第13話「渚にて」

 ハワイの日差しは強いが、からりと乾いた心地よい熱気が肌をいてくる。

 常夏とこなつの太陽を避けるように、摺木統矢スルギトウヤはビーチの木陰こかげで海をながめていた。

 すぐ側にはアメリカ海軍の基地があり、振り向けばフェンスが見える。だが、周囲にはちらほらと観光客や地元の人間がいて、皆が水着姿で海水浴を楽しんでいた。

 こうしていると、戦争が嘘のようだ。

 だが、それは現在の現実で、敵は未来からの侵略者。

 遥か遠い未来、異星人との和平を嫌った自分……もう一人の摺木統矢が起こした戦争は続いていた。


「ったく、どう整理すりゃいいんだよ……はは、笑っちまう。なあ、りんな」


 今は亡き友の名を呼ぶ。

 親友だった。

 幼馴染で、姉気取りで、いつも妹みたいにじゃれついてきた。

 それら全てで、それ以上の存在だった。

 ――北海道が消滅したあの日、死んでしまった。

 統矢が守れなかった少女、更紗サラサりんな。その命を奪ったパラレイドをひきいているのは……未来からやってきた自分なのだ。

 頭が混乱していたが、不思議と心は穏やかだ。

 寄せては返すさざなみの白い波濤はとうが、心を洗ってくれる。

 ある種の虚脱きょだつ、放心状態であることも確かだ。

 更紗れんふぁの前では、強気に気概きがいを叫んで、彼女の想いを受け止めた。

 それは、れんふぁが自分の曾孫ひまごだからではない。

 仲間、戦友だからだ。

 だが……一人になると、どうしようもなくやるせない。

 自分が今まで戦ってきたのは、自分の繰り出した尖兵せんぺいだったのだ。


「それで統矢様、か。レイル……お前も俺の、未来の俺の手先なんだな」


 無人島での一夜が思い出される。

 華奢きゃしゃで細過ぎて、触れれば壊れてしまいそうな少女、レイル・スルール。彼女は、セラフ級パラレイド、メタトロンのパイロットだった。そして、未来の自分を統矢様と呼んでしたう、地球人類の未来を守ると息巻いている戦士だったのだ。

 そのことが今はむなしく、切なくて、自分ばかりを責めてしまう。

 何故、未来の自分はこんな暴挙を?

 未来では不幸なファーストコンタクトの後、異星人との戦争が勃発ぼっぱつした。

 しかし、それは終わったのだ。

 何故、和平を飲み込めずに戦いを続けるのか?

 過去である自分たち、平行世界とさえ言える別次元の地球人類を巻き込んでまで。

 既に賢者の境地スーパーけんじゃタイムで思考がまとまらず、ただただ統矢は海を眺めていた。

 背後で声がしたのは、そんな時だった。


「あの、統矢君……大丈夫ですか?」


 その声は、五百雀千雪イオジャクチユキだ。

 背後に彼女の気配が立って、統矢は肩越しに振り返る。

 そして、、リアクションもできぬまま再び視線を放った。遠く太陽の彼方、海と空とが交わる水平線をぼんやり見詰める。

 千雪はそんな統矢の隣に立った。

 自然と統矢は、一人の少女を心配してぽつりと呟く。


「れんふぁは……大丈夫か?」

「はい。今は疲れて寝ています。ずっと不眠不休で【樹雷皇じゅらいおう】に乗って、統矢君を探してましたから。張り詰めていた緊張が解けて、ぐっすり眠っています」

「そっか。よかった」


 言葉がそれ以上出てこない。

 なにを話せばいいのか、なにを語っていいのかわからない。

 そんな統矢を気遣うように、千雪は言葉をつむぐ。

 いつもの玲瓏れいろうな、んだ氷河のように涼し気な声だ。


「れんふぁさんから、少し聞きました。未来の私のことを」

「五百雀千雪教官、か」

新地球帝國第747戦技教導団しんちきゅうていこくだいナナヨンナナせんぎきょうどうだん隊長、五百雀千雪少佐……それが私だそうです。れんふぁさんの教官であり、実質的な保護者だったとか」

