第4話「破壊の中から羽撃いて」

 仮設ドックの中の空気が、サイレンの音で戦慄に凍る。

 摺木統矢スルギトウヤ八十島彌助ヤソジマヤスケから簡単な説明を受けただけで、愛機である97式【氷蓮ひょうれん】セカンド・リペアへと乗り込む。まるで騎馬へとまたがり身を沈める様にして、紫炎色フレアパープルの機体は完璧に周囲の装甲へ溶け込んでいた。

 その名は、【樹雷皇じゅらいおう】……人類の叡智えいちの結晶にして、史上最大の殺戮兵器デストロイヤー

 統矢が常温Gx炉じょうおんジンキ・リアクターを起動させるや、【氷蓮】の薄暗いコクピットをモニターが照らす。制服の上着を抜いでヘッドギアをつけつつ、見慣れぬ表示を統矢は目で追った。『YGGDRASILLユグドラシル SYSTEMシステム』の表示と共に、【樹雷皇】の簡素な全体図と兵装が一斉に表示された。そのどれもが、オンラインになってコンディション・グリーンの表示を明滅させる。


「なんだこりゃ……これが全部? 主砲、集束荷電粒子砲オプティカル・フォトンカノン。副砲は……電磁投射砲レールガン? 各種ミサイルにマーカー・スレイブランチャー、グラビティ・アンカー? おいおい」


 それは一言で言うと、つるぎ

 細く長い、天翔ける魔剣の刃だ。

 巨体の大半を占めるのは、長大に過ぎる超々長射程の集束荷電粒子砲、その砲身だ。その根本に申し訳程度に前進翼があり、上面には兵装コンテナと索敵様レドーム、戦艦で言えば艦橋ブリッジにあたる【氷蓮】が電磁投射砲に挟まれ搭載されている。下面には巨大な格闘用のグラビティ・アンカーが、まるで巨大な怪物のクローのよう。後部は全て、無数のブースターとスラスター、そしてプロペラントタンクで雑然としている。

 統矢が呆気あっけにとられていると、ヘッドギアのレシーバーから声が響いた。


『統矢さん、いいですか? 作業員の退避、終わったみたいです』

「れんふぁか。ああ……いいさ! やってみせる!」

『えっと、じゃあ……全補機ほき運転開始、主電源を主機もとき【シンデレラ】に投入。オンライン! フライホイール接続、最終安全装置解除! ……【樹雷皇】、起動しますっ』


 微動に震える中で、統矢は次々とサブモニターを流れる文字列を読み取ってゆく。それは、全長300mを超える空飛ぶ武器庫だ。火器管制や出力調整は、【樹雷皇】の側で更紗サラサれんふぁがやってくれる。しかし、普段の【氷蓮】とはまるで別物の仕様に、統矢は内心驚きを隠せない。

 だが、驚きに武者震いが込み上げても、戸惑どまどいも躊躇ちゅうちょもない。

 ――やれる、やりきる、やり通す。

 この力があれば、あらゆるパラレイドを剿滅そうめつできる。

 数や質を問わず、セラフ級さえ単体で殲滅せんめつできるだろう。

 統矢の中の危険な闘志が、憎悪ぞうおかたどる巨大な魔剣に凝縮されてゆく。

 そんな時、れんふぁとは違う回線から声が飛び込んでくる。


『摺木統矢! 既に敵は地球の衛星軌道上へ次元転移ディストーション・リープしてきた。現在、次々と戦略衛星が破壊されている。このままでは人類同盟じんるいどうめいは、ネットワークの大半を失うことになる』

「……月に衛星軌道、そして地球か。手堅く外堀そとぼりから埋めてく気か?」

『多くは言わん。。【樹雷皇】、使いこなしてみせろ!』

「言われるまでもない! れんふぁ、出るぞ!」

『待て、すぐにラングレーの高度を……仮設ドックの開放に、急いでもあと15分はかかる。その間に――あっ、こら! なにを、す、る……刑部志郎提督オサカベシロウていとく!』


