第23話「独りじゃない、ひとつだから」

 倒したかに思われたセラフ級パラレイド、メタトロン……再臨さいりん

 以前よりマッシブで一回り大きく、両肩や両足が大きく肥大化している。全身から兵器として禍々まがまがしさを発散し、長大なライフルを水平に浮かべている。

 まさしく最強SUPREMEの名に恥じぬ威容……メタトロン・スプリーム。

 だが、応急処置を施した機体の中で、少女の声は凛冽りんれつたる気迫に満ちていた。

 五百雀千雪イオジャクチユキは絶望的な状況でも、全く普段と変わらぬ声音で言葉をつむぐ。


統矢トウヤ君、私が前でメタトロンを抑えます。統矢君はヘリを守ってください』


 あまりに平然と、なにもかも普通に千雪は話す。

 教室にいる時、部活で一緒の時、戦場で背中を預け合う時……二人きりの時。

 いつでも千雪は、怜悧れいりな涼しい声で空気を震わせる。

 泰然たいぜんとして揺るがぬ無責任な頼もしさに、気付けば摺木統矢スルギトウヤは笑みを浮かべていた。


「千雪っ、無理はするな! このヘリをどかして、すぐ戻るっ!」

『いえ、統矢君。ヘリを……そのヘリをしっかり確保していてください』

「なにを……俺もまだ戦える!」


 統矢の97式【氷蓮ひょうれん】セカンドリペアは、酷い損傷だった。真っ向からメタトロンのビームに飛び込み、押し切るようにして叩き割ったから。その代償として、装甲の各所を補強するスキンタービンは燃え落ち、ラジカルシリンダーも何割かが破裂していた。

 きしんで不協和音を奏でる【氷蓮】は、間違いなく大破一歩手前だった。

 だが、それは千雪の89式【幻雷げんらい改型参号機かいがたさんごうきも同じだ。

 以前の戦いで大破した改型参号機は、急遽稼動状態へと修復したためいびつな姿をさらしている。補修用のスキンテープで各部をぐるぐる巻きにした姿は、まるで朽ちたる魂を乗せた不死者アンデッドのよう。そして、どこか以前の統矢の愛機に似ていた。

 満足に動かぬ機体をズシャリと構えさせて、千雪は静かに告げてくる。


『統矢君はとにかく、絶対にヘリを守ってください。……れんふぁさん、聴こえていますか? 以前お話した通り、刑部提督オサカベていとくの用意したプランに従って行動してくださ――』


 千雪の玲瓏れいろうなる声を、絶叫が遮った。

 同時に、目の前のメタトロン・スプリームがツインアイに暴虐的ぼうぎゃくてきな光をともす。愚かな人間を断罪だんざいする熾天使セラフから、少女の悲痛な叫びが響いた。


『お前はぁ! なんで邪魔をするんだ! ……そうか、お前が五百雀千雪だな! 知ってる、知ってるよ……統矢様をいつも! いつもいつもっ、むしばさいなむ、悪い女っ!』


 メタトロン・スプリームは微動だにせず浮いている。まるで、手負いの人間達を前に勝利が揺るがないかのうように、不動ふどう。しかし、その頭部から赤いユニットが分離して宙を舞った。ディスク状のそれはケーブルで制御されながら、鋭角的な機動で周囲にビームをばらまき始める。

 多方向からの攻撃を前に、千雪の改型参号機は動かない。

 いな……いよいよ炎に沈み始めた原子力空母バラク・オバマの上で、必要最小限の動きしか見せない。揺れるように小さく動いて、致命打だけを避ける。

 ビームの驟雨しゅううが飛行甲板をはちにして、火の海へと変える。足元が崩れ始める中で、統矢は【氷蓮】を下がらせた。離陸できずにいたヘリに駆け寄り、中のパイロットへと通信を送る。

