2 かしこみかしこみ申し上げます

下り参道を上る

 アヤメのあとをついてゆく。途中までは帰り道と全く同じだったけれども、途中で思いっきり道をそれて、そのままついてゆけば住宅街に足を踏みいれていた。閑静な住宅街、とは言えないのは、同じ学校の男たちが騒ぎながら下校しているからにほかならない。見えない連中については、アヤメが一緒にいるせいなのか、一切が話しかけてこなかった。

 タクトの視界の中でどんどん大きくなってきているものが森だった。住宅街の中に忽然と取り残された、あるいは住宅街の一角を占拠している森。アヤメはまっすぐに向かっていた。

 森には出入り口となりそうなけもの道さえない。笹がうっそうと生い茂って、人を寄せつけようとしない。笹の地面から細い樹がにょきにょき飛び出していて、その奥にはもっと太い樹々が迫っている。笹の葉で下の方は全く見えず、木の幹の重なりで、高い方もまた視界がさえぎられてしまっていた。

 なのに、アヤメはためらいもなしに笹を踏みしめて、その森を侵した。スルスルと樹々の間をすり抜けて、笹を踏みしめて、奥へ奥へと突き進む。絶対に着物で立ち入ってはいけない場所だろうに、ごく当然のごとく歩いていた。

 道なき道を進むアヤメ。黙ってあとをついてゆく神代。わさわさと笹が脚を撫でまわす。歩けど歩けど視界に現れるのは笹の葉と木の幹で一杯だ。鼻に上ってくるのも、笹の葉のほどよく青臭いにおいばかりで、鼻は慣れてしまった。耳も笹を踏む乾いた音とときどき笹でない草がぽっきり折れる音がするばかり。五感全てを笹やら樹の幹やらに占領されて、もはやどれだけ歩いてどれだけ住宅街からはなれた場所にいるのか、感覚として分からなくなってしまった。

 そもそも、この整備されていない森が住宅街の中にどんと鎮座していること自体がおかしい。公園にするか住宅にするのが普通なのに、それをしないというのは、やはりいわくつきなのか。そこを工事しようとすれば不可解な現象が起きたり大惨事が起きたりするのだろうか。整備や整地をしない、いや、できないのであれば、そのような事情があると考えるのが自然かもしれなかった。

 いきなり視界が開けて思わず立ち止まってしまった。いままでうっそうと樹やら笹やらが茂っていたのに、いきなり、あたかもこまめに整備されているかのように、草ひとつ生えていない。その代りに敷石が地面をおおっていて、敷石の道をまたぐようにして、鳥居のようなものがあった。『ような』というのは、色が真っ黒であるからである。タクトは鳥居をあまり見たことがないけれども、それでもおかしいことは分かる。鳥居のイメージといえば赤っぽい、けれども橙っぽくもある色合いである。

 黒鳥居を当然のようにくぐるアヤメは石の下り階段を慣れた様子で下りてゆく。鳥居の後の石畳だから参道で間違いはないだろうけれども、下り参道ははじめて歩いた。タクトの数少ない神社参拝経験からしても、基本的に参道の行きは平坦か登り階段だ。

 急な階段を延々と下りて、途中で大岩を迂回した。住宅街と比べればかなり低い土地、住宅街でみた森からは全くイメージができない光景だった。まわりを囲う樹と笹はこの空間をすっぽり隠す天然の柵となっているのがよく分かる。すっかり森らしきものはなくなって、大きな樹がまばらに生えていて、野草は笹だとかほかの花などが点々としている、きわめて不思議な場所だ。

 大岩を回って再び下り階段を下りること百段超、タクトはついに平坦な石畳を踏みしめることができた。初めの場所よりもかなり深い、住宅街の近くにある場所なのに、切り立った崖が樹々の奥にそびえたっていた。

