第6話 あの日、木の下
朝、起床するとすぐ、ケータイと財布だけ持って家を出た。小雨だったが、そんなものは気にならない。昨夜から続く違和感が、歩く俺を駆り立てる。
記憶がおかしい。
今まで昔のことを忘れたり、物覚えが悪いなんてことはごまんとあったが、一度見たものが記憶の中ですり変わっているなんてことはただの1度も無かった。
確かに少女を家まで送ったのに、そこから立ち去る時横目に空き地が見えた気がする。
そこに家が無かった…そんな気がする。
駅へ向かういつもの道、昨日も通った道。
少女と出会い…。
「確かに俺はそこのコンビニで………ッ!?」
早歩きの足を止めたのは、コンビニの傘立ての横に落ちていた未開封の食玩と包装されたままのタオルだ。
俺の心臓は、一瞬止まっただろうか。俺の脳は、一瞬死んだだろうか。
俺は動くことも出来ず、固まったままその2つを見つめていた。
頭を過ぎる全ての妄想、予感を振り払うように駅方面へ走り出す。だが1分もしないうちにもう1度足を止められた。
あの少女を初めて見た、十字路の木の下。
そこに小さな花束が置いてあった。
********
カズキが例の空き地につく頃には雨は止んだが、以前空気はずっしりのしかかってくる。
いくら考えたって答えはでない。落ちていたのではなく、丁寧に供えられていた花。実際に消えてなくなった少女の家と、不可解な落し物。
更には昨日感じていた視線、答えはほぼ出ている様なものだった。
それでもカズキの思考は縛られたまま。
「彼女がなんだろうと関係ない、この命はあの子に救われたものなんだ。あの子が何者なのか、俺には知る義務があるッ!」
そう言ってまた、十字路まで全力疾走で戻った。
*******
十字路に張り込んでこの花束の事を聞いて回ってどれだけたっただろう。おそらくは…事故、それでも、誰かから聞かないことには信じたくない。
昼過ぎ、昼食も取らずに5時間は経った。一向に事情を知るものは現れない。近所に住んでるという人からも、「いつも花が置いてありますけど、詳細は分かりませんね」と言った答えしか帰ってこない。
もうそろそろ引き際か…。出来ることならあの子の名前だけでも知りたかった。
祈りと感謝を捧げるなら、ここでもいいのかな…?彼女の魂がどこに眠っているのか、墓参りくらいしたいものだが。
俺は静かに合掌し、強く目を瞑った。
「…………ありがとう…」
濡れた髪から
自己嫌悪に陥りそうなほどのやるせなさ、そして行き場を失った感情。
俺はただ、ここで手を合わせることしか出来ない。
「おやぁ、先客とは珍しいねぇ」
後ろからゆったりとした女性の声が聞こえてきた。
振り返るとそこには、中年を少し超えた女性が花束を持って立っていた。
「この子のお知り合い?」
この子?
「えっ、あ、いや」
「んん?知らないのかい」
「あの、あなたはここで何があったか知ってるんですか」
「そりゃあね、知らりもしないのに花束をお供えしに来たりしないよ。あんたみたいにね、はは」
女性は笑いながら元から供えてあった花束の横に花束を置いた。
「いえ、これは俺が持ってきたものじゃないですよ」
「…そうかい、じゃあんた以外にも来たってこと…久々に賑やかじゃないかい」
「………ここで何が起きたのか、教えてください」
一瞬考えた後、静かに話し始めた。
「あれはもう十年以上前の話しさ、私はこの道を歩いていた。今でも鮮明に覚えているよ、あの時私は買い物をしに出かけてたのさ。そうしたら小学生くらいの女の子が後ろから走ってきたんだい、あたしがちょうどこの木の下にいた時だね。横から走ってくる車も見えていたんでその子の進路を塞ぐように止めたのさ……。」
女性は少し止まった、目を閉じ、息を整える。
「止めたことで少女も車に気づいたんだろうね…、そのまま私を突き飛ばしたんだ。咄嗟に止めに入っていたからバランスが取れずに私はその場で後ろのめりになった。
そこに車が突っ込んできたのさ、もっとも、車の真正面にいたのはあたしじゃなく…その子だったけどね………。」
「え?」
「その子からは車が見えていたんだね、あたしは車は真っすぐ走ると思い込んでいたけれど、実際は違った。運転手は正しい判断ができずハンドルを逆にきった。」
「そんな……それじゃあ、その子は…」
「…………亡くなったよ、あたしの目の前で、あたしを助けて。後から聞いた話じゃ飲酒運転だったって話じゃないか、まったく…むごいことだよ……」
昨日の彼女の姿が鮮明に思い浮かぶ、あの姿のままこの女性を助けたシーンを想像するのは容易だ。だがそれ以上に、悲壮感に襲われる。
彼女は人のために命を
そう考えたら、彼女が誇らしくさえ感じてきた。
「彼女の名前とか、何か…お墓の場所とか知りませんか…?」
「ごめんなさいね、事故の後長いこと眠っていたのさ……あたしもその子お墓とか知りたかったんだけどね、あたしにはこうやって現場に花束を届けに来ることしかできないんだい」
「そう…ですか、ありがとうございます。」
「そういうあんたはどうして探しているんだい?名前も知らずに…」
「……………あなたと同じです、この子に助けられた。信じられないかもしれませんが」
その人は軽く笑い飛ばし、名刺を取り出した。
「はっはっは、あたしだって最初は小学生に命を救われたなんて信じられなかったさ、あんたも何か不思議な体験をしたというなら信じない理由はないね。これ、あたしのやってる花屋の場所ね、恋人への花束でもなんでも買いにおいで、まけとくよ」
明るく気前のいい女性、名刺には「片岡ミズキ」と書いてあった。
「片岡さん……俺も墓…探してみます。見つけたら花、買いに来ますね」
同じ体験した人に会えて心強かったのかもしれない。
俺は自然に微笑んでいた。
********
片岡さんはお墓がどこか知らないと言っていたが、実際調べてみてその真相がわかった。おそらくあの人は、調べた結果分からなかったんだと思う。
もし亡くなった人を探すとき、遺族の方と連絡が取れるならはやい。取れないなら苗字、名前でひたすら聞き込みしたり、同じ苗字の世帯しらみつぶしに聞きに行くのが確実かもしれない。
SNSなどを使ってもいいかもしれない。
お金をかければ探偵や、そういったサービスに頼むのが確実だろうか。
しかし、今回は問題がある。まず名前がわからない、これが一番の難関だ。公共機関に頼もうとすると個人情報保護法あたりでスムーズにいかない、お寺を回っても簡単には教えてもらえないらしい。墓参りは善行だから事情を説明すれば協力してるれるかもしれないが、俺の場合説明するにできない。
聞き込みもできない、十数年前はSNSが浸透していた時代ではない。
つまり、詰みだ。
違う方法を延々と試してみては失敗を繰り返し…気が付けば二週間の時が経っていた。
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