第7話「千雪とれんふぁに言えぬ夜」
降り出しや雨は、すぐに激しく地面を叩き始める。
どこの国の人間ともわからぬパイロットを抱いたまま、
行くあてもなく走る中で、呼吸が白く
もともと日差しがなくて気温が低い中、雨で急激に冷え出したようだ。
「クソッ、どこかに
今は頭よりも身体を使う時間だ。
97式【
ただ、統矢は闇雲に走っている訳ではなかった。
浜辺から振り返って、森の向こうに山が見えた。
そっちへ行けば、今の統矢が欲している場所がある気がした。
だが……全力で疾走する統矢の視界が、異様な光景で突然開かれる。
「うっ、こ、これは!」
そこには、大量の土砂がえぐられた
膨大な熱量が通過した跡らしく、地面が
その先に……巨大な白い両脚が投げ出されていた。
それは、恐るべきセラフ級パラレイド……メタトロン。
メタトロンの腰から下、下半身が墜落していた。それで統矢は、
統矢が
命の危機で芽吹く、突出した集中力と判断力。
研ぎ澄まされた精神力がもたらす、無限の長さに拡張された一瞬。
自分でもよくわからないが、異能の力を得た統矢は、初めてそのことに感謝した。
「とりあえず、心配事は一つ減ったか。けど」
今はゆっくり調べている時間はない。
下半身だけでも10m前後はありそうな、それは両脚を投げ出し地面に横たわっていた。動く気配もないが、まだ熱いのか雨粒に水蒸気を巻き上げている。
後程調査するとして、再び統矢は走り出した。
軽いとは言っても、人一人を抱えての移動だ。
すぐに両腕がパンパンになって、両脚が痺れてくる。
だが、幸運の女神は統矢に
そのイメージが脳裏に芽吹いた時、何故か女神は二人の少女の顔をしていた。
「なんで千雪とれんふぁなんだよ! って、そんなことより!」
山肌が露出した傾斜が、徐々に周囲に断崖を屹立させ始める。
その岩肌に、統矢がもしやと思ったものがあった。
それは、暗い闇を
すぐさま飛び込み、まずは抱えた少年を下ろす。
そして、サバイバルキットからライトを出して奥を照らした。どうやら危険な動物はいないらしい。まずは一息ついて、統矢は溜息を
これでしばらく、雨に打たれる心配はない。
あとは、火を起こして暖を取るだけだ。
統矢は急いで再び、一人で外へと飛び出す。
手には、サバイバルキットに入っていた大きなナイフがあった。
普段は人型兵器パンツァー・モータロイドという、兵器を自在に操っている。
それでも、鋭利な刃物という武器は生々しくて、不思議と冷たく重い。
「このままお互い体温が下がれば……ええい、今は考えるな!」
森に分け入り、片っ端から目線の高さの枝を払う。
すぐに汗が吹き出し、それが冷えて体温を奪った。
その中で統矢は、なるべくなにも考えないようにして身体を動かす。これもまた命の危機、死に至るゆるやかな時間だ。懸命に生き残ろうとしても、手にした
こんな時、自分に宿った特殊な力はなにも助けてくれない。
戦いの中でしか、危機を危機とも思わぬ力に統矢は苦笑を零した。
やがて、両腕の小脇にそれぞれ抱える程度に薪を調達する。それを持って洞窟に戻り、急いで
ふと、北海道での幼少期を統矢は思い出した。
家族ぐるみで付き合いがあった、摺木家と
統矢もよく、りんなと一緒に家族でキャンプに連れて行ってもらった。
「っと、そんなことより! 燃えてくれよ……俺はまだ死ねないんだ。誰だって、死んでいい筈がないに決まってる」
サバイバルキットには、固形燃料の携帯コンロと、軽作業もできる小さなバーナー。そして、マッチが五箱。他にも色々とコンパクトに入っているが、まずはマッチを取り出して
少しぐずって煙が出たが、なんとか薪は燃え出してくれた。
揺れる炎の色を眺めて、ほっと胸をなでおろす統矢。
そして、すぐに助け出したパイロットを焚き火の側へと運ぶ。
びっしょりと濡れたパイロットスーツは、酷く細い身体のラインを浮かび上がらせていた。統矢にはあまり馴染みがないが、音速で飛ぶ偵察機のパイロットのスーツだ。耐圧性能やブラックアウト対策がされているだろうが、今は冷たさを閉じ込めて濡れてるだけである。
なんとか四苦八苦し、統矢はそれを脱がしにかかった。
「っと、妙なシャツを……着て、やが……るぅ!? 違う、シャツじゃなくてこれ――」
真っ平らな胸を覆うインナーの布地は、胸の周囲だけを隠している。
それはシャツではなくて、スポーツタイプのブラジャーだった。
それに気付いた時にはもう、統矢はパイロットスーツを下半身までずり下ろした後だった。下もブラジャーと同じ色のパンツを身に着けており、おおよそ色気もなにもあったものではない。だが、軍の支給品らしきグレーの下着は、確かに女性ようだった。
少年だと思っていたパイロットは、少女だったのだ。
思わず固まる統矢は、冷えた頬が急激に熱くなってゆくのを感じる。
