青空での企て

 タクトのカバンの中にはラベルのないペットボトルを忍ばせていた。酒瓶から移した水がその中で揺れている。さらにタクトはコンビニでミネラルウォーターを手に入れた。タクトはヨシワラに呪詛の水を渡すつもりであるが、ここにタクトの思惑があった。呪詛の水がどのようなものであるかは理解していなかったけれども、少なくとも毒水、ヒ素やら青酸の入った水のようなものだと考えていた。猛毒であるとはいえ、薄めれば毒の効き目は鈍くなるはずである。呪詛の水を薄めて、致死量に至らないようにしてやれば、ヨシワラの欲求も多少は満たされるだろうし、タクトの願いもまた達成されるわけで。ここでわざわざ遠回りをして買ったコンビニのミネラルウォーターの出番である。

 学校につくとすぐに行動を起こした。二本のペットボトルを手にトイレに入って、流しで呪詛入りペットボトルを逆立ちさせた。タクトは半分ほど流せばよかろうと思っていたけれども、ふと考えを改めて三分の二まで流した。呪詛がどれだけ含まれているのか分からないし、致死量がどれほどかも分からなかったからだった。三分の一まで薄めてもはたして致死量を下回っているかは不明だった。しかしタクトはそこでペットボトルをひっくり返して、キンキンに冷えた水を中に注ぎこんだのだった。極めて感覚的な問題だった。

 希釈済み呪詛の水と共に、タクトは午前中の授業が終わるのを待った。授業の間は、すっきりとした頭で漢文の音読を聞きながら、ヨシワラの姿を性懲りもなく眺めていた。やることは決めた以上ヨシワラを観察する意味なんてありっこない。けれども、どうも視線を勉強へ、大学ノートに書いた縦書きの訓読文を音読に合わせて目で追うのには気分が乗らなかった。

 音読にヨシワラが指名されたときは、自分の名前が呼ばれたわけでもないのに、心臓がきゅんと縮みあがった。一瞬の出来事で、すぐに普通の調子に戻ったのだけれども、タクトにとっては思いもよらないことだった。これからヨシワラに成就の源を届ける、これに人殺しの宣告と同じような恐怖を抱いていたのである。たとえ意識していないとはいえ。

 ヨシワラの声はタクトに石を投げつけているようだった。教諭の指名に従って、漢文を書き下し文として読む。ただ声を出して読む。そこに本人の意思が含まれているわけではない。あるのは、ヨシワラがもつ声、境内でタクトを責めたてたあの声、リズム、調子――丸っきり昨日と同じだった。タクトを責めたてたあの声が、狭い教室の中で再現されている。狭い部屋の中で生み出されたヨシワラの雹が、壁や窓ガラスに反射してタクトをしたたか打つのである。

 結局のところ、タクトが思いもしない攻撃を受けたのは四時限目の古文の一回だけだった。その後十分もしないうちにチャイムが鳴って、急に教室が騒がしくなった。騒がしさに押し出されるように授業を終わらせた教師が教室を出たところ、ヨシワラも席を立って、ここだと覚悟を決めたタクトも腰をあげつつ、手ではバッグを引っ張りあげた。

 タクトがヨシワラに追いついたとき、ヨシワラは階段の中ほどまで上がっているところだった。上の階にあるのは美術室やらの特別な部屋で、さらに上へと駆け上がれば屋上に出れる扉が待ち構えている。呼び止められたヨシワラはひどくいらだっていたのか、振り向きざまにタクトを睨みつけた。視線のとげとげしさにタクトは階段の段に足を踏みいれられなかったけれども、バッグの隙間から除いている白いキャップが、否応なしにタクトの背中を押していた。背中を押すだけでは飽き足らず、ついに声までも押し出させた。話がある、例の件で。

 タクトはヨシワラが行くに任せて後をついていたら、屋上にたどりついた。屋上の中央部分に互いに背を向くベンチが対になって一列に並んでいる。ヨシワラはそのはじっこに腰を下ろした。タクトはヨシワラのそばにいるものの、一向に座ろうとしなかった。座ればいいというヨシワラの言葉にも頑として従わなかった。

「もう殺したの?」

「まだやってない」

「なら早くしてよ。私の願いをかなえてよ」

「俺はやらないし、できない。俺はヨシワラの相手がだれだかしらないし接点もないから、ヨシワラにやってもらった方が確実だと思う」

「どうしてトモを殺すのに脈が必要なのよ、刺し殺せばいいじゃない」

「神から預かったものが呪詛の入った水だから、どうしても飲ませる必要があるんだ」

「呪い入りの水なんて、ずいぶん神秘的なこと」

「うちの神が言うには、ヨシワラの願った呪詛が水の中にこめられていて、それを相手に飲ませればいいんだ」

「それで死ぬの?」

「効果には個人差あり」

 ヨシワラはそこでかすかに微笑んだように見えたのだが、目は全く笑っていなかったし、そもそも微笑みもなにかの勘違いだったかもしれなかった。けれども、少なくともタクトの申し出には怒りをさらけ出さなかったし、まんざらでもないようでもあった。お前がやれだとか、トモに会わせるからそのときに飲ませろといった、十分にあり得る要求を一切しなかった。

 ヨシワラは指先をちょんちょんと動かしてタクトを呼び寄せた。あと一歩踏み出せばヨシワラの足を踏みつけてしまうほどのところまで歩み寄ってみれば、今度は手のひらを向けてかすかに揺らした。なにをしているのかいまいちつかめなかったけれども、早く出してよ、という催促の声にようやく意味を理解した。

 呪詛入りペットボトルに興味があるようで、受け取った途端に四方八方から見回した。けれどもそこにあるのは無色透明の水であって、見ただけで呪詛混入が分かるわけがない。呪詛が食紅だとか着色料のように色つきであれば話は別だけれども。かれこれ一分以上は眺めていた。そうしてから、普通の水にしか見えない、とつぶやいた。

「こんなので本当にいいの?」

「それを使えば間違いないはず。うちの神は呪詛の成就を司ってる。その神が託した水なんだから、成就しないわけがない」

「私がやっても、必ず成就するのよね」

「ただし、これも個人差があるって言ってた。つまり、行動が呪詛として相手に効きはじめる早さは人によりけりだって」

「まあいい、これでトモを確実に殺せるんでしょ。私がそのみじめで哀れな死にざまを見てやろうじゃないの」

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