第16話 『光の魔導士』

 四人のキョウスケはさらに二人、数を増やし、六人の壁となって、ゆっくりとシホに迫ってくる。その向こうには刀傷を受けて倒れたクラウスの姿がある。


 シホは退かなかった。そっと、手にした短剣……魔剣ルミエルに不可視の『力』を込めた。


「戦い……ますか。『光の魔導士』さん。できればぼくも、女の子は手に掛けたくないんだけどなあ」


 シホは何も言わず、六人のキョウスケを睨みつけた。命まで届く傷か、わからなかったが、しかし軽傷には見えない。クラウスの状態を考えると、時間はなかった。


「退いてくれませんか。この場から。魔剣アンヴィの件から」


 余裕からなのか、それとも本当にシホを手に掛けることを躊躇っているのか。キョウスケは動かない。シホが応じるのを待っている様子だった。シホは言葉の代わりにルミエルを引き抜くことで応えた。


 キョウスケがため息をつく。芝居がかった仕草だが、心の底から、とも見えなくもなかった。


「仕方ないですね。では……」


 言った瞬間だった。六人のキョウスケは散開し、上下左右、シホの視界のあらゆる場所から、シホに向かって一斉に斬りかかって来た。


 その映像を捉えながら、シホは瞼を閉じた。


 しかし、シホにはキョウスケの姿が、


 双眸を閉ざしても、いや、目そのもので捉えるよりも鮮明に、繊細に、緩慢な動きで、シホは六人のキョウスケ全員の動きを捉えることができた。これが魔剣ルミエルの『光と一体になる』力の一端であり、そしてそれは幼い頃、自分にあって人にはない、特別な力だと知ったシホ本人の力でもあった。


 神託のよって、『聖女』ラトーナ・ミゲルに見いだされる前。養父母に引き取られた頃を、シホは思い出す。見えないはずの遠くのものが見え、萎れた草木が手をかざすと蘇る。それは、誰でもできることだと思っていた。しかし、ある時、養父が言った。それは人に見せてはいけないよ、と。貧しい生活ではあったが、身寄りのないシホを育ててくれた養父母は、とても優しい人たちだった。だから幼いシホは、それに従った。特別な力を捨て、寒村の農夫の娘として生きていくはずだった。


 しかし、ラトーナはその力があることを見出した。シホに


(相手は実体のある幻影。でも幻影であることに変わりはないのなら……)


 緩慢に動く六人のキョウスケを、シホは冷静に分析する。何より引っかかるのは、クラウスの背後からの一撃を、しっかりと避けたキョウスケの存在だった。


(彼本人が分裂したわけではないということ)


 まして、魔剣夢幻そのものが分裂したわけではない、ということではないだろうか。あくまでも相手は、実体のある幻影なのだ。そう。たった一つ、本物の魔剣夢幻を除いて。


「なら!」


 シホが目を開ける。


 目の前には六人のキョウスケ。すでに短刀を振りかざし、いままさに斬り付けようとする瞬間だった。


 が、次の瞬間、六人のキョウスケは一様に動きを止めた。まるで何か、無数の糸にからめとられたかのように、それ以上進もうと力を込めても、押し戻されてしまい、戻ろうとしても、戻ることもできない様子だった。


「これは『光の檻』…… やはりあなたは……」


 六人のキョウスケのうちの誰かがそう言った。おそらくそれが、シホの探していたキョウスケ本人だが、シホはさらに精神を研ぎ澄ます。人間を見るのではなく、この事象を起こしている根本を見抜く。シホには本来見ることのできないはずのキョウスケの背中や、頭上からの鳥瞰的視点、地面から見上げるような視点の情報が、刹那のうちにシホの頭の中を駆け巡る。


「そこ!」


 シホはルミエルを振った。護身用の短剣程度の長さしかない魔剣の刃自体が、身動きを止めたキョウスケの身体に届くことはなかったが、振ったその切っ先から、真っ直ぐに伸びた一条の光の筋が、一番奥から二番目のキョウスケだけを捉えた。次の瞬間、その光に撃たれたように、キョウスケの身体が後方へ大きく弾け飛ぶ。すると、残り五人のキョウスケの姿が消えた。


