第6話「青と緑の星のどこかで」

 激しい戦いで揉み合った、97式【氷蓮ひょうれん】セカンド・リペアとメタトロン。

 互いの必殺の剣が行き交い、落下しながら天と地は何度も入れ替わった。

 摺木統矢スルギトウヤの意識は、絶え間なくかき混ぜられた空の青と海の青とで、あっという間にブラックアウトしたのだった。

 彼が目覚めた時、周囲には静寂が満ちていた。

 ぼんやりと開いたまぶたの向こうに、ひび割れたメインモニタが歪んだ景色を映している。不鮮明な意識が思考を取り戻すまで、統矢はまどろむようにまばたきを繰り返した。


「ここは……どこだ? 森……そして……はっ!?」


 慌てて現実感を取り戻した統矢は、即座にシートの上で身を起こす。

 そして、身体に食い込むハーネスに拘束されたまま、じたばたと藻掻もがいた。

 コクピットの傾斜は、機体がほぼ仰向けに倒れていることを感じさせた。操縦桿を握っても、Gx感応流素ジンキ・ファンクションの反応が薄い。機体は震えるだけで動かず、モニターにはノイズが走り続けていた。

 かなりの損傷で、ほぼ擱座かくざ状態だ。

 だが、落ち着いて統矢はハーネスを外し、ヘッドギアを脱ぐ。

 平静なつもりでも、不安に鼓動が加速してゆく。


「おいおい、壊れててくれるなよ……クソッ! 俺のせいだ」


 コクピットを開放して、外へ出る。

 暗雲が垂れこめる空には、時折稲光いなびかりが瞬いていた。

 空はいつのまにか灰色で、周囲には森が広がっている。

 そして、斜面にもたれかかる愛機【氷蓮】を振り返って、統矢は絶句した。

 大半が蒸発してしまったアンチビーム用クロークは、残った切れ端が泡立ったままだ。装甲のあちこちでオレンジ色のスキンタービンが千切れており、墜落時の衝撃を物語っている。

 なにより、見上げる崖の傾斜に、巨大なわだちが刻まれていた。

 恐らく、無意識にスラスターで姿勢を制御して、この斜面を滑るように降りてスピードを殺したのだ。それでも、【氷蓮】は動くことができないダメージに沈んでいる。

 その手にはさやを握っているが、【グラスヒール】も見当たらなかった。


「……千雪チユキになんて言えばいいんだよ」


 思わず統矢は、唇を噛んでうつむく。

 だが、そうして落ち込んでもいられない。

 痛む胸の内を引きずるようにして、彼は即座に行動を開始した。コクピットからブレザーの上着を取り出して羽織り、サバイバルキットを持つ。システムダウンを確認して、全動力を停止させた。

 とりあえず、近場の人間が住んでる生存圏に接触する必要があった。

 まずは自分が生き残って、それからだ。

 近くに人類同盟じんるいどうめい所属の軍事施設があれば、一番いい。それでなくても、民家かなにかがあればありがたかった。最悪のケースとして、人類同盟に所属していない第三国にいるということも考えられた。

 だが、統矢は弱気な自分を奮い立たせて歩き出す。

 そして、脚を止めて振り返った。


「ええと、なんだ、うーん、あれだ。おっ、おとなしくしてろよ!」


 自分でも妙だと思った。

 【氷蓮】はマシーン、機械だ。統矢にとってそれ以上の意味がある、幼馴染の形見である。同時に、仲間と一緒に戦いながら、己を表現しうる唯一の手段だ。

 そういうことを頭では理解していて、思い入れもある程度は存在する。

 だが、パイロットである統矢以上に、この機体を気にしてる少女を知っていた。

 生真面目で不器用で、いつでも真顔で、その怜悧れいりな無表情が不思議と綺麗で。世話焼きでおせっかいな、メカフェチでかわいげがない女の子……五百雀千雪イオジャクチユキ。彼女のことが思い出されて、彼女が『この子』と呼ぶ【氷蓮】を見詰める。

 物言わぬ巨兵は、沈黙で統矢になにも応えてはくれない。

 だが、再度統矢は声を張り上げた。


「絶対にあとで回収に来る! 修理もする! ……また、千雪に会わせてやる、から。だから……あークソッ、俺はなにを言ってるんだ? と、とにかくっ!」


 とうとう統矢は、数歩引き返して【氷蓮】を指差した。


「いいか、俺が下手へたをうったんだ! お前のせいじゃない、それは乗ってる俺が保証する。って、俺にも千雪の病気が伝染うつったか? ま、少し我慢してろよ? じゃあな」


 とりあえず統矢は、後ろ髪を引かれる想いで歩き出す。

 あてはないが、まずは森を抜ける必要がありそうだ。【氷蓮】がほぼ完全にオシャカだから、衛星とのリンクで現在地を特定することもできなかった。闇雲に歩いてもしかたがないので、持ち物からコンパスを取り出す。


「とりあえず、北に向かうか。最悪、今夜は森のなかで野宿だけど……」


 ふと、敵のことが気になる。

 先程まで激戦のさなかにいた、セラフ級パラレイド……メタトロン。あの御堂刹那みどうせつな特務三佐とくむさんさが、初まりのパラレイドと呼んだ強敵だ。

 月の前線基地を一瞬で消し飛ばす攻撃力。

 人類最強の力である【樹雷皇じゅらいおう】すら、互角に戦うこともままならない。

 改めて統矢は、セラフ級と呼ばれる天災クラスの脅威に恐怖した。

 撃墜は確認していない。

 無我夢中で戦う中で、無傷ではいられないと思いたいが……自信もない。

 だが、先のことはまず生き残ってから考えるしかない。

 森へと脚を踏み入れた統矢は、油断なく周囲に気を配る。


「植物の感じじゃ、熱帯地域じゃないようだけど」


 ここはもう、大自然のド真ん中だ。その中で文明の恩恵が少ない今、統矢は脆弱なただの人間でしかない。万物の霊長などと自負していても、科学技術で己を守らなければ……人間は弱い。

