第2話「老将と少女」

 摺木統矢スルギトウヤが職員室に呼び出されたのが一時間前。

 そして、御堂刹那ミドウセツナ特務三佐に連れて行かれたのが青森港だ。高高度連絡用の軍用飛行艇でむつ湾を離水、今は空の人である。

 ここまで、隣に座る刹那はなにも説明してはくれない。

 ただ、難しい顔をしてノートパソコンのキーボードを叩くだけだ。

 だが、そろそろ痺れを切らして統矢は言葉を切り出す。


「……で? なにがあったんだよ、御堂先生。ま、聞かなくてもなんとなくわかるけどな」

「うるさい、気が散る! ああクソ、計算を間違った……ん、そうだな」


 与圧された小さなキャビンでは、統矢と刹那の他に乗客はいない。

 統矢の隣で刹那はノートから手を放すと、意を決したように見上げてくる。改めて間近に見ると、やはり小さな子供……どう贔屓目ひいきめに見ても小学生だ。女児である。だが、皇国海軍の軍服を着た刹那は、慎重に言葉を選んで喋り始めた。


「貴様と【氷蓮ヒョウレン】にお呼びがかかったんだ、もう気付いているな?」

「まあ……そんなことだろうと思ったけどさ。辰馬タツマ先輩たちは? 戦技教導部せんぎきょうどうぶで、フェンリル小隊全員で来りゃいいだろ」

「無用だ。残念だが、今回ばかりは私の虎の子の皇国海軍PMR戦術実験小隊こうこくかいぐんパメラせんじゅつじっけんしょうたいでも、お手上げだ。この状況を打開できるのは、貴様しかおらん」

「そりゃどうも……やんなるよなあ、まったく。で?」


 口では呆れた風に言っても、統矢のやる気は人一倍だ。

 そして、彼が心に決めた使命はただ一つ。

 地球人類を無差別に襲う脅威、パラレイドを駆逐くちく殲滅せんめつ……剿滅そうめつする。

 ただ、それだけのために統矢は生かされているのだ。

 それは、蘇った愛機、97式【氷蓮】セカンド・リペアも同じだ。

 その覚悟を統矢の瞳に見出したように、刹那がフンと鼻を鳴らす。


「察しが良いな、摺木統矢。今から72時間前、新たなセラフ級パラレイドが出現した」

「場所は?」

「はぁ? 月? って……なにがあんだよ、そんなところに」

「かつて人類の宇宙開発がはなやかりし頃の、夢の残滓ざんしだ。……はまだ、外宇宙は愚か、火星圏や木星圏にすら船出しておらんのだ。その足場たる月の基地を……クソッ! 月のナウシカベースが、400人の人員もろとも消し飛んだ!」


 過去、二十一世紀初頭……地球の人類は科学文明の絶頂期を迎えていた。人は皆、高度なコミュニュケーション端末として携帯電話を当たり前のように持ち歩き、個人レベルで解放された電子ネットワークは世界中に張り巡らされていた。

 無数の地域紛争や経済格差を抱えながらも、皆が前を、上を向いていた。

 そして、宇宙へもその目を向けていた時代は……半世紀以上も昔だ。

 今、緩やかに地球の人類は衰退し、滅亡に瀕している。

 専門家の話では、例えパラレイドの脅威が完全に退けられても……このまま人類は、混乱と荒廃から脱することなく、ゆるやかに消え行くだろうと言われている。


「ん? いや、御堂先生……今回の地球人類? それは――」

「御堂刹那特務三佐と呼ばんか! ……貴様も見ておけ、これが……この地球から外への一縷いちるの望みすらにじった敵だ」


 トン、と、ノートに触れてから、刹那が液晶画面を向けてくる。

 そこには、不鮮明な映像で月面が映っていた。

 クレーターだらけの月に浮かぶ、大きな大きな地球を背景に……天使の名を冠した、恐るべき敵の姿があった。形ばかりは人を象る、破壊と殺戮を凝縮した熾天使セラフ

 統矢は己の網膜に刻んだ。

 生命を賭して倒すべき、刺し違えてでも破壊するべき敵。

 未だ心の中でくすぶる憎悪が、一人の少女を思い出させる。

 己の半身、生まれて育つ間ずっと一緒だった、幼馴染の女の子……目の前で血塗ちまみれの肉塊となって果てた、初恋の人。明るく前向きで、リーダーシップの塊みたいな快活少女ラジカルガールだった。