「ああ……なるほど。なんかさ、前から仲がいいなって思ってて……時々れんふぁは、お前に甘えるような顔を見せてた」

「私も、それが嬉しかったです。不思議と彼女が頼ってくれるのが、とても嬉しくて」

「お前、意外と世話焼きで過保護でおせっかいだもんな」

「……いけないですか?」

「いいや、ちっとも」

「未来の私も……統矢君を支えることを選んで、統矢君の大事なものを守ろうとしたんだと思います。例え結ばれなくても、間違ったことだと知っていても……」


 だが、そんななにげないやりとりが疑問を掘り起こす。

 西暦2208年、それは今から。そして、統矢や千雪は西暦2098年の今、16歳の高校二年生である。

 そんな高齢の老人が、軍でなにを?

 れんふぁは千雪のことを教官だと言っていた。

 百歳を超える女性が、軍の少佐で戦技教導団の隊長?

 だが、統矢の中でなにかがひっかかる。

 年齢を超越するなにかが、未来の地球にはあるのだ。

 そして、それを統矢はもう知っている気がする……見たことがある気がする。

 上手く考えがまとまらないまま、彼は隣の千雪を見上げた。


「なあ、千雪……俺たち、って、たし、か……? ――ホアアアアアアッ!?」


 絶句、そして絶叫。

 統矢の隣には今、海風に長い黒髪を遊ばせる美少女が立っていた。

 姿

 千雪はいつもの怜悧れいりな無表情で、僅かに頬を朱に染める。


「変で、しょうか……統矢君」


 辛うじて首を横に振った。

 千雪の右手が鉄拳を握ってるので、命を守る選択だった。


「派手で、しょうか。どうですか? 統矢君」

「あっ、あ、ああ……い、いっ! いーんじゃないかな! ハハ、ハハハ……!」

「兄様は御巫ミカナギ先輩と一緒に泳ぎに行きました。ラスカさんと沙菊サギクさんもそちらに」

「お、おう。……よくあの沙菊がお前から離れたな。千雪殿、千雪殿ってじゃれついてこなかったか? やっぱお前、懐かれる体質なんだよなあ」

「は、はい。でも、御巫先輩が気を利かせてくれましたので。そ、それと、あの……この水着も、御巫先輩が」


 統矢は心の中で、ホホホと慈母じぼのような笑みの御巫桔梗ミカナギキキョウを思い描いた。あの人は自分を弟のように可愛がって、時々こういうことをしてくれる。海軍PMR戦術実験小隊かいぐんパメラせんじゅつじっけんしょうたいことフェンリル小隊には、おせっかいな人間が本当に多い。

 千雪は今、とんでもない水着を着ていた。

 真っ白な肌を上下に走る、ワンピースの青い水着。しかし、それは水着と言うには布地面積が少な過ぎる。胸の谷間は露出したヘソを突き抜け、股間のすぐ上まで一直線にガラ空きだし、横は丸出しな背中経由で往復する紐でしか繋がっていない。左手で隠している尻など、見るも顕なヒップラインだ。

 伏目がちに千雪は、もじもじと統矢を見詰めてくる。


「午後の作戦会議まで自由時間なので、その……統矢君。泳ぎ、ませんか?」

「へ? 俺? あ、いや……俺はやめとく、かな」

「……そう言うと思いました。じゃあ、これを」


 千雪が左手で隠していたのは、優美な曲線美の尻ではなかった。

 彼女はそっと、見覚えのあるものを統矢に差し出してくる。

 それは、彼が貸したタブレット端末だった。

 千雪はしゃがんで統矢に目線の高さを合わせると、少し得意気に綺麗な指を走らせる。


「89式【幻雷げんらい改型参号機かいがたさんごうきの修理プランをまとめました。少し迷ったのですが……強化改修プランも織り込み済みです」

「どれどれ……おい待て、お前。馬鹿やめろ、正気の沙汰さたじゃないだろこれ」

「前の仕様より加速力や機動性が12%向上する計算です」

「ラジカルシリンダーとスラスターの増設? タービン過給圧を上げて、常温Gx炉じょうおんジンキ・リアクターの瞬間最大出力を……お前なあ。こんなの、立った瞬間にスッ転ぶぞ?」

