第4話 わたしは『聖女の騎士』であり続ける

 一見は、噂通りの戦争成金。


 だが、それだけではない、とクラウスは低い応接用の机を挟んで向き合った、巨漢の男の本質を見抜いていた。


「さて、では本題に入ろうか、カラエフ……」


「ストラエフ。カラエフ・ストラエフです、ギャプロン・テロッシ殿」


 年齢は五十を超えた程度か。高価な革張りの椅子に埋めた肥えた肉体。たるんだ頬肉が首を埋め、顔と身体の境目を曖昧にしている。必要以上にきらきらと光を放つ華美な装飾を施した衣服がその身体を包み、長く伸ばした栗色の頭髪は奇妙なほど艶がある。おそらくは整髪用の油を使っているのだろうが、その姿はひどく醜悪で、男の趣味の悪さを露呈している。その容姿、外見だけならば、ただの成金、どこにでもいる、金儲け以外に頭を使うことのできない小者とも思えたが、この男はどうやらそれだけではない。それは男……ギャプロン・テロッシという商人がクラウスに向ける目が物語っていた。


「お話は、大変興味深いものですな。なので今日はこうして、わたし自らお話を聞かせてもらおうと、お呼びしたわけだが……」


 そこでギャプロンの目がすっと細められた。


 この目だ。クラウスはわずかに身を引き締める。この、人を品定めする目。この目だけは、獰猛な獣の目をしていた。おそらくこれが、たった一代で財を成し、『死の商人』と揶揄される男の武器なのだろう。人を、物を、この目で品評する。勝負に出ることができると判断すれば打って出る。そうしてその目を磨いて来た、商いという戦いを生き抜いて来たのだろう。なるほど、ここはこの男にとっての戦場なのだ、とクラウスは思った。


「せめてその仮面は外して頂きたいものですな。顔も見せあえなければ、信用も得られんところでしょう。それは北の商人とて、変わらないと思いますがなあ」


 ちょうどそこで、広い応接間の扉が開き、ギャプロンの屋敷付きの従者が飲み物を運んできた。香ばしい香りを漂わせる嗜好品が注がれた、これも名工で知られ、カレリア王宮などにも納められている陶磁器がクラウスとギャプロンの間に置かれ、ギャプロンはそれを何の躊躇もなく、無造作に手に取った。


「これは、かつて戦場で負った深く醜い傷を隠すものであります。どうかご容赦いただきたい」


 無論、でっちあげだ。


 クラウスはいま、鼻から上、額までを広く覆う白い仮面を身に着けていた。神殿騎士長として、ある程度顔の知られているであろうことを考慮し、滞在している商人屋敷にあった舞踏会用の仮面を拝借してきたのだった。衣服も、普段身に着けている神殿騎士のものではなく、北方の商人、カラエフ・ストラエフを演じるに適した衣服を用意してもらった。


 ギャプロン・テロッシに面会する方法として、クラウスは商人を演じ、架空の商談を持ち掛けた。ギャプロンにとって儲けの出る条件を揃えた商談は、クラウスが想像していた以上に効果を発揮し、いま、こうして貿易都市マーレイの高級住宅街の中でも、一際巨大なギャプロンの屋敷の応接間で、本人と顔を合わせることとなったのだった。


「まあ、実際その土地の戦士であったことが、カラエフ殿が北方の一地域の武器流通を押さえるきっかけとなった、という話は聞きましたがね」


 ギャプロンはそこで紅茶を口に運んだ。


「わたしも長く商売をやっておりますがね、こういっては失礼ですが、カラエフ商会、という名をこれまで聞いたことがないんですわ。確かにいいお話なので、契約まで行きたいとは思ったんですがね……この商売をしていると、いろいろと敵も多いものですからな」


 肥えた頬肉に半ば押されるようにして細くなった目。その瞼の奥、瞳の色が変わったようにクラウスは思った。鋭い、というだけでは足りない、はっきりと品定めする、強い力を持った眼光が、仮面越しにも突き刺さってくるようだった。


「……まあ、いいでしょう。で、実際、わたしたちに卸してもらいたい品とは、何です。あなた方カラエフ商会の持っているという流通路を使えば、わたしたちも北方の紛争地域で新しい商売を展開できる。如何様なものでも卸させて頂きましょう」


