない。

 僕はあめあがりさんにネクタイを引っ張られ、おぼつかない足取りで部屋の中に連行された。


 ただこの付き従う感じ、悪くはないよ。

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