第12話 魔剣の声

 ローグが頭上に掲げた剣から、閃光が迸った。


 強烈な紫色の光は、大勢の人々が集まる夜会の会場を染め上げ、無数の光の帯に分かれると、それ自体がまるで生き物のようにうねる光の筋となって、その場にいた人々を次々と突き刺していった。

 既視感のある光景に、クラウスは奥歯を噛み締めた。その時、クラウスは聞き覚えのある声を聞いた。


(いい、いいぜえ、ここの奴らは。欲、欲、欲、欲まみれじゃあねえか。他人より稼いで、他人を蹴落として、他人を塵のように扱って、それで満足するなんざあ、さいっっっっこうの屑どもじゃあねえか……)


 アンヴィの声。シフォアでも聞いた不可思議な声は、アンヴィのものだとクラウスは改めて確信した。次々と夜会に集まった商人たちを、アンヴィの魔法の光が貫いていく。その度、アンヴィが声を上げる。奇声とも、嬌声とも取れる、狂ったような笑い声。クラウスは耳を塞ぎたくなるのを堪え、振り返った。


「カーシャ、来場者の避難誘導を。エオリアはシホ様の下へ!」


 目の前で繰り広げられる人知を超えた光景を、惚けたようにただ見ていた神殿騎士二人に下命した。


「こうなってはシホ様の力が必要だ。急げ!」


「は、はい!」


 年若いエオリアは、クラウスの言葉に弾かれたように走り出した。人々の怒号と喚声が飛び交う混沌と化した会場を、身軽にすり抜けて走り出て行く。カーシャも続いて動き出し、逃げようと出入口方向へと押し寄せる人々の群れをかき分け、先頭に立って誘導して行った。


「リディア」


「わかっている……」


 武器商人たちの夜会であった為、帯刀を咎められることがなかったのは幸いだった。それでも愛刀の大きさでは持ち歩くには異質に過ぎたため、クラウスが腰に帯びていたのはごく一般的な長剣だった。やや頼りない想いがしたが、剣を使うのは自分自身。どうにかしてみせると気持ちを固め、中段に構えを取った。


 リディアもクラウスの横で剣を抜いた。紅い刀身の剣が、黒い外套の前合わせを割って、外に顔を出す。外套を翻すと、こちらも中段に構えを取った。


 この男と、共闘することになるとは。


 クラウスの脳裏を、そんな言葉が掠めた。その瞬間、リディアが口走った、シホ、という声音が浮かび上がり、思わず顔をしかめる。いまはそんなことを言っている場合ではない。リディアの対魔剣の実力は、シホの言う通り、共闘するに値する価値を持っていることは、クラウスとてわかっているのだ。だが……


「くっ」


 思いがけず、声が漏れた。耳を聾し続ける、アンヴィの奇声が、冷静な思考を妨げる。


「どうした、大丈夫か」


 リディアが案じる声をかけてくる。大丈夫だ、と応じようとしたが、言葉が出ない。


「クラウス……!」


「……大丈夫、大丈夫だ……お前は何ともないのか……?」


「何……?」


 リディアが驚いたような声を返す。クラウスはそのことに驚いた。これほど不快な『声』を同じように耳にし続けているはずなのに、リディアはまったく涼しい顔をしている。


「この、声だ……アンヴィの声が……」


「アンヴィの、声?」


 リディアの驚きが増す。


 その瞬間、クラウスは悟った。


「おい、ローグ、貴様いったい何を!」


「おお、すまないな、ギャプロンの旦那」


 クラウスは正面に向き直った。夜会に集った商人たちのいなくなった会場の中心で、剣を振り上げ、掲げたローグと、その胸倉を掴み上げたギャプロンが対峙していた。


「すまんで済むか! これはいったいどういうことだ、説明しろ! わたしの顧客たちを……」


「あんたの周りには、質のいい欲を持った人間たちが集まるんでな、この機会を待っていたんだよ。まあ、そういうことでだ」


 言葉が途切れ、ローグが掲げた剣を、唐突にギャプロンの頭に叩きつけた。


「あんたは用無しになっちまったわけだ」


 ローグの胸倉を掴み上げたまま、頭を割られたギャプロンが、ゆっくりと背中から床に倒れる。血と、それ以外の体液をまき散らしながら、二度と起き上がることのない姿勢に倒れたギャプロンはしかし、意外にもすぐに起き上がった。だが、明らかに起き上がり方がおかしかった。膝をまるで曲げることなく、真っ直ぐな姿勢のままで、垂直に起き上がったのだ。


「なんでまあ、こういう形で役に立ってくれよ、なあ!」


 ローグが心底楽しそうな笑い声を上げる。それに比例するように、アンヴィの声も音量を上げた。だが、この声は……


「外道が……」


 クラウスの脇で、リディアがつぶやくように口にする。その声をかき消すように聞こえたのは、複数の人間がギャプロンと同じように立ち上がる音だった。アンヴィの魔法の光に撃たれた人々だ。皆、異様な様子で立ち上がる。顔には血の気がなく、明らかに生きていない。


「シフォアの時と、同じか……」


「クラウス、死体の方を任せられるか」


「誰に口をきいている」


「そうだったな」


 言うが早いか、リディアは飛び出していく。初めの一歩で常人の速度を遥かに超えたリディアは、一瞬でローグとの間合いを詰めて、飛び上がった。


「因縁の対決なんだ。演出は派手にやらねえとなあ、死神!」


 ローグが高らかに笑い、ギャプロンの血が滴る剣を振るった。頭上からのリディアの一撃を受け流し、二人はさらに剣を合わせていく。


「アンヴィ……」


 その二人の戦いを横目に、クラウスは這いよる無数の死体に向き直った。リディアとの戦いが始まってなお、アンヴィの声は、いままでよりもむしろ大きく、歓喜を感じさせる声も混ざり合って、さらに不快な音としてクラウスの頭を揺さぶる。


 それが何を意味するのかはわからない。


 だが、クラウスはある事実を知った。

 

 自分にしか、アンヴィの声は聞こえていない。


 クラウスは頭を振った。


 こんな幻聴に、負けるわけにはいかない。


「……来い!」


 最初の踏み込みの一撃で、クラウスはギャプロンだった者の動きを封じた。

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