 カラエフ・ストラエフの素顔と、クラウスが先に示した『カラエフ商会が持つ流通路』から得られる新しい利益を天秤に掛け、ここは打って出ることのできる商売だと判断したのか、決して警戒を解いたわけではないが、話を進め始めたギャプロンに、内心胸をなで下ろしたクラウスは、白い手袋で覆った手で仮面の位置を直してから、こうして素性を偽り、潜入した目的を口にした。


「武器を。通常の武器流通と、それに特別なものも」


「ほう。と申されると?」


「可能であれば、あなたの収集品の一部も」


 ぎゅっ、と音を立ててギャプロンの目が鋭さを増したようだった。


「……わたしの収集品、というと?」


「剣を集めていらっしゃると聞いています。世界の名だたる名刀たちを。その一部を商品として提供していただくことで、北方の紛争地域の国王や指導者たちに、目玉商品として売り込んでみようと考えています」


 戦場なのだ、ここは。


 クラウスは剣を握る覚悟と同じ種類の、硬質な精神を整えて、さらに言葉を続けた。


「中には、その一振りだけで、紛争の雌雄を一変させてしまうような剣もあるとか」


 ギャプロンがにやりと笑う。乗ってくれるか、クラウスは急く内心を悟られないように、机に置かれた器に手を伸ばすと、紅茶を口に運んだ。


「見たところ、まだお若いようだが……武器を売って歩く商人としての非情さは、お持ちのようだ。力のある武器であればあるほど、権力者たちの興味を引くことができる。そういう商品が一つでもあれば商売は変わる。例え、その武器で、何万という者の血が流れようとも」


 ギャプロンの笑みが深まったように見えた。


「どこでわたしの収集品の話を聞きつけたかは、あえて聞かないことにしましょう。よくお調べになっている、とだけ理解させていただきますよ、カラエフ殿」


「恐縮です」


「わたしの収集品の目録をお見せしよう。無論、譲れないものもあるがね。先の申し出にあった通り、こちらの言い値で卸すことになるが、それでよろしいか」


 財源は無制限。卸値はギャプロンの言い値。商談を持ち掛けた際に提出した書類に、クラウスはそのように記載していた。


「構いません」


 紅茶をもう一口含み、飲み下したクラウスは、口の端に笑みを作って見せた。





 本来であれば、ギャプロンの収集品……その中にあるはずの魔剣アンヴィそのものを確認したいところではあった。だが、商人を装った以上、下手に商談以上に現物の確認にこだわれば、怪しまれることは間違いなかった。


 別室で待つように言われたクラウスは、迷路のような屋敷内を案内され、応接間よりさらに奥まった一室へと通された。


 仮面越しに室内を見渡したクラウスは、小さくため息を漏らした。


 先ほどギャプロンと対面した応接間もそうだったが、この屋敷はどの部屋も非常に高価な調度品に囲まれ、それでも、それだけ物があるにも関わらず広く、とても落ち着いて過ごす気にはなれない部屋ばかりだった。


 初めて父親と対面した部屋を思い出した。


 神聖王国カレリアの軍部を預かる名門貴族、ハミルトン家の現当主、ジャン・ハミルトン。それがクラウスの実の父親である。が、公にあってそれは否定されている。ジャンが認知をしなかったからだ。


 母は貴族ではあったが、家柄は没落していた。ジャンとの間にクラウスを身ごもった後、母の両親がある不正に関与していたという咎めを受け、カレリア王から多くの領地を没収され、貴族とは名ばかりの状態まで落ちぶれていた。


 母は生まれ育ったクラウスの姿をジャンに見せ、あわよくば家……タジティ家の再興にこぎつけようと思ったのであろう。五歳になったクラウスを連れて、ハミルトン家を訪れ、再三の門前払いを乗り越えて、ようやくジャンとの面会を許された。


 その時の記憶が、父親を間近に見た、最初で最後の記憶である。


 ジャン・ハミルトンは実の息子であるクラウスに目を向けた。その目。


 まるで、害虫を見つけたかのような、嫌悪感を感じる目をしていた。


 かつてのタジティ家は、ハミルトン家が親交を深めたいだけの理由を持つ、名のある家柄だったのだ、と病床の母に聞いたことがある。ジャンとの面会後、すぐに病を患った母は、クラウスに愛情を向けることはなく、むしろ家の再興に漕ぎ着ける理由になれなかった息子を疎んでいるようだった。過去の栄華を毎日毎日口にして、ただそれだけで過ぎていった母の晩年のうちに、タジティ家がかつて有していた家柄の内容がどんなものだったのかを聞くことは、クラウスが十歳の時に亡くなるまでなかった。しかし、とにかく、名門貴族の一員であったことは間違いなかったのだという。だからこそジャンと母は婚姻の約束まで結んだし、クラウスも身ごもった。


