変わる世界
タクトは目の前の現実と自身が思っているあるべき現実とのギャップとうまく付き合うほか道はないようだった。しかも、タクト自身の力、幽霊といわれるだろうブツに対する認識能力も高まってしまったらしい。
アヤメとの出会いの夜が明けて早々、タクトが登校している間、ずっと例の外人がついてきて話しかけてきていた。昨日あんたのとこで話をしていた女は誰だ、紹介してくれ、とすぐ後ろで頼みこんできた。『そういう連中』もナンパはするらしい。特に連中に対しての恐怖心はなかったので、ありのままの事実を、つまりは部屋に戻ってきたら部屋に座っていたことを教えれば、なにもしないで女が寄ってくるなんうらやましいと言われて、しまいには兄貴と呼ばれることとなってしまった。
連中は学校の中でもタクトにかかわろうとしてきた。かなり積極的に。授業のときはちゃんとした教師のほかに、目には見えない教師がいるかのようだった。教師の解説に対して、さらに詳しいことを解説したり、間違いを正したりする連中がいた。複数。男にしても声が低いのからやや甲高いのまで、それから女の声も。中には見えないだれかを教える見えない教師もいた。
ほかにはやたら見えない生徒も話しかけてきた。次の授業の準備をしていたら、ごく自然に話しかけてきて、でもそんな声のヤツいたっけ? と思って周りを見渡してみたら、タクトに話しかけている人はいないというありさまだった。この学校には生きている生徒と教師を合わせた人数と同じくらい、生きていない生徒と教師がいるに違いない、タクトにとって確信するにはたやすいことだった。
現実の学校と見えない学校を経験したタクトは、二重の情報にすっかり頭が疲れきっていた。普通の授業を受けながら、連中の言葉を耳にする。聞きたいわけではないのに聞かざるを得ない。頭の中に音がつまりに詰まって重くなってしまい、今にもぐらついてしまいそうだった。頭がかなり重たかった。
帰りのホームルームが終わって、一刻も早く帰りたいのに連中がここぞとばかりに呼び止めようとする。補修授業をやると言いはじめる男や、ありもしない部活に誘う声やら、そしてこれが一番不可解なのだが、どういうことか兄貴と慕う声までも。あの外人の伝播力はただならないらしかった。
けれど昇降口を出ればたちまち声がなくなった。直前にやばい! あの女がいる! などと耳元で大声を出しまくるものだから、タクトは耳が痛くてたまらなかった。その後に靴を取り換えながら感じた静けさといったら、これほど学校が静かなものだったのかと驚いてしまうほどだった。
この静けさをもたらしたのは紛れもなくアヤメのおかげだった。連中が逃げるぐらいの力を持っている女とすれば、タクトにはアヤメしか知らなかったし、現に昇降口から見える正門にアヤメが昨日と変わらず襟元の崩れた着物を着て立っていた。
タクトが小走りで正門のアヤメのところまで行けば、アヤメはお辞儀をして迎えた。
「やはり、神代となりましてはこの社の者どもがしつこかったでありましょう」
「アヤメ様が追い払ってくれたんですよね」
「さようであります。タクト様が迷惑そうにしておりましたゆえ」
「やっぱり、自分ではどうしようもないんですか」
「いずれタクト様が己の力の扱いに慣れれば、できなくもないかもしれません。少なくとも、現段階ではどうしようもありませぬ」
「なら、しばらくの間は学校の中にいるというのはどうでしょう」
「できぬことではありませぬ。しかし、あの社で平穏を保っている者どももおりますゆえ、むやみに手を出すわけにはいかぬのです」
「でもなにかあったら、たとえば、悪さをする連中が出てきたら」
「わたくしは神代たるタクト様とともにあります。そのときは必ずやその御身を守りましょう」
ごく平然と雑談をしているが、タクトにはアヤメのニコニコした表情がとてつもなくまぶしかった。けれども、口調はまったく楽しそうでなくて平坦な調子で、どちらが本当のアヤメの感情なのかがいまいち分からなかった。
それを確かめようとタクトはアヤメをじいっと見つめてみた。はじめはタクトの行いを理解していない様子で見つめ返していたけれども、すぐに目をそらして背を向けてしまった。あの、と先ほど同様平坦な、けれども小さい声で言葉をこぼす。お連れしたい場所があります。わたくしのあとについてきてください。
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