番外10:人外ラブストーリーは突然に
甘いラブストーリーが書きたかった。カッとなってやった。後悔はしてない。あと、需要がないのは知ってる。
……読まなくても本編には影響ないです。
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ベルトラとライネケは午前の日差しに輝く海を眺めていた。そろそろ9時。この時間になると悪魔の姿も少ない。
二人は近くの屋台で買ったフローズンヨーグルトを分け合って食べていた。
「あの屋台の腕はイマイチだけど、このフローズンヨーグルトってのは、うん。なかなか美味しい。可能性あるね。もう少し食感にメリハリがつけられれば、ウチの店でも出してもいいかもしれない。お酒飲んだりした後に口の中がサッパリしていい。柑橘系のシャーベットよりあたりが柔らかいし」
ライネケは長い舌で唇を舐めながら考え込む。
「甘みのない、薄いチョコレートを混ぜ込むのはどうだ?」
「ああ。さすがベルトラさん。プレーンなら試してみる価値はあるな」
ベルトラは隣でフローズンヨーグルトをめぐるあれこれに夢中なライネケを見た。
二足歩行のキツネ型悪魔の例に漏れずライネケは小柄で、ベルトラの腰を超えるくらいの身長しかない。マスク・ザ・ネドヤでかなりのボリュームをムリヤリ完食したので、腹が膨らんでいる。
永久脱毛した肌は南国の日差しに焼けて赤くなっていた。仕事のとき以外は裸だが、今日は派手なヤシ柄の半袖シャツを着ている。
弟子の店へ行くので、いちおう敬意を払って服を着た、という格好だ。
「シリアル! シリアルはどうだろう?」
興奮した声でライネケがベルトラを見て言う。その真っ直ぐで嬉しそうな視線にベルトラは少し鼓動が早まった。
「それならどんな味にも合わせられるし、いいな。店で出すならフローズンヨーグルトとは別の小皿に盛って、少しずつかけながら食べる形でどうだ?」
「あぁ、それはいい。それならキミの言うチョコもそうして出そう。全体に少し値段を上げて、代わりにトッピングがついてくるって形にしたらウケるんじゃないか」
その姿は活き活きとしていて、魔界の若手でもトップクラスの実力と評価を得ている料理人とは思えない。まるで料理の楽しさに目覚めたばかりのようだった。自然とベルトラの表情も優しいものになる。
いつからだろう。ライネケがこんなに身近で、大切だと思うようになったのは──。
ベルトラは初めて会ったときのことを思い出す。
前任者が警備を中途半端に省力化して解雇されたあと、ベルトラが採用されたのは“短時間に数をこなす経験のある料理人”で“高い戦闘力があり、抑止力があるくらい知名度がある”からだった。特に料理の腕を買われたわけではない。
当時のベルトラにとって、ライネケは雑誌のインタビューなどで見る、遥かに遠い存在でしかなかった。
勤務初日、少し緊張しながら挨拶へ行ったベルトラに、ライネケはにこやかに告げた。
「初めまして。いちおう第2厨房も僕の管轄ってことになってるけど、そこは気にしなくていい。好きにしてくれ。というか、第2厨房まで手が回らないんだ。こっちはこっちで賄い出してるからキミの料理を食べる機会はほとんどないだろうけど、それが残念だと思えることを願ってるよ。前任者はあまり、パッとしなかったからね」
握手したライネケの手は小さく柔らかく、まるで料理人の手とは思えなかった。
それからの年月、ベルトラは料理の腕を磨き、厨房運営の効率化を工夫し、仕入れ先の見直しやコスト管理の向上に取り組んだ。
1日も休まず続くそれはベルトラにとってクリアのないリアルタイムストラテジーゲームのようなもので、少しも飽きることはなかった。
料理人としてレベルアップすると、新たな課題が見えてくる。
それを越えるとまた新たな課題。
自分はどこまで行けるのか。この先には何があるのか。そして、ライネケに追いつくにはあとどれだけ距離があるのか。