 そして、そのことをすぐに思い出させる光景が目の前に飛び込んできた。


「っ!? ……って、脅かすなよ」


 突然、草陰から影が飛び出してきた。

 思わず身構えて、ナイフはサバイバルキットの中だと思い出す。既に日本皇国海軍にほんこうこくかいぐん三尉さんい待遇だが、拳銃も持っていなかった。青森校区あおもりこうくまなから真っ直ぐ出撃したので、当然と言えば当然だが……あまりにも心細い。

 だからこそ大げさに驚いたが、統矢は胸をなでおろしていた。

 目の前にいるのは、やや大きめの野うさぎだ。

 統矢を見ても逃げないのは、人に慣れているのか、それとも人を知らないのか。

 身を固くする統矢の脳裏に、サバイバルの基本が思い出される。


「食料の確保というのも、あるけど……でも、流石にこれは」


 全てのパラレイドを殲滅せんめつ剿滅そうめつすると誓った少年でも、躊躇われる。相手は無機質な殺意を秘めた機械ではない……赤い血の流れるイキモノなのだ。

 だが、そんな彼の目の前で、大自然が過酷な摂理せつりを見せつけてくる。

 ビクリ! と震えた野うさぎは……次の瞬間には走り出していた。

 それは、先程より大きな動物が視界に飛び込んでくるのと同時。

 統矢が考え込んでいるうちに、野うさぎはあとからきたキツネに噛みつかれて持ち去られた。一瞬の出来事で、固まったまま統矢は身動き一つできなかった。

 この場所では今、統矢は食物連鎖に関与できぬ、無力で無価値な少年だった。

 呆気にとられつつ、気付けば額に浮かんでいた汗を拭う。

 同時に、鼓動を落ち着かせれば……聞き覚えのある音を耳が拾っていた。


「水? ……波か、じゃあ」


 統矢は歩調を強めて、最後には走り出す。

 程なくして森を抜け、その規模が大きくなかったことを知る。しかし、振り返ると左右に広がる森は、広大に見えた。

 原初の暗い森は、外から改めて見ると不可侵の闇を湛えて見えた。

 そして前を向けば、砂浜に白い波濤はとうがさざなみをよせていた。

 渚に足跡を刻む統矢は、次第に立ち止まって水平線を見詰める。

 その先にはずっと、低くう雲が垂れ込めて先が見えない。

 見渡す限りの大洋が、そこには広がっていた。


「海岸線に出た、けど……い、いや! ここがみさきや半島の可能性も……だとしたら、どこだ? 俺はどこに落ちたんだ」


 襲いくる虚脱感に抗い、砂浜を海沿いに歩く。

 静かに寄せては返す波が、長らく太古から続く営みのように繰り返されていた。それでも歩き続けると……意外なものに目を見張った。

 そして、絶望しかけた統矢の心に火が灯った。

 砂浜に、一人の人間が倒れている。

 思わず駆け出せば、酷く華奢きゃしゃなパイロットスーツ姿は、同年代の少年のように見えた。

 すぐに抱き上げ、呼吸と鼓動を確認する。

 そして……倒れた少年から伸びる足跡の先は、海の向こうへ消えていた。

 見れば、波間に飛行機が突き刺さっている。

 あの形状は軍用機だ。人類同盟の各国は空軍を廃止、航空戦力をほぼ放棄している。無人攻撃機のたぐいでないとすれば、輸送機や偵察機だ。コンパクトな翼を持つ姿は、恐らく後者だろう。海軍は少数ながら、有視界での目視を必要と感じて、音速偵察機だけは開発が盛んだった筈だ。

 もっとも、統矢にわかるのはそこまでだ。

 一介の幼年兵には、パンツァー・モータロイドことPMRパメラのこと以外はわからない。


「おい! しっかりしろよ、おい……目を覚ませ、覚ましてくれよ!」


 僅かに薄い胸が上下していて、息があることがわかる。

 だが、膝の上で揺すっても少年パイロットは目を覚まさない。

 気付けば統矢は、同じ立場の遭難者に覚醒を強請る。その中で弱気な臆病が膨れ上がって、胸が潰れそうだった。思惟しいを逃して、なるべくそのことを考えないようにする。

 恐らく、人類同盟の各国は【樹雷皇】の戦果と性能を確認したかった筈だ。

 その目的で飛ばされた偵察機が巻き込まれたか、それとも事故か……別の任務で哨戒中しょうかいちゅうだった可能性もある。全地球規模で、次元転移ディストーション・リープの反応は警戒されていたから、定時パトロールだとも思えた。

 そうして頭をフル回転させていると、反応があった。


「ん……っう……」

「おい! 大丈夫か?」

「……准、将。僕は……」


 苦しげに呻く少年の頬に、しずくが落ちる。

 慌てて統矢は目元を拭ったが、涙ではなかった。

 それで空を仰ぐと……ついに曇天どんてんが泣き出した。

 次第に雨粒は重さを増して、あっという間に音を立ててゆく。

 とりあえず統矢は、少年パイロットを抱き上げて走り出した。驚くほどに軽くて、全力疾走すれば重さを感じない。そうして統矢は、再び森の方へと引き返すのだった。

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