 敷石で整えられた平地の中心に建物が建っていた。しかし、建物というにはあまりにもみすぼらしすぎるものだった。タクトがちょっと視線を上げれば屋根のてっぺんが見えてしまうほどの高さ、両腕を広げれば社をその体で隠してしまうぐらい。塗装はなく、朱色とは程遠く、あたかも木材をそのまま建てるのに使ったかのようだった。そもそも塗装したかさえ疑わしかった。

 アヤメはその物体の隣で、タクトを待っていた。

「こちらでございます」

「ええと、これは、なんですか?」

「こちらがわたくしの社であります。幾分、長いこと神官がおらなかったゆえ、このような有様でありますが」

「ずいぶんとボロボロですね、これをみせたかったんですか?」

「はい。タクト様は神代であります。わたくしの社を知っているのがよしと考えました」

「これって、俺がなんとかしろってことですか」

「いえ、神代たるタクト様にわたくしの社を知っておいてもよかろうと思いまして。なにもしなくてよろしいですが、なにかいじるのでありましたら、社をのぞいては基本的には問題はないと存じます。それに、もしまわりの掃除をしてくださるのでありましたら大変うれしゅうございます」

 タクトが思いついたのは全面改修だった。神社というか、むしろ祠と呼ぶのが正しいそれの老朽具合はひどい。まずは木材を総とっかえして、腐らないように塗料で処理する。それから周りの『境内』にあたる場所。幸い、石畳についてはかなり保存状態が良いから、あとは社の周りを整備すれば問題はない。タクトはアヤメの社の整備を、庭いじりとはそうたがわないと思っていた。土を整えるように境内の整備をしたり、花壇づくりの際にレンガを積んだり木材を組んだりするのと同じように、社を改修できるだろうと考えていた。

「タクト様は、専門の知識がおありなのですか」

「いやいや、知識はないけれども、たぶんなんとかなると思いますよ」

「ですが、建築も平生のそれとは異なりますし、呪詛の知識も求められます。知識がない者が手を出すと命を落とすかもしれませぬ」

「どうして死ぬなんてことがあるんですか」

「社を守るための呪詛が働いております。むやみに壊そうとすればその人に呪詛が働き、命を奪うのです。かつて何度か、呪詛の働く瞬間を目の当たりにしたことがあります」

 なんて物騒な祠なのか。怖そうとする人間を呪い殺す力が目の前のおんぼろにあるとは思えなかった。見るからにもはや寿命で取り壊すのが当然の建物である。あまりにも見るに堪えないのでどうにかしたいけれども、呪詛となればタクトにはどうしようもない。死ぬことを知っていながら呪所を食らいにいくような人間ではない。

 祠には手を出さない方がよいとはいえ、タクトの目には、たくさんできることがあるように思えた。アヤメが言葉にしていたように、周りの掃除はもちろんながら、タクトはここに花壇をつくろうと想像を巡らせてもいた。樹々の壁でおおわれた空間に育つ花やハーブ―幻想的なイメージが頭の中を占領した。

 タクトの脚は自然と社のあたりをうろつきまわった。石畳から足を踏み外し、露わになった土を踏みしめる。囲いの樹々が中に生えていないので、見上げれば木の葉で縁取られた空がある。太陽の光に困ることはないとは思うが、やはり周りと比べて低い土地なので日照時間が短くなるのはしょうがない。靴底越しの地面はやや硬めといった具合だけれども、掘り起こして、樹々のところから腐葉土を運んで来れば育てるには十分な土にはなる。幻想的な雰囲気を持っていたイメージが、徐々に現実感の伴うものに変わっていった。

 そうして現実感が満たされてゆく一方、目の前の土地に対してやらなければならないことを見つけた。タクトはしゃがみこんで、雑草を引っこ抜きはじめた。が、最初の一本を抜いた瞬間に、ここが神様アヤメの社、祠、神社である。神の前で草を抜くことが、草に対する殺生ではなかろうか。