 しかし、不祥事が起き、タジティ家の雲行きが怪しくなると、実の父は実の父であることを否定し、そもそもタジティ家とは何の関係もなかった、としたのだそうだ。


 だから五年経って現れた息子は、邪魔者以上に、そもそもこの世にいて欲しくはない存在だった。害虫を見つけた目。それはジャンにとっては、あながち間違ってはいない表現だったかもしれない。


 自分は、この世に必要とされていない人間なのだ、と知ったのは、その目を見た時だ。


 それから五年後、母が他界し、クラウスに身寄りがなくなったことを知ると、ジャン・ハミルトンは一度だけ、使者を使ってクラウスに接触してきたことがあった。


 そうして、クラウスは天空神教の門を叩くことになった。


 いまにして思えばそれも、身寄りがなくなったからといって、自分を頼られては困る、というハミルトン家のお家事情だったのだろうと思う。クラウスの素性がカレリア王国社交界で広まったとしても、『教会へ身寄りのなくなった妾腹の子を入れてやった』となれば、多少の美談となり、それなりに世間体も立つ。


 貴族、家柄、世間体。そんなものよりも自分の命は軽いのだと思い知らされた後の五年間、天空神へ祈りを捧げる日々の傍ら、クラウスはなぜ自分は生き続けているのだろうと常に考えていた。いまにして思えば、あの頃、なぜ自分は自ら命を絶つことを選ばなかったのか、と思う。だが、考えてみればあの当時、クラウスの中に『自ら命を絶つ』という選択肢がなかっただけであって、もしそれができることを知ってしまっていれば恐らく、自分はいま、ここにはいないだろう。そんな幼さが十歳のクラウスの命を繋いだ。そして、それはクラウスに生まれてきた意味を与える存在に出会う奇跡を演出したのだった。


 十五歳の時、『聖女』ラトーナ・ミゲルの片腕として取り上げられ、それからシホを、次世代の聖女を任された。シホは無条件にクラウスを必要としたし、高齢で床に伏したラトーナもクラウスの存在を誰よりも求めた。


 生きる意味。


 生きていく意味。


 生きて来たことに意味はなくとも、ラトーナの言葉と、シホの存在が、わたしのいまとこれからを形作る。


 ならばそのために、わたしは『聖女の騎士』であり続ける。


 白い仮面の下で目を閉じたクラウスの瞼の裏に、あの日の父の姿が浮かんだが、すぐに見えなくなった。


「カラエフ商会の代表は、ここか?」


 ふいに扉を叩く音がしたのはその時だった。物思いに耽っていて気づかなかったが、戸口の付近に人の気配があった。


 いや、それを気配と言っていいものか。


 クラウスも自分の油断に舌打ちをした。これほどはっきりした気配を放つ存在が、部屋の出入口まで来ているというのに、気づかなかったとは。


 気配は、明らかな物々しさを孕んでいた。足音もなく、乱暴に扉が叩かれたわけでもない。だが、ただそこにいるだけで、何者かはあまりにもはっきりと暴力的な気配を発していた。


 端的に言ってそれは、殺気。


 クラウスは身構えたが、何の武器も携帯していないことを思い出した。またひとつ舌打ちし、素早く室内を見渡したクラウスは、得物になりそうなものを見繕って、そちらに身をひるがえした。


「邪魔するぜ」


 声と共に、不必要なほどの勢いで、出入口の両開きの木製扉が開かれた。かなり分厚い扉で、色調も伴って重々しいように見える扉だったのだが、それがまるで一枚の薄い木板のような速さで開かれた。


 そしてクラウスはそこに現れた人物の姿に、扉の勢い以上に息を呑んだ。


 お前は。


 辛うじて、漏らすことはなかったが、その言葉は喉をせり上がり、口内で一周し、唇を内側から動かそうとその言葉は居座り続けた。


 お前は。


 仮面の下のクラウスの目が見つめる人物は、にやり、と笑った。


 ひどく下卑た笑いだった。

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