とりあえず、直視を避けようとしたが、意識すればするほどに触れる手が震える。ようやくヘッドセットも取ってやり、下着姿で抱き上げた、その時。
「ん……っ、あ……?」
「きっ、気がついたか!」
「キミ、は……?」
「よかった……と、とにかくっ! ええと、その、やましい気持ちはなかったんだ! 男だと思って!」
「え……ッ!?」
瞬間、絹を裂くような少女の悲鳴が
同時に、統矢の頬に小さな拳が叩き込まれる。
吹き飛んだ統矢は、殴られた頬を抑えつつ身を起こした。
下着姿の少女は、焚き火の向こう側で身構えていた。
その顔は耳まで真っ赤だ。
「ま、待てって……落ち着けよ。ほら、これ!」
統矢はサバイバルキットのリュックを手繰り寄せ、中から毛布を取り出す。
密閉されたビニールを開封すると、たちまち空気に触れた毛布は大きくなった。酸素と反応して十倍に広がる、特殊生地だった。
それを統矢は広げてみせて、丸めてから放ってやる。
少女はおずおずとそれを受け取り、すっぽりと身体を覆った。
「キ、キミは……」
「俺か? えっと、摺木統矢……階級は三尉、
その時、少女は目を見開いた。
驚きのあまり、なだらかな肩から毛布がずり落ちる。再び半裸の姿が顕になり、思わず統矢は両手で目を覆う。だが、指と指の間から見た少女は、驚愕に固まっていた。
「キミが、摺木……統矢。もしかして……いや、そんな! でも……そう、なのか?」
「あ、ああ。……俺って、そんなに有名人かあ?」
だが、心当たりがある。
極東の島国日本皇国で、セラフ級パラレイドを二体も撃破しているのだ。
先程メタトロンの撃破を確認したから、スコアを伸ばして三体。それは、パラレイドの侵攻で負け続け、滅亡を先延ばしにするしかできない人類同盟軍の中では、異常な戦果とさえ言える。
そういえば、あの【
統矢には
そのことで全てが説明付けられれば、少女の驚きも納得できた。
「で……俺は名乗ったぜ? お前は? どこの国のパイロットだよ」
「あ、えっと……その、ゴメン。失礼、だよな」
「ちょっとな。でも、俺もお前をひん剥いちまったんだ。お互い様、おあいこだろ」
「そう、だな。ふふ……ちょっと恥ずかしいけど。ボクはレイル。レイル・スルース大尉だ。会えて光栄だよ、えと……統矢、って呼んでいい? あ、あれ? 統矢?」
毛布を拾って再びくるまり、レイルと名乗った少女は微笑む。
中性的な顔立ちは
だが……その名前に付属する階級に、統矢は言葉を失った。
「え……大尉? 大尉って、あの大尉? 大尉殿? お前が?」
「他にどんな大尉が……あっ。キ、キミッ!
「いや、別に……ただ、びっくりして」
「そ、そう? ……な、なら、今のナシ……ナシにして、忘れて。……恥ずかしいから」
「なんだよ、大尉って他になにがあるんだ?」
「ないよ! ないってば!」
顔を赤らめ、レイルは目を逸らした。
それでも少し笑って肩を
すると、寒さが思い出されて急に凍えた。
大きなくしゃみをすれば、自然と己の肘を抱いて震える。
レイルはそれを見て、心配そうに統矢の側に回り込んできた。
「変な服だね、統矢。濡れてるよ? このままじゃ、風邪を引いてしまう」
「あ、ああ。だ、大丈夫だ。少し火に当たって乾かせば……ップシ!」
「また、くしゃみ。……えっと、三尉っていうのは……日本で言う、少尉だな」
「そうだけど?」
「つまり、ボクが現状の最上位の階級ってことになる。……統矢、脱いで」
「はぁ? いや、いいって。毛布も一枚しかないし」
「いいから! キミ、風邪を引くぞ? これは命令、復唱は?」
「……了解、その、まあ……脱ぎ、ます」
「よろしい」
おずおずと統矢は、上着とズボンを、次いでワイシャツを脱ぐ。
それをじっとレイルは見詰めてくるので、なんだか凄く恥ずかしい。特別
確かに彼女は、あの細い柳腰や浮き出た
そのレイルだが、羽織る毛布で統矢を包み、抱きしめてきた。
「お、おいっ! レイル! ……大尉、殿。あの」
「緊急の措置だからな。ほら、もっとひっついて。くっついて!」
「お、おおう……な、なんだもう、おい……まずいよ」
「なんで? 火は確保できてるし、キミがあれこれ道具を持ってたのは幸いだったさ。そ、そりゃ、ボクは……
二人はそれっきり黙って、どちらからともなく座る。
炎が燃えて揺れる前では、寒さは感じない。毛布の中で合わせた肌と肌は、徐々に凍える寒さを追い払っていった。
だが、統矢は柔らかさと
そして、先程は幸運の女神として現れた二人の少女が、酷く冷たい視線で想像上の統矢を切り刻む。そんなことをつい考えてしまい、慌てて統矢は頭を強く左右に振った。
レイルは何故か、そんな統矢の横顔を見詰めて「……似てる」と呟く。
なんのことだかさっぱりだったが、統矢は一箇所に集まり始める血潮の熱さに、黙って
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