 ちょうどそのときに声をかけられたものだから、額に変な汗がにじんだ。

「なにをなさっておるのです」

「やはりまずかったですか、草を抜いては」

「いえ、全く構いませぬ。ただ、この社を前に草むしりまでしてくださるとは思いもしなかったので、つい」

「俺は庭いじりというか、土いじりが好きなんです。ここもちゃんと整備すれば、ちょっとした花壇くらいつくれるでしょう。あとは、周りに敷石を敷きつめてやれば、雑草がまた生えてくる心配もないですし」

「そんな丁寧な扱い、わたくし、感激の極みであります」

「きれいにするのは当然のことだと思いますが」

「わたくしに仕えてくださる神官がいたころも、そのようなことに気を使ってくださる方はいらっしゃいませんでした」

 はたしてアヤメは本当に神としてあがめられていたのかどうか、疑うしかない言葉である。周りの信仰を集めるのが神社の、神の至上命題というものだろうに。境内の中が散らかっているとなれば、神聖で清浄なイメージから程遠くなってしまうのは明らかだ。神官として神の住処をきれいに、落ち葉ひとつない状態にするのは当然のことであろう。なのにそれがなされないというのは、アヤメは神様として認識されていないのではなかろうか。

 アヤメの言葉があまりに奇妙に思えて、つい口からこぼれ落ちてしまった。

「それって、周りからは神様として認められてないってことじゃありません? 普通神様のためにきれいにするのが当たり前じゃないですか」

「そのようなものでしょうか。幾分わたくしにはほかの神様がたとかかわったことがありませんゆえ、なんともいえませぬ」

「境内というのは清浄にして神聖な場所。そんな場所が落ち葉まみれで草ボーボーだとしたら、人々はその場所が神様の居場所だと思うでしょうか」

「地元の民どもにあがめられる、という性質の神ではありませぬ。かつては、神官が民の言葉を預かり、それをわたくしに託す、というのが流れでありましたゆえ、わたくしが対面するのは神官のみでありました」

 だからといって、無関係ない人がやってこないという理由だけで、境内を荒れ放題にしてよいものなのか。気心の知れた間柄なら多少なら汚れていても、とは思うけれども、神と神官の間柄に気心もへったくれもない。タクトには、アヤメの言い分が全くの意味がない言い訳にしか聞こえなかった。

 だが、タクトは神代となったわけである、今までの神官やアヤメの怠惰が引き起こしたツケを回収するのはこの時代にタクトしかいない。言い分はどうあれ、境内を身勝手に侵す命はタクトが取り除かなければならない。

 一角に緑のはげたスペースができるまで無心に草むしりをしていた。バランスを崩して地面に手をついた折にあたりを見渡してみて、制覇した場所を確かめた。ちょうど半畳ほどのスペースの草がさっぱりなくなって、代わりに小山が石畳の上にできあがった。

 ふう、と一息吐き出すと、頭にいろんなことが吸いこまれていった。このスペースに花壇をつくるのはよそう。石を敷き詰めて雑草が生えないようにしなくてはならない。だとすれば、スコップで地面をさらって石畳よりも高さを低くしなければ。はて、アヤメはなにを司る神様なのだろう?

 たとえば、菅原道真なら学問の神として名をはせている。ほかの神様はよくは知らないけれども、なにかしらの事柄を司る形となっている。ならば、こんなちょっとしたオブジェ程度の社を与えられたアヤメにも司っていることがあるはずである。

「ところで、アヤメ様はなんの神様なんですか」

「なんの、と申しますとなんでありましょう」

「なにを司る神であるか、ということです」

「私は呪詛を司っております、人々が願う呪詛をわたくしが成就させるのです」

「いわゆる、呪い、ってやつですか、亥の刻参りのような」

「さようでございます。しかし、呪というものは厳密には異なります。呪は安泰を願うもの、災いを願うものがないまぜになったものであります。わたくしはその中の災い、呪詛を扱っているのであります」

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