第4話 アザミ・キョウスケ

 アシャンの首の、ちょうど真横辺りに突き刺さった短剣は、シホの知っている短剣とは少し形状の違うものだった。片刃で、鍔はなく、太い刃を持った短剣。確か、大陸東方の諸島群に住む人々が使うものだったように思う。


「……アザミかっ!」


 シホの隣で、リディアが、それまで聞いたことのない感情的な声を発した。アザミ。それが何を指す言葉なのか、シホが理解する前に、その答えはアシャンの背後に現れた。


 片刃の短剣を握った、少年。


 いったい、どうやってそこに、突然現れたのか。アシャンの座っていた椅子の背後に出入口はなく、壁との隙間もわずかしかなかったはずだ。しかし少年はいま、確かにアシャンの真後ろに立ち、その手に握った短剣で、アシャンの命を絶った。


「お久しぶりです、『死神』さん。覚えていてくださったんですね」


 短剣と同じく、東方諸島群の民族衣装を身に着けた、シホとそれほど歳の変わらない少年は、まだ声変わりしていないのか、女の子のような可憐な声と調子で、リディアを呼んだ。耳が隠れる程度の長さの、短い髪が揺れ、はしゃぐ姿は年齢相応に見えたが、その手は血に塗れ、彼の前で、彼が絶った命が噴き出す紅い液体に、何の感慨も抱いていない姿は、あまりにも不釣り合いで不気味であり、正気の様子とは思えなかった。シホは言い知れぬ恐怖と嫌悪感をその屈託ない笑顔に覚えた。


「……リディアだ」


「そうでしたそうでした。ごめんなさい、


 気のせいだろうか。少年がリディアの名を呼ぶとき、意識的に強調しようとしたようにシホは感じた。


「貴様がここにいるということは……」


「ええ、まあ。ものが『領主』ですからね。さすがに見逃せなかったんじゃあないかなあ」


 アザミと呼ばれた少年と、リディアの会話は、明らかに互いの事情を以前から知ったものの会話らしく、シホの理解が追い付かない速度と、少ない単語で進められていく。


「まあ、相変わらずぼくは頼まれただけなんで、詳しいことはわかりませんけどね」


「何者だ、貴様は」


 理解が追い付かないのは、クラウスも同じだっただろう。それでもクラウスはリディアと少年の間に割って入った。武器こそ持っていなかったが、その声は怒声で、剣があれば問答無用で斬りかかっていたのではないか、というほどの威圧感があった。


「クラウス・タジティ神殿騎士長さん、ですね。神聖王国カレリアの軍部を預かる名門貴族、ハミルトン家の現当主、ジャン・ハミルトンの隠し子」


 すっ、と少年の目が細められ、年齢相応に見えた笑顔が消えた。クラウスに向けたその顔は、すべてを見透かしているかのように見えて、シホは先ほど抱いたものとは別種の、心の中を土足で踏み荒らされるような不快感を感じた。


「何者だと訊いている!」


 クラウスが声を荒げた。シホが抱いた不快感以上のものを、クラウスは感じたのだろう。彼が最も触れられたくない部分を、たったいま現れた、得体の知れない少年は、言葉にした。それをクラウスがどんな思いで聞いたか、シホにはわかった。


「ぼくはキョウスケといいます。アザミ・キョウスケ。ぼくのことは、リディアさんから聞くのがいいと思いますよ。いろいろ知っていますから。ねえ、リディアさん?」


 リディアは何も言わない。初めこそ、感情を露わにした声を出したが、いまはもう、それまでの、何も読み取らせない、そよとも動かない表情がその顔に戻っていた。


「それじゃあ、帰りますね。ぼくの仕事は終わったので。また会えるといいですね、リディアさん」


 言葉の半ばから、クラウスが少年との距離を詰めた。取り押さえるつもりで伸ばした彼の手が、少年の身体をすり抜けたのを、シホは見た。


「ああ、そうだ。あなたとも話がしたかったんですけどね、『光の魔導士』さん。まあ、生きていたら、そのうちに……」


『光の魔導士』?


 リディアのことを名で呼び、クラウスのことを知っていた以上、『光の魔導士』とはおそらく、自分のことだろう、とシホは思ったが、それがどういった意味の言葉なのか、自分の何を指してそう呼んだのかがわからなかった。問い返す声を上げようとしたが、すでに少年の姿はそこになかった。


 それまで確かに、この部屋の中にいたはずの少年は、現れたときと同じく、忽然と姿を消していた。彼が確かにこの部屋にいた痕跡は、首をがっくりと前に落とし、身動き一つしなくなったアシャンの遺体と、その身体から流れ出た大量の血液が床に作った血だまりだけだった。


 沈黙が部屋の中を支配し、しばらく時間が流れた。誰も、一言も発することなく、身動きもすることなく、ただ糸の切れた操り人形のように、椅子にもたれかかるアシャンの遺体を見ていた。


「……リディア・クレイ。答えてもらわねばならないことがいくつもあるが……」


「……いいだろう。可能なことなら話そう」


 ようやくクラウスが声を発し、それに答えたリディアが言葉半ばで背を向けて、出入口の扉へ歩み出した。その声に、あのアザミ・キョウスケという少年が現れる前の、あらゆる問いを寄せ付けない冷たさはなく、変わってどこか急いているような声音が、シホには気にかかった。


 リディアの態度を変えたのは、間違いなく、あの少年が現れたことだ。


 あの少年は何者なのか。


 リディアとどんな関りがあるのか。


 なぜあの少年は現れたのか。


 どうやって現れたのか。


 そして消えたのか。


 それだけではない。あの少年はアンヴィと、そしてアンヴィを持ち去った傭兵と、どんな関りがあるのか。少年がいたのはほんの一瞬の出来事だったにも関わらず、疑問は山積した。


 その全ての鍵をリディアが持っているように、シホには思えた。

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