 不意に、回線の向こう側が慌ただしくなった。

 無線機を取り上げられる御堂刹那特務三佐ミドウセツナとくむさんさの声が、あっという間に小さくなる。

 代わって響くのは、酷く落ち着いた穏やかな声音だった。


『どうも、お疲れさん。摺木三尉さんい……って、なんだか少し硬いねえ。統矢君、って呼んでもいいかな? 刑部志郎です』

「ああ、さっきの……別に、どうでもいいですけど」

『現在【樹雷皇】は、人類同盟所属の超弩級双胴空中空母ちょうどきゅうそうどうくうちゅうくうぼラングレーの甲板上に載っかってるのね。仮設ドックごと。だから』

「だから、仮設ドックを開けないと外に出られないってんだろ?」

『ぴんぽーん、正解』


 この非常時で、背後で喚く刹那の声に、行き交う下士官の叫びが入り交じった。だが、慌ただしい緊張感の中で、不思議と志郎の声が鼓膜に浸透してくる。

 決して声を荒らげず、ゆっくり余裕をもって放たれる、言葉。

 それは何故か、血潮ちしおたけって燃える統矢の気迫をも落ち着かせてゆく。

 不思議な御老体ごろうたいだと思ったが、統矢は黙って話を聴いた。


『それでねえ、あ、ちょっと待ってね。刹那ちゃん、ラングレーの艦長に……うん、うんうん。そう、それなんだけど。ちょっと艦橋まで走ってもらえる? お願いねん』

「あ、あの、刑部提督」

『ああ、ごめんごめん。時間がないから端的に説明するよ。このラングレーは、人類同盟が保有する最大の飛行艦艇な訳。双胴型で、片方の気嚢きのうが死んでも理論上は浮いてられるのよ』

「それで」

『今から、Gx。で、飛行甲板はほぼ垂直にずり落ちるから……そのまま仮設ドックごと空中に放り出されることになる』

「! ……あとは、わかる。それ、いいのかよ」

『アメリカは怒るだろうねえ。船乗りとしても胸が痛むよ。でもね』

「でも?」

『地球という巨大な宇宙船が爆沈、沈没することに比べれば……まあ、始末書くらい僕が書くから、それは平気。大丈夫だよん?』

「だよん、って……」

『じゃ、そゆことでよろしく。ポポポポーンとやっつけちゃって頂戴ちょうだい


 それだけ言って、通信は切れた。

 日本皇国海軍上級海将にほんこうこくかいぐんじょうきゅうかいしょう、刑部志郎提督……恐ろしい人だと統矢は思った。この状況でも平常心、そして普段通りの自分でいられる余裕を持っている。それなのに、提示される戦術は突飛とっぴを通り越して常識の埒外らちがいだ。

 だが、悪くない。

 統矢は最終チェックを追えて、【氷蓮】ごと【樹雷皇】の全てを掌握する。

 同時に、外の爆発音を拾って仮設ドックごと巨艦が激しく揺れた。

 徐々に【樹雷皇】が、固定用の拘束アームを外される中で傾いてゆく。


「軽く言ってくれる! ……全く、海軍の士官学校じゃ零点れいてんだぜ、こんな作戦立案。れんふぁ!」

『はい! 現在の傾斜はマイナス40度。仮設ドック、崩壊しつつ滑り落ちてます。ラングレー内に激しい衝撃音。火災と、あと艦載機が固定具から外れて……うわあ、大惨事』

「下は? ここ、高度15,000mだろ」

『今は太平洋上空、下に島や船舶の反応はないよ。っとっと、あわわっ!』

「どうした、れんふぁ!」

『コーヒー、こぼしちゃった。うう……濡れちゃいました。えと、艦の傾斜が60度を突破……仮設ドック、完全に落下姿勢だよ。対流圏艦隊ストラトスフリートとの安全距離を確保後、自由落下しつつグラビティ・ケイジを展開。内側から仮設ドックを吹き飛ばすね』

「グラビティ・ケイジ……ああ、【シンデレラ】が使ってたあのバリアか」


 同時に、一瞬だけの無重力が統矢を包む。

 巨大な空母が完全に90度傾くと、仮設ドックが宙へと放り出された。

 統矢の胸で、ふわりとネクタイが浮かび上がる。

 そして……世界樹の神皇が、覚醒した。


『グラビティ・ケイジ展開、主機フルドライブ! 全ロケットモーター、点火……ブーストッ!』

「……べっ、【樹雷皇】っ!」


 コクピットからは全く見えず、前面のモニタは【氷蓮】の視界しか伝えてこない。薄暗い中で崩落する仮設ドックの闇が、徐々に空の青さに引き裂かれていった。

 肉眼で確認できるほどに、強力な暗い光を放つ力場フィールド……グラビティ・ケイジ。

 【樹雷皇】を包む強大な重力場が、内側から仮設ドックを木っ端微塵に砕く。

 同時に、全推力がえて巨体が蒼穹そうきゅうへと舞い上がった。

 不思議と、加速のGが全く感じられない。

 そのことをれんふぁに聞いたら、どうやら【氷蓮】を含むコクピット周辺にも、重力制御が働いているようだ。高度な異次元の慣性制御で、巨大な兵器に乗っているという感覚がない。


