第12話 命を守る可能性は、どこにもない
二人の『キョウスケ』は、一人は退き、もう一人は飛び掛かってきて、クラウスと剣を交えた。各々が各々に意志を持ち、戦う姿は幻ではなく、分身、というに値する。クラウスは夢幻を剣の腹で受け、力任せに押し返しながら、改めて魔剣の力に戦慄した。
リディア・クレイはキョウスケの持つ夢幻について、
『使われている魔法の力そのものは低く、魔剣としての等級も最下位に属している』
と話した。だが、これほど恐ろしい能力もあるまい。たった一人の魔剣の使い手が、一対多数の戦況を覆す兵力を作り出し、さらにその戦力は神出鬼没。いつ、どこに、どれだけの戦力が現れるかわからない戦況では、相手のしようがない。そんな能力が最下位に属する百魔剣の恐ろしさを、クラウスは新たにした。
そう。いつ、どこに現れるかわからない戦力では、相手にしようがない。
クラウスは不意に猛烈な寒気を感じた。
自身が背後から、二人の『キョウスケ』の刃に切り刻まれる危険も構わず、振り返った。そこにはシホの姿があるはずだった。シホだけの姿が。
しかし、クラウスがそこに見たのは、東方諸島群の民が身に着ける民族衣装の後ろ姿だった。
「シホ様!」
叫びを上げてクラウスが駆け出すが、その目の前で、キョウスケが手にした魔剣を振り上げた。そのキョウスケの向こうにはシホがいるはずだ。魔剣との戦いを想定した訓練を受けているとはいえ、シホには剣技と呼べるほどの技量はない。キョウスケのような手練れを相手にすることはできはしないし、彼女の手にした魔剣・ルミエルの力を開放するほどの時間もない。
彼女の命を守る可能性は、どこにもない。
クラウスは駆けた。踝丈の草を踏みつけ、自身の最大の力で、一瞬でも早く、キョウスケの背中に長剣の一撃を見舞う。そうすることでシホを救う。守る。必ず守り通してみせる。そのつもりだった。絶望的に、絶対に、間に合わないと分かっていても、そうしなければならなかった。それだけが、クラウスの存在意義だったからだ。
だが、無情な刃はクラウスの目の前で、振り下ろされた。
「シホ様!」
悲鳴に近い声だと、自分でも思った。シホの悲鳴がそれに混ざり、絶望というに等しい響きとなって遺跡群の石壁に反響し……
「……いつの間に、いらしていたんですか」
しかし、実際にクラウスの耳に聞こえたのは、キョウスケの驚きを隠せない声だった。シホに向かって夢幻を振り下ろしたキョウスケの身体が、ゆっくりと横へ流れるように動き、そのまま地面に崩れ落ちた。
一陣の風が吹き抜けた。クラウスは頬を撫ぜ、髪を揺らした風に、血の匂いが混ざっているように思った。
キョウスケの倒れたその向こうに、シホの姿はなかった。
そこにいたのは黒い影。
紅い、血を固めたような剣を下げたその影は、たったいま振るったその剣を、抜かりなく下段に構え直す。
「リディア様!」
『紅い死神』リディア・クレイの背後に、シホが駆け寄る。シホの絶体絶命に、どこからともなく駆けつけた一陣の黒い風は、キョウスケを斬り、シホの命を守った。
どくん、とクラウスは、自分の鼓動の音が強く打つのを聞いた。
「いやあ、リディアさん。急に出てくるなんて、相変わらず人が悪いですよ。もう少し、穏便にできないものですかねえ」
キョウスケの声は、また後ろから聞こえた。振り返ると、再び姿を現したキョウスケは、先ほどクラウスが打ち漏らした二人の『キョウスケ』と並んで立ち、両の手を広げて笑っている。その笑みは実に屈託のないもので、やはり暗殺であるとか、そもそも戦い、というものと、その笑顔は到底結びつきそうにもなかった。
「暗殺しか知らない貴様が、穏便だと」
「暗殺は、穏便ですよ。何しろ、無駄な命を奪わない」
リディアの言葉に、にっこりと笑って応える。この少年の倫理観は、自分のものとはかけ離れている。理解し合うことも、認め合うこともできはしないだろう。クラウスは肌が粟立つのを感じた。
「まあ、でも、リディアさんがいらっしゃるのは、想定してましたからねえ。ぼくも、今回は特別に、リディアさんにお会いしたいという人を呼んであります」
まるでその言葉に合わせたかのように、まったく突然に、三人の『キョウスケ』の姿が白い煙のようなものに包まれた。
白い煙は地面を這い進み、見る間に辺りを白く、包み込んでいく。ただでさえ宵闇で、月明かりだけが頼りだった遺跡群の中で、視界は完全に白一色に染め上げられてしまった。
クラウスはすぐさまシホの傍へと駆け寄ろうとした。が、次の瞬間、押し隠すことのない、獣のように獰猛な殺気を煙の向こうに感じて、その足を止めてしまった。
「リディアあああああ!」
獣の咆哮じみた野太い叫び声が、白い闇を切り裂いた。
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