 一度だけ背後を見やれば、改型参号機は一寸の見切りで全ての殺意をギリギリかわしていた。


『クッ、千雪が。おいっ、ヘリのパイロット! ローターを切れ、【氷蓮】で持ち上げて運ぶ! なにか策があるらしい、あの刑部提督の考えてくれた策が!』


 応答してくれたパイロット達の声は震えていた。

 そして、その奥からいつになく取り乱した声が走る。それは、決して動揺を見せない人間が見せた、動揺を超えた狼狽ろうばいの叫びだった。


『摺木統矢っ! 私だ、御堂刹那特務三佐ミドウセツナとくむさんさだ! ブリッジを! 刑部志郎提督オサカベシロウていとくがまだブリッジにいるのだ! お救いしろ、命をして助けるんだ!』

「御堂……先生?」

『あの人を死なせるな、馬鹿者! これからの日本皇国にほんこうこくに……この時代の地球に必要な方なのだ! 頼む、摺木統矢! あらゆる命令に優先する、頼む――!?』


 その時だった。

 周囲を包囲した無数のセラフ級からの攻撃が襲った。

 大きく傾くバラク・オバマの上で、なにかが弾けて爆ぜた。

 艦橋部分かんきょうぶぶんが消し飛んだのを、統矢は確かに見た。

 そしてそれは……おそらくヘリのコクピットからも見えただろう。

 言葉にならない刹那の絶叫が、統矢の耳朶じだへと突き刺さる。

 そして……急斜面となった甲板上で統矢はどうにか機体を制御し、エンジンを停止させたヘリを抱え込む。大型ヘリをまるまる一機というのは、パンツァー・モータロイドが持ち上げられるものではない。だが、炎からかばうようにして、必死に統矢は逃げ場を探した。

 右舷側に傾く甲板では今……千雪が一人でメタトロン・スプリームと戦っていた。

 メタトロン・スプリームは、全く動かず浮遊砲台を飛ばしてくる。

 全方向から殺到する攻撃を、千雪は最小限の被弾で避けつつ距離を縮めていた。

 統矢の中でなにかがささやく。

 今までにない不安が、冷たい闇となって胸中に満ちてゆく。

 二人の少女は今、統矢という過去と未来を繋ぐ糸の上で綱渡りタイトロープに踊っていた。


『このっ、このこのっ! 統矢様は、お前のせいで今でも夢にうなされてるんだ!』

『申し訳ないですが、私のあずかり知らぬところです。私の統矢君は貴女あなたの統矢様ではないので』

『……私の? 統矢、君? さっきからぁ、馴れ馴れしいんだよ! 統矢はお前みたいなただの人間じゃないっ! ボク達の試練で目覚めてくれた、真の力を覚醒させた人間なんだ!』

『左腕部ラジカルシリンダー、1番から8番まで停止。動力カット。……アレを使う時ですね。全エネルギーを集束、チャージ開始。刀身加熱とうしんかねつ

『無視するなぁ! 統矢はボクと二人だけっ、この世界線の時間軸で二人きりのDUSTERダスター能力者、同志なんだ! いや、同族……同じなんだよ!』

『……貴女は、統矢君と二人きりなんですか?』

『そうだ、この島で出会って、それも運命だったって言える! 統矢様が無数の可能性から選んだこの世界線で、ボクは統矢とめぐったんだ!』

『そうですか。では、私とは違いますね』


 統矢は危険な領域へと加速してゆく二人の声を追った。

 追いついて手を伸べ、止めたかった。

 だが、ヘリにしがみついたままで【氷蓮】の動きは鈍い。それでも、千雪が言ったからにはヘリを確保しておかなければいけない。信用し信頼を預けたからこそ、そうするが……今、取り返しのつかない瞬間へと向かっている気がして、危ういあせりが込み上げる。