 全て、奪われた。

 一瞬で。

 永遠に。

 それを統矢は、決して忘れない。

 忘れさせてくれる黒髪の少女も、今は隣にいないのだ。

 そんな統矢に、刹那が敵の名を教えてくれる。


「セラフ級パラレイド……。最も古い、原初はじまりのセラフ級。ついに奴らが本格的に動き出したということだ。本気で人類を皆殺しにするつもりだろう」


 刹那の、童顔に似合わぬ獰猛どうもうな表情が瞳を闇に染める。


「メタトロン……生命の樹の第一、及び第十のセフィロトを守護する天使。ギリシャ語のメタトロニオス、『玉座にはべる者』を語源とする。72の名を持ち、最も神に近い天使だ」

「……上等じゃねえか。天使だろうが神様だろうが……ブッ潰してやる」

「そうだ、摺木統矢。お前にはその力が……天使殺しエンジェルキラーの力がある。DUSTERダスター能力に目覚めし者の使命として刻め。必ず全てのパラレイドを排撃、撃滅するんだ」


 ノートパソコンを凝視する統矢は、無意識に頷く。

 画面の中では、光の剣を振り上げるセラフ級の姿が映っている。ぼんやりと見えるのは、白を基調としたトリコロールのテストカラー。そして、アンテナのたぐいなのか額にはVの字の角が突き立っている。

 不思議と統矢は、どこかでこのカラーリングとヒロイックなイメージを見たことがあるような気がした。だが、それよりも以前から気になっていたことがある。


「なあ、御堂先生……じゃない、特務三佐」

「なんだ?」

「いつも思うんだけど、さ。セラフ級の名前って……もしかして、御堂特務三佐たち特務機関ウロボロスが決めてんの? いや、前からちょっと微妙なセンスだな、と――」


 その時、並んで座る二人の横に男が立った。

 線の細い初老の紳士で、海軍の軍服、それも将校のものを着込んでいる。だが、温和な表情はどちらかというと大学の教授のような、ある種の物静かな知性を感じさせた。年の頃は、六十代半ばくらいだろうか? とても軍人には見えない。

 男は、通路側から身を屈めて刹那の頭を

 これは殺される……少なくとも雷が落ちる。

 統矢は命知らずな海軍さんを見上げて、言葉を失った。


「いい質問だね、摺木三尉。で、いいんだよねえ? うん、確かフェンリル小隊の摺木統矢三尉。あの北海道から生還した……特別な人材だと聞いているよ」

「は、はあ」

「僕は刑部志郎オサカベシロウ、まあ……海軍の偉い人だよ。うん、偉い筈なんだけどなあ? ね、


 完全に地雷を踏んだ。

 刑部志郎と名乗った男が、ポンポンと刹那の頭を撫でている。

 だが、不思議と刹那は黙ったままだ。

 普段なら既にもう、怒鳴り散らしている筈だが……むぐぐと目付きの悪い上目遣いで睨み返しているだけ。


「……摺木統矢。皇国海軍上級海将こうこくかいぐんじょうきゅうかいしょう、刑部志郎提督だ。我々特務機関ウロボロスへ非常に協力的で、あれこれ融通してくれる。皇国海軍PMR戦術実験小隊発足にもご尽力頂いた」

「そゆこと。で? 刹那ちゃん。いつもあの名前……どうやって決めてるのさ。僕もずっと気になってたんだよね。……天使じゃなきゃ駄目? 北欧神話とか日本神話にしようよ、そっちの方が格好いいでしょう」

「グギギ……っ! が、我慢だ、我慢……提督、セラフ級の呼称については、特務機関ウロボロスに一任されております。その内容に関しては軍機に当たるため、全く! 完全に! お話っ、できません! 以上!」

「ほんとぉ? ほんとにそんだけ? ……僕、こう思うんだよねえ。刹那ちゃん、あいつらの名前……?」


 なにを言っているのだろうか?

 統矢には、志郎の言いたいことがわからない。

 そして、普段なら烈火の如く怒り出す刹那が、黙っているのも理解不能だ。

 セラフ級パラレイド……それは、一騎当千の戦略級人型兵器だ。既に南極やロシアに巨大なクレーターを穿うがち、ブリテンと北海道は海の底だ。日本皇国もかつての皇都を復興不可能なレベルまで破壊され、地球からは無数の国家が民ごと消滅した。

 天使の名を冠する悪魔……殺戮の権化、それがセラフ級。

 刹那は鬱陶しそうに志郎の手を頭の上から振り払いつつ、苛ただしげに声をあげた。


「提督、いいかげんにしてもらおう! ……どうしてこう、いつもいつも提督は。セラフ級の呼称に関しては公表できない! その名が知れれば各国の国民にもいらぬ混乱を招き、政情不安定な地域で宗教的な暴動が起こることも――」

