飯の頃

@heina

ジャム

悲しいと感じるのはだいたい他人と変わらず、共感されるものばかり。

他人と同じことに安心して、自分が人と変わらないことに落胆する。


けれどひとつ、他人に共感されない悲しみがあることに最近気づいた。

それはジャムを作る工程の、焦げないように鍋底をかき回す時だ。


ジャムもそうだが保存食というものは存外に手がかかる。

手を尽くして、嵩を目減りさせて水気をどこかへやってと食べる量に比べたら手間がかかるのだ。


トマトが嫌い。

私は嫌いな瑞々しいトマトを家の畑で捥いでボールに入れていく。

このトマトは母が気の向いた年に作ってしまうのだけど、毎回自分の食べる量よりもずっと多く実らせてしまう。

母は近所におすそ分けができるから構わないと言うが、貰うトマトを食べたいと思う人間がそんなにいる気がしない。

おすそ分けとは果たして善意なのか嫌がらせなのか、人それぞれの感性に委ねられる難しい行為と感じてしまう。

そんな余ったトマトはほっておけば捥がれることなくその艶やかだったろう実を萎びさせ、次へと命を繋ぐ。

トマトにとってはそれでいいのかもしれないが、その様子は人の目から見てあまり綺麗なものではない。


だからこうして私は好きでもないトマトをわざわざ捥いで、使い道に困るのだ。

そういう時、決まって私はトマトを煮て皮を剥き、鍋にくべて、砂糖で誤魔化したジャムを作る。


トマトのジャムは色が綺麗に出来ない。

トマトで作るから綺麗じゃないのか、私の好きじゃない気持ちが木べらを通して色を濁らせるのか。

前者かもしれない。

だけど後者ならば納得もできる。

そんなジャムを焦げ付かないように木べらで掻き回し続けるのはなんでだろう。


少し涙が出たが、これは嫌った私を恨んだトマトが酸味を飛ばして私の目をこれでもかと最後の力で攻撃しているからかもしれない。

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