 目の前で改型参号機は、左腕をもぎ取られて大きくよろけ、そのまま直撃を浴びた。

 統矢は、初めて目撃しようとしていた。

 フェンリルの拳姫けんきうたわれ、全国から【閃風メイヴ】と恐れられた者の敗北を。

 それでも、千雪の声は焦りもおびえも、涙すらも感じさせない。


『貴女は統矢君と二人だけ、二人きりかもしれません。でも――』

『でも!? なんだ、お前はっ! この世界線でも邪魔をする気かっ!』

勿論もちろんです。貴女は今、統矢君の敵ですから。そして私は……

『ひとつだって!?』

『心が、気持ちが……見詰める先、進む道がひとつだから。ただの二人でしかない貴女には、絶対に負けません』


 メタトロン・スプリームの攻撃が停止した。

 だが、周囲では友軍機が次々と窮地きゅうちに追い込まれてゆく。元々が一騎当千いっきとうせんのセラフ級は、今まで必ず単騎で出現してきた。それでも人類は、多大なる犠牲を払わなければ撃破できなかったのである。そのセラフ級が今、無数に周囲を満たしていた。

 地獄があるとすれば、ここだ。

 無数の悲鳴と怒号が渦巻く中で、鉄屑てつくずと化したPMRパメラが血の中に沈んでゆく。

 それでも、千雪は……改型参号機は、前だけを見ていた。

 千雪は辛うじて立つ愛機の中で、不意に声を和らげ優しく語りかけた。


『れんふぁさん……しっかりしてください、更紗サラサれんふぁさん! ……聴こえていますね?』

『千雪さぁん……わたし、それは……』

『皆さんにもお伝えします。刑部提督はバラク・オバマに、Gx反応弾ジンキ・ニュークリアを搭載して出港しました。島ごと全てを吹き飛ばす新兵器です。各機は、れんふぁさんの【樹雷皇じゅらいおう】に登録されたマーカーに従い、グラビティ・ケイジに乗って空へ!』


 上空で必死に抵抗する【樹雷皇】は、傷付き煙をあげながらも浮いていた。

 重装甲がウリの空飛ぶ火薬庫は、海軍PMR戦術実験小隊かいぐんパメラせんじゅつじっけんしょうたいの仲間達と戦っている。その巨体を守るグラビティ・ケイジは、広げることで範囲内の友軍機を自在に飛行させることができた。

 千雪の狙いは、これだ。

 メタトロン・スプリームを含む全ての敵を、ギリギリまでバラク・オバマに釘付くぎづけにする。そして、広域破壊戦略兵器こういきはかいせんりゃくへいきによって殲滅せんめつ、同時に【樹雷皇】のグラビティ・ケイジで全機撤退。統矢にもようやく、千雪の真意がつかめた。

 だが、何故か胸騒ぎが納まらない。

 その答を叫ぶれんふぁの声は、涙にれていた。


『千雪さぁん、でも……それじゃ、千雪さんが』

『もとより承知の上です。【樹雷皇】のグラビティ・ケイジで一緒に飛べるのは……あらかじめ【樹雷皇】のコントロールシステムに登録された機体だけ。この改型参号機は損傷機そんしょうき扱いで搭載されていたため、その登録をされてません』

『駄目です、わたしできないっ! できないですよぉ……千雪さんだけを残して行くなんて……嫌ですっ! 絶対に、嫌っ!』

『れんふぁさん』


 統矢は絶句した。

 そして、千雪の言葉の意味がわかった。

 【樹雷皇】のコントロールユニットである【氷蓮】は、勿論システムに登録されている。参加した72機のPMRもだ。基本的にPMRは陸戦兵器であるが、その運用概念をくつがえすのが決戦兵器【樹雷皇】の存在なのである。

 そこで刑部志郎は、最悪の事態を想定しての策を講じていたのである。


「千雪っ、待てっ!」

『統矢君、ヘリをお願いします。落とさないようにしてくださいね。……れんふぁさん。私の一番大事な人をお願いします。れんふぁさんだから、たくせます。兄様、御巫ミカナギ先輩、ラスカさんに沙菊サギクさん。私が……私が血路けつろを切り開きますっ! 行ってください!』