「公表できない。あ、そーなんだあ。やっぱ、公表できないけど……知ってるのね?」

「……ッ!?」


 統矢は意外なものを見て、同時に少しおかしかった。

 あの、冷酷無比で冷徹な鬼の指揮官、御堂刹那特務三佐が、まるで子供だ。見た目通りの子供になってしまっている。

 そして、志郎は徹底的に彼女を子供として……女の子として扱うことにしているようだ。

 それは、からかったり茶化したりする雰囲気ではない。

 不思議と親愛の情、敬愛の念、そして……優しく気遣うような敬意が感じられる。


「ま、いいのいいの。刹那ちゃん、ドンマイ。ドンマイだよ?」

「う、うるさいっ! 提督、私を子供扱いするのはやめていただこう!」

「まあまあ……はいこれ、いつもの。摺木一尉にもあげよう」


 志郎は軍服のポケットから、なにかを取り出した。

 それは、プラスチックの棒に刺さってラッピングでくるまれた、パステルカラーのキャンディだ。志郎はそれを刹那の手に握らせると、統矢にもくれる。

 刹那がまるで、あのラスカ・ランシングのようにあしらわれている。

 そして、これもまた不思議なことに……刹那は頬を僅かに赤らめたまま、押し黙ってしまった。正直、凄い面白い事態で見ものなのだが、統矢はその刹那と同じレベルで扱われているので、微妙な気持ちになった。


「あ、ちょっと操縦席に顔出してくるからね、刹那ちゃん。も艦隊に運んでおいたから、今は突貫工事で艤装中ぎそうちゅうかなあ。じゃ、またね。いい子にして仕事がんばんなさーい。ははは」

「グヌヌヌヌヌ! フギーッ! ……ハ、ハイ、ゼンショシマス」

「うん、いいお返事。じゃあねーん」


 妙に軽いノリで、志郎は行ってしまった。

 そして、歯ぎしりしながらそれを見送りつつ……ギロリと刹那が統矢をにらむ。

 他言無用を命じる、殺意一歩手前の視線で統矢を貫きつつ、刹那は意外な表情を見せた。不意にふてくされたような、ちょっとせつなそうな顔で頬をふくらませる。そうして彼女は、貰ったキャンディーのつつみをビリビリと破り出した。


「困った男だ。クソッ……あ、まて? フッ、そうか。まあ、許してやるとするか。なに、年寄りは寂しがり屋だからな、ウハハ! ウハハハハ!」

「なんだよ、気持ち悪ぃよ」

「うむ、いつも通りレモン味が一番だな。このご時世、物価の高騰で甘味料も貴重だ。軍人や軍属、幼年兵たちには行き渡っているが、なかなか……うん、美味い! ……? 摺木統矢、食わんのか?」

「……欲しけりゃやるよ」

「はは、なかなかかわいいところがある」

「どっちがだよ」


 それから刹那は、妙に上機嫌にノートパソコンに再び向かい始めた。先程よりもキータッチの音は、心なしか軽やかだ。くわえ煙草ならぬくわえキャンディで、ウキウキと働く横顔から、自然と統矢は視線を逸らす。

 まるで祖父と孫だ。

 実際、そういう年齢差に見える。


「こりゃいい、みんなに面白い土産話が……!? な、なんだっ? おい、これ――」


 ニヤニヤ笑って外の景色へ視線を投じた、その時だった。

 不意に、窓の中に巨鯨きょげいの群れが飛び込んでくる。

 それは、この高高度を悠々と飛ぶ高速巡航艦たちだ。世界各地で輸送任務以外の仕事を失った海軍の、絶対元素Gxぜったいげんそジンキが蘇らせし超弩級飛行船ギガンティスの数々……見渡す限りに、何十隻もの巨艦が空中艦隊を形成していた。


「すげえな……お、そうだ。あいつがまた、こういうのが好きなんだよ。しょうがない奴だよな、千雪は。写真でも撮ってあとで見せてやるか……ありゃ? タブレットが」

「なにをしている、摺木統矢。ああ、到着したか」

「なにをしようってんだ? 全国海軍博覧会でもすんのか?」

「貴様は馬鹿か、摺木統矢。博覧会? 馬鹿を言え……人類の存亡をかけた歌劇オペラの幕があがるのだ。タイトルロールは貴様だ。【氷蓮】と用意された機材で、セラフ級メタトロンを撃墜しろ」

「……艦隊戦か?」

「この対流圏迎撃艦隊ストラトスフリートおとりだ。奴は必ず地球を目指し、

次元転移ディストーション・リープじゃなくてか」

「ああ。必ず来る……今回もまた、。だが、今度という今度は