第4話 光

 あの日、何が起こったのかを、シホははっきりと記憶してはいなかった。


 リディアの剣がクラウスの胸を貫き、仰向けに倒れる姿がやけにゆっくりに見えたこと。そこから狂ったように泣き叫んだこと。クラウスに駆け寄り、彼の身体を揺さぶったこと。シホがはっきりとわかるのはその辺りまでで、そこから先のことは曖昧だった。リディアが一緒にいたはずで、彼ならば全てを見届けたはずだが、シホはあの日以来、彼に会っていなかった。


 気が付くと、リディア・クレイは消えていた。


 魔剣アンヴィと共に。


 魔剣アンヴィは『統制者』によって破壊されたのか、それともリディアが所持しているのか、それさえもわからなかった。


 だが、フィッフスの話では、そのどちらでもないかもしれない、と言っていた。


 リディアとクラウス、『統制者』と魔剣アンヴィの決闘から数日後、シホが目を覚ましたのはマーレイの豪商の館だった。クラウスもそこに運び込まれていて、極度の疲労と無数の傷のせいで、長い眠りの中にあったが、なぜか胸の致命傷は完治していて、命に別状はないとのことだった。


 シホは神殿騎士の面々から、自分がこの館に戻った経緯を聞いた。


 まず、自分が飛び出した後、フィッフスがこの館を訪れた。それから馬車を出すように伝え、これからこの街のどこかで、紅い柱が立ち上がる、そこにシホがいるはずだから、迎えに行くように、と言い残したと聞いた。


 シホは神殿騎士に頼み、フィッフスの店へと馬車を出してもらった。


 路地裏のあの店で、シホを迎えたフィッフスは、シホの突然の来訪に、取り立てて驚いた様子も見せず、すんなりと迎え入れた。


「アンヴィは、おそらくまだ死んでいないね」


 初めて訪れた時と同じく、魔法道具によって繋げられた草原に招かれ、木陰に据えられた白い椅子に腰かけたシホは、同じく隣に腰かけたフィッフスが、お茶を啜りながら話し始める言葉を聞いていた。


「『領主』の百魔剣が滅んだにしては、何もなさ過ぎだよ。あれに込められた魔力は、いまのわたしたちでは計り知れない。壊れたり、欠けたりしただけでも、どんなことが起こるか、わからないのさ」

「では、いまもアンヴィは生きている、と?」

「破壊はされていないだろうね。ただ使い手を失っているのは確かだろう。休眠状態、とでもいうべきかねえ」


 シホもフィッフスの淹れたお茶を啜った。


「あの日の記憶が、曖昧なのかい?」

「……ええ」

「あの子がいればねえ。それもわかるんだろうけど」


 フィッフスの店にも、あの日以来、リディアは姿を見せていない、とのことだった。


 シホは草原の遠くへ視線をやった。青い空をゆっくりと流れていく白い雲。地平線の彼方まで続く緑の草原の配色が見事で、こんな世界が本当に存在するのか、疑いたくなるほど美しかった。フィッフスの話では、この草原は存在するかもしれないし、いまはしないかもしれない。この空間は、そういう場だということだったが、その存在の曖昧さが、なぜかリディアと同じように思えて、シホは少し背筋に冷たさを感じた。彼は曖昧な存在ではなく、確かに人々に記憶されているし、自分自身も記憶しているはずなのに。


「あの日ねえ」


 フィッフスが想い出したようにつぶやいた。


「これは、あたしだけじゃあないんだ。神殿騎士の人たちも、たぶんマーレイの住人だって、みんな見てると思うんだけどねえ」


 フィッフスは見たものを話した。


 紅い柱が消えた後、空に分厚い雲をかき分けた、大きな穴が開いていた。


 そこから、光が降った。


 そしてその光が、旧市街で太陽のような輝きを放った。


「光が……」

「多くの人が、その光が人の形をしていた、って言うんだよ。マーレイはいま、その話題で持ちきりさね。あんたのところの信者さんは、天空神様が降臨された、なんて言ってみたりしてるけれど、迷信だ、なんていう輩もいるし。でもねえ。わたしも確かに、人の形には見えたんだよねえ」

「フィッフスさんにも、ですか」

「そう。高司祭さんの力と、何か関係があるものなのかねえ」


 光。


 その単語には、引っかかるものがあった。


 到底信じられるものではないが、自分は蘇生に近い『癒し』をクラウスに施したのかもしれない。シホの『癒し』は、それ程深い傷を負ったものに効力のあるものではない。より強い力のあった先代のラトーナでさえ、命運尽きたものの命までは救えない、と話していた。だが、そうだとすればクラウスの現状に説明がつく。光が降った、という現象は説明できないが、それ以降は、自分が起こしたことかもしれない。


『光の魔導士』


 そう異名を付けられた自分が。


 シホは器に残った最後の茶を飲み干した。

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