 改型参号機の頭部が、ひび割れたバイザーの奥に危険な光を輝かせる。同時に、常温Gx炉じょうおんジンキ・リアクターが不気味な駆動音を高鳴らせた。一角獣ユニコーンのようにひたいに伸びるブレードアンテナは今、赤熱化して真紅しんくに発光し始めていた。

 統矢が慌てて【氷蓮】で駆け寄ろうとする。

 だが、ヘリにもたれかかるようにして愛機は動かない。

 そして……周囲に仲間達が降りてきて、ヘリごと【氷蓮】を支えてくれた。グラビティ・ケイジの重力波は今、ゆっくりと全ての友軍機を持ち上げ集めてゆく。

 千雪が、統矢の前から離れてゆく。

 仲間達の声も今、頭の中を素通りした。


『千雪殿っ! あとは自分に任せるッス! 不肖ふしょう渡良瀬沙菊ワタラセサギク留守るすをお預かりするスから……だから、だからっ! 千雪殿ォォォォォッ!』

『つまらねえこと考えやがって、千雪っ! おい放せ、桔梗キキョウ! あいつ、一発ブン殴ってやる!』

『勝ち逃げする気? アタシ、アンタに負けたままでなんて終わりたくない! アンタにも勝ったまま終わって欲しくないのっ!』

『千雪さん、こんなの……お姉さん、許しませんからね。辰馬タツマさんを泣かせたら……絶対に許しません』


 徐々に大地が遠ざかる。

 れんふぁはたくみな操作でグラビティ・ケイジを掌握しょうあくし、その内側へと味方機を集めて浮かべた。同時に、敵からの攻撃を不可視の重力圏じゅうりょくけんはじかえす。

 そして……小さくなってゆく千雪の改型参号機が身構えた。

 嗚咽おえつに鼻をすすりながらも、れんふぁは最後まで千雪に呼び掛ける。


『千雪さん……わたし、知ってました。この間……思い出したんです。この時代に、この世界線に来る時……わたしを送り出すため、千雪さんは』

『それは私ではなく、ぞくに言う統矢様の世界の私ですね』

『それでも……だからこそ! 千雪さんっ! 二度もわたしの前から……いなくならないで』

『……大丈夫ですよ、れんふぁさん。悲しかったら、統矢君と一緒にいてあげてください。私はいつも……統矢君と一緒、ひとつですから……』


 全身に爆発の炎を咲かせながら、改型参号機は崩落する飛行甲板を蹴った。

 同時にフルブーストで、スラスターから光が溢れ出る。

 真っ直ぐ千雪は、初めてライフルを構えようとするメタトロン・スプリームへ吸い込まれた。その頭部では、臨界りんかいに達した熱量が己自身さえ溶かし始めている。

 改型参号機の頭部の角は、飾りなどではなかったのだ。

 超々高温度により自らをも燃やして焼き尽くす、灼獄の剣インフェルノホーン

 統矢は確かに、見た。

 右腕が滑落し、両脚も砕けて捻じれ……それでも、真っ直ぐ敵へと吸い込まれてゆく千雪の改型参号機を。その燃え盛る切っ先は白くまばゆく光る。そして……メタトロン・スプリームのコアを僅かに外して避けられた。

 瞬間、統矢の絶叫は空へと吸い込まれた。


「千雪っ、千雪ィィィィィィ!」


 同時に、地響きを呼ぶ光の濁流だくりゅうが全てを飲み込んだ。涙で揺れる視界がホワイトアウトから回復した時、統矢達は音速で離脱りだつした空にいた。巨大なきのこ雲と、遅れて到達する衝撃波。大昔の原子爆弾より何百倍も強力な爆発は、統矢から全てを持ち去り消し飛ばしていった。

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