 光に撃たれた衝撃は、凄まじいものだったのだろう。後方へ飛んだキョウスケの身体は、背後にあった遺跡の石壁を破壊して突き破り、轟音を立てて地面に激突した。


 だが、それだけで倒れてくれる相手ではないと、シホもわかっていた。警戒を解かず、シホはキョウスケが立ち上がって来るのを待った。


「わたしは退けません。あなた方が何者で、なぜ魔剣からわたしたちに手を引かせようとしているのか。何もわからないまま、引くことはできません。わたしにも、為さねばならないことがあるのです」


「……さすがの力ですね、『光の魔導士』さん。話には聞いていましたが。だから『博士』たちも警戒しているのかな」


 崩れた壁の向こうから、ゆっくりと現れたキョウスケに、これまで常にその顔を覆っていた余裕の笑みはなかった。驚きと、確かな怒りが込められた表情で、乱れた民族衣装の胸元を正す。


「ここで、仕留めておくべきかもしれません……!」


 大きな声ではないが、力強い声だった。まだ来る。そう予感したシホが、ルミエルを構えた、その瞬間だった。


 爆音。


 いま、キョウスケが地面に激突した、その音など、比べ物にならないほどの爆音が、突然遺跡一帯を震えさせた。爆音は衝撃波を伴っており、音の大きさに思わず身をすくませたシホの身体の左側から打ち付けた。強い風と力を持った音が何なのか、シホは本能的にそちらに目を向けた。


 そして、驚愕した。


「まずいな…… シャーリンさん、『統制者』を目覚めさせちゃったか」


 シホが見たそこにあったのは、夜空に向かって伸びる、


 いったい何が光っているのだろうか。地面から、天空へ向かって伸びる紅い柱は、空さえも紅く染め、青白い月光の明かりをかき消し、周囲を禍々しい色合いで満たしている。


「シャーリンさん、退いてください! いまのあなたでは、いくらなんでも『統制者』には勝てませんよ!」


 その場にいない何者かに向かって、キョウスケが叫んだ。それに応えるように再び爆発が起き、新たな衝撃波がシホにも打ち寄せた。そしてその衝撃波に弾かれて来たかのように、キョウスケのすぐそばに、青い大きな剣を持った人影が飛ばされてきた。


 キョウスケの足元に転がった大柄な人物と、キョウスケは二言、三言、言葉を交わしたようだったが、その後も散発的に起きた爆音が、その声をかき消した。


 シホが見ている前で、再び二人の実体を持った幻影を生み出したキョウスケは、その二人に力を奪われたようにぐったりとした大柄な人物を担ぎ、立たせると、シホのほうを見た。


「今日はここまでのようです。『光の魔導士』さん、またいつかお会いしましょうね。その時までには、貴女のことをどうすべきか、『博士』に訊いておきます」


「待って!」


 シホは制止の声を上げた。逃がすとか、逃がさないとか、そういうつもりはなかった。ただ、彼らが何者で、なぜ自分たちに百魔剣から手を引くように迫るのかを問い質す必要は感じていた。


 だが、その時再び大きな音が響き、シホはそちらを向いてしまった。


 その音が最後であったかのように、紅い光の柱は、大地の方からゆっくりと消えていき、最後に頂点である空にわずかな紅い波紋を残して消えた。まるで初めから何もなかったかのように、静かな月光に包まれた夜空が戻った。


 あまりにも現実離れした光景に目を奪われ、はっ、と思い返して視線を戻したシホの目に、キョウスケも大柄な人物も映らなかった。こちらも初めから誰もいなかったかのように居なくなっていた。


 アザミ・キョウスケ。


 彼は何者で、いったいなぜ、誰に命じられて自分たちを魔剣から遠ざけようとしたのか。


 そして彼の言っていた言葉。自分を呼ぶ『光の魔導士』とはいったい、何なのか。それがシホの、幼い頃から持っていた力の正体なのか。


 結局、何もわからず、そしてそれ以上、シホは考えを深めることもなかった。倒れたクラウスの姿が見えたからだ。


 シホは慌てて駆け寄ると、魔剣ルミエルに込めた『力』と同じものを、掌に込め、倒れたクラウスの背中にその掌をかざした。出血がひどいが、致命的な傷はなさそうな様子だった。いや、ないはずだ、と言い聞かせ、シホは『力』を込めた。『奇跡の人』ラトーナに見いだされた、ラトーナと同じ癒しの『力』を。


 これが『奇跡』と呼ばれようとも、『光の魔導士』と呼ばれようとも構わない。この『力』で様々な人々を、何よりいまはクラウスを救えるのであれば、わたしは何者でも構わない。


 シホは一心に祈った。ただクラウスを助けるために。

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