『【樹雷皇】、第一宇宙速度突破、成層圏離脱……統矢さん、平気ですか?』

「平気もなにも……全然感じないぞ? なあ、ちょっと……もうちょっと、機体の振動や衝撃をコクピットに、【氷蓮】に反映できないか? ……敵を肌で感じにくいから」

『ま、待ってね……結構簡単にできると思う。あ、ほら! 統矢さん! 地球が』


 メインモニターに漆黒の星海そらが広がる。

 そして、その隅に小さなウィンドウが浮かんだ。

 あおい地球の映像をれんふぁが回してくれたものだ。この非常時で時間を忘れるほどに、その姿は美しい。絶対元素Gxぜったいげんそジンキがもたらしたエネルギー革命で、地球の環境問題は一時の半分以下まで汚染が軽減されている。一方で、パラレイドの侵攻で地球そのものがゆがんできているのだ。

 だが、全ての生命を内包してめぐる惑星は、深海の宝石のように美しかった。

 そうこうしていると、【氷蓮】のコクピットが普段のような揺れを取り戻す。座席の下に動力を感じ、風斬りせる速度に触れるような感覚。いやおうにも統矢に、自分が人型機動兵器に乗っていることを自覚させるマシーンの鼓動だ。

 同時に、統矢を乗せた【氷蓮】もまた、異形の巨大兵器群に埋まって人の姿を脱ぎ捨てた。統矢とれんふぁの手で今、虚空の宇宙に最強の殲滅兵器が吼え荒ぶ。


『統矢君、どう? あんまり反映させすぎると、Gでペチャンコになっちゃうと思う。統矢君も、わたしも』

「ああ、大丈夫だ。これくらいでないと……ッ! なにか光った!」

『前方、爆発光! 多分、セラフ級パラレイド……メタトロン。イルミネートリンク……はわわ、戦略衛星が次々と破壊されてる』

「チィ! れんふぁ、ここから狙えるか!」

『地球の丸みが……あ、大丈夫。射線、通るよ。集束荷電粒子砲、スタンバイ。縮退連鎖しゅくたいれんさ開始。トリガーを統矢さんへ』


 統矢の瞳が見詰める先で、暗闇くらやみの中に小さな爆発の花が咲く。

 それは、人類同盟が打ち上げた天からの千里眼サーチアイを潰す、破壊天使セラフの光だ。


「れんふぁ、ビームでも多少は照準が……地球の重力とかの影響は」

『大丈夫だよ、統矢さん。200mの砲身の、その先の先までずっと、グラビティ・ケイジの見えない砲身が補正してくれるから』

「……なんか、すげえな」

『えへへ、ありがと……照れちゃうな。なんか……凄く、嬉しい。わたし、やっと役に立ててる、気がする』

「いや、お前を褒めた訳じゃ……ま、いいか。頼む、れんふぁ!」

『うんっ! ライフリング回転開始、口径を絞って……バレル安定。チャンバー内圧力臨界……【氷蓮】と統矢さんの目が焼けちゃうから、バイザー補正するね』

「頼む! ……見えてるぜ、パラレイド。ここから……俺たちがっ! 人類が、思い知らせてやる! これが……俺たち人類の、力っ! だぁぁぁぁっ!」


 音速の十倍以上のスピードで、【樹雷皇】が宇宙を切り裂く。

 その長く先端まで伸びた砲身から、苛烈かれつな光が迸った。

 統矢の照準で、精密な射撃を目的に口径を絞った集束荷電粒子砲が、メギドの火にも似た光条を解き放つ。熱と光の奔流を吐き出しながら、【樹雷皇】は真っ直ぐパラレイドへ……セラフ級、メタトロンへと吸い込まれた。

 あっという間に距離を食い潰した巨体の中で、統矢は見た。

 ビームの照射を終えた【樹雷皇】が、レーダーの反応を映すモニターの上で光点と擦れ違う。僅か一秒もない会敵エンカウントで、あっという間に【樹雷皇】はメタトロンを追い越した。

 その刹那、統矢は見た。

 統矢にだけは、見えた。

 破壊した衛星を踏み台に飛び上がって、強力な砲撃を避けた白い影。

 地球光が照らす、トリコロールに塗り分けられた大天使の姿を。

 それは、Vの字に突き立つ角の下で、無機質な双眸そうぼうに光を走らせていた。

 一瞬の交錯クロスレンジの中で、統矢は倒すべき敵を目視で確認したのだ。

 カメラが移してCGシージーで補正された、少し荒いメインモニターの映像で……こちらへと銃口を向けるメタトロンの姿。それを、統矢の中のDUSTERダスター能力がはっきりと知覚させたのだった。

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