空いた時間ができるようになると、知識を増やすために第1厨房を手伝うようになった。いつもは独りで切り盛りしているベルトラにとって、久々に体験するそこは異世界のようだった。
その異世界をライネケは縦横無尽に駆けていた。自ら料理をしながらも全体を見渡し、総料理長として大勢のコックを体の一部のように巧みに扱い、刻々と変化する状況にクオリティを保ちながら即応していた。
料理の腕やセンスが卓越しているだけでなく、ライネケは厨房を回すことにも飛び抜けた能力を発揮していたのだ。
ただ注文された料理を作るだけの以前とは違い、厨房をまるごと一つ任される立場になったベルトラには、その凄さがよく解った。
こうしてライネケに対する尊敬と憧れはだんだん強まっていった。
それから何年も経ったある日のこと。ふいにライネケが第2厨房へやって来た。ベルトラが入店してから初めてのことだ。
「今日は1日、二人の副料理長に厨房を任せることにしたんだ。それで、せっかくだからね」
そう言うとライネケは厨房奥の椅子に座って一日中、一言も喋らずベルトラの仕事を見たり、持参した第2厨房の取引先リストや帳簿を眺めて過ごした。もちろん、他の悪魔に混じって料理も食べた。
それが副料理長たちにとってだけでなく、自分にとってもある種のテストだということはベルトラにも理解できた。
そこで変にベストを尽くそうとせず、なるべく普段どおりの自然体を心がけた。それこそが自分にとってのベストだという自信があったからだ。
一日の営業が終わると、ライネケはようやく口を開いた。
「キミはもう、第1厨房へ来なくていい」
なにが悪かったのか。これまでもそう思われてたのか。ここへ来て成長したと思ったのは幻想だったのか。……どうすれば挽回できるのか。
様々な想いの波に飲まれかけたベルトラにライネケが告げた。
「その代わり、時々でいいからウチの若手をここで使ってやってくれないか。きっと学ぶところが多いと思う。今日一日見てて確信したけど、もしキミが第1厨房で働いてたら、僕が認めて独立を勧めるレベルをとっくに超えてるよ。できるなら僕も弟子の作る賄いなんかじゃなくて、ここに通いたいくらいだ」
そのときの嬉しさをベルトラは今も忘れない。
──けど、今思うとやっぱコイツ、ズルいよな。あんなふうに言われたら、感動して心酔するに決まってるじゃないか。
アガネアはベルトラのライネケに対する気持ちを恋愛感情だと思っている。だが、ベルトラは照れでもなんでもなく、それは違うと思っていた。
それは長年、同じ料理という道を共に突き詰めてきたもの同士だけが共有できる信頼、敬意、親密さ。
──そもそも悪魔の恋愛感情は破壊衝動と一体になってて、まあ、あたしの場合はそれは別モノだけどだからといってやっぱり恋とは違うと……。
「……ーい。おーい。ベル姐さん。聞いてる? なあ、ベル」
「だから、あたしをそう呼ぶなって何度言ったら解るんだ?」
ベルトラは目の前で面白がっているライネケに意識を戻した。
「だって、話聞いてなかったみたいだから。それに何度でも怒るから面白くて。まあ、それを飽きもせず面白がる僕もたいがいだけど」
ベルトラは、本気で怒ってなどいなかった。
ライネケも、本気で面白がっているわけではなかった。
ただ二人の定番の流れが生み出す空気が心地よかった。
ふと、なにか聞こえた気がした。振り返って見ると、遠くの方に──。
「アガネア? それにあっちはヘゲさんか?」
二人が悪魔に抱えられ、すごい速さで飛び去っていく。
なにやってんだあの二人。……ま、ヘゲさんが居るなら大丈夫か。弱ったって言っても、あの人なら並の悪魔が10人20人まとめて来ても余裕だろうし。
それに、見えたのは一瞬だけだったが二人を連れてるのは経営企画室の悪魔だった気がする。
「どうした?」
「いや、なんでもない。それより、よかったのか? コース終わったらすぐ出てきたけど、全体の感想とか言ってやらなくて」