「大丈夫です。腕でカバーしますので……それに」


 千雪は自分の膝を抱いて、その上で豊かに過ぎる胸の膨らみを圧縮しながら……きわどい水着で視線をそらした。その表情はやはり仏頂面ぶっちょうづらに近いのだが、不思議と普段より柔らかく感じる。彼女は赤面したまま、海を見やってつぶやいた。


「それに……私も、統矢君の役に立ちたいです。れんふぁさんみたいに」

「千雪、お前……」

「あの子を直して、私もまた戦います。統矢君の背中を、守ります……れんふぁさんと、仲間のみんなと守ります」

「……ああ、期待してるぜ」

「はい」


 少し嬉しそうに、千雪の口元が優しく緩む。

 彼女は結局、泳がずその場で統矢の手元をのぞき込んでいる。

 荒唐無稽こうとうむけいを通り越して魔改造まかいぞうレベルの改修案を眺めつつ、統矢は画面をスライドさせていく。だが、ふと並ぶ数値の一つが目に入ってきた。

 普段は逆、見つけるのは千雪だ。

 だから、不思議と嬉しくなって顔がにやけてしまう。

 それで統矢は、ほうけたような気持ちがようやく普段通りに戻った。


「なあ、千雪」

「はい、統矢君」

「……ここ、見てみろよ。これ……強度計算間違ってないか?」


 一瞬千雪は、はと豆鉄砲まめでっぽうを食ったような顔で目を見開く。大きな瞳に星々がまたたいて、慌てて彼女は統矢からタブレットを取り上げた。


「そ、そんなはずは! ……あっ」

「な? 焦り過ぎだ、そんなぼんミスするような奴じゃないだろ、お前」

「どうしてでしょう、こんな簡単な計算を」

「改型参号機、直そうぜ。俺も手伝うから。だから……そんなに焦るなよ」

「は、はい」

「それ、しばらく貸しとくからさ。……お前に持ってて欲しいんだ、千雪。それと――」


 赤面をタブレットで隠す千雪に、統矢は全てを語った。あの夜、孤島でなにがあったのかを。そこで出会ったレイルのこと、二人で過ごした夜のこと。そして、二人の間になにがあったのかも全て。

 千雪は珍しく、プゥ! と頬を膨らませてむくれっ面を見せた。

 だが、子供っぽく統矢に顔を寄せてくる。

 肩と肩とが触れる距離で、彼女は真っ直ぐ統矢を見詰めてきた。


「じゃあ、統矢君のファーストキスは……奪われてしまったんですね? その、レイルさんという方に」

「ま、まあ、そうなるな」

「安心してください、統矢君。想定済みです。私、統矢君のファーストキスは、りんなさんだと思ってましたから」

「はぁ!? なっ、なに言ってんだよ、そんなこと……なかったよ。なにもないまま、あいつはさ。なんにもしてやれなかった、俺は」

「……でも、安心してください! 統矢君のファーストキスが奪われてしまっても、まだ私のファーストキスがありますから!」

「ア、ハイ。……それ、どういう意味だよ」


 隣にかがむ千雪が、そっと目を閉じた。

 彼女のくちびるは最後に一言だけ告げて、言葉より大事なものを選ぶ。


「こういう、意味です」

「……知ってるよ、千雪」


 統矢は桜色の唇に唇を重ねる。

 行き交う呼気を分かち合う中、鼓動を重ねて手に手を繋ぐ。

 激戦の前の、ほんの僅かな一時ひととき……二人はどこにでもいる少年と少女になって、ようやく恋人同士へと踏み出した。その先に待つ未来を知ってなお……今という時間が二人をいつか一つにすると、お互いが感じているのだった。

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