「それは後で手紙を書くから。一皿づつ細かく。最初は終わってから話してたんだけど、キリがなくてやめたんだよ。向こうもあれこれ言ってくるから、次の日の営業準備が間に合わなくなるところだったりしてね」
そこで今日のことを思い出したライネケが不満顔になる。
「店構えや接客については諦めたよ。あれはあれで定着しちゃってるし。それより問題はあの量だ。毎年言ってるのに改善されないし、それどころかスキあらば増やしてくる。今年とかメインに肉選んだ客にはあとで魚料理を、魚選んだ客には肉料理を出してたろ。あれなんか去年はなかったんだ。まったく。バカじゃないか?」
「あたしみたいな体の大きい悪魔にはあれでちょうどいいけどな」
「それなら量を選ばせるべきだ。前に食べ放題的な豊かさを感じさせたいとか言ってたけど、その発想自体がすでに頭悪い」
「けど、おまえが認めて独立させたんだろ?」
「もちろんだ。あいつは技術も、味の感性も、レシピ考案の創造性も優れてる。厨房運営のコツもつかんでる。だから余計に、だよ。あの店の中じゃヒーローかもしれないけど、もっと外の世界にも目を向けるべきだ」
「それは、あたしも耳が痛いな」
「キミはいいんだよ。ここに来るまであちこち回ってたんだから。あいつは最初に僕のとこに来てそのまま独立したからね」
「おまえの勧めでな」
「だって、いきなり自分の店持つとは思わないだろ。てっきりいろんな店で修行して回ると思ってたんだ。
世界にはキミみたいな料理人がまだまだいるんだから、もっと真剣に、本気で学びに出るべきなんだよ。
そうだ。このことも手紙に書いておこう。とりあえず第2厨房にメシを食いに来いって」
その言葉はベルトラの耳に心地よく、それでいて違和感を与えた。どうもライネケは自分を過大評価している気がしてならない。
──そういやこいつ、あたしのことどう見てるんだろ。
料理人として評価されてるのは判る。けれど、それ以上のことは判らない。
気がつけばベルトラは、疑問を口にしていた。
「なあ。ずっと一緒にいたいと思った悪魔なんてのはいないのか? 傷つけ合うような?」
──は!? 何言ってんだあたし。そうじゃないだろ!
焦るベルトラをよそに、ライネケは鼻で笑った。
「傷つけ合うような? そんな時間があればレシピの一つでも改善したいよ。だいたい、僕が本当に興味を持って一緒にいたいと思うのは、優れた料理人や見込みのある料理人だ。まあ、そういうのには早く独立してもらいたくなるけどね」
「なんでだ?」
「あまり長く一緒に働いてると、どうも緊張感に欠ける気がするからだよ。マスク・ザ・マリーみたいなのも本当は手元に置いておいたほうが店としてはいいんだろうけど」
ライネケは肩をすくめた。
「独立してくれたおかげで毎年、あいつの店に行くのが楽しみではある。一年も離れてれば、どんな成長をしてるか解らないから。けど、そうだなあ。たとえば同じ店で働いてる優れた料理人でも、ケータリングだとか外売りのランチだとか、そういう全然別のラインを担当してたら、結果的には“ずっと一緒にいられる”ってことになるかな」
それはライネケと同じ百頭宮で働きつつも別の厨房でスタッフ向け食堂を預かるベルトラには、自分のことを言っているようにしか思えなかった。
しかし、それを喜びとして話を終えるにはベルトラは少しだけ慎重すぎて、少しだけ思慮深すぎた。あるいは少しだけ、欲張りだったのかもしれない。
「それって、誰か具体的な悪魔でもいるのか?」
「いいや。今はじめて考えたことを喋ってるだけだよ」
そこで、何かに気づいた様子のライネケ。
「ああでも、キミなんかはそうなるか」
まるで初めて隣に立っているのが誰か気づいたかのように、目を細めるライネケ。
──まったく。これだからコイツはズルいんだ。
ベルトラはライネケに薄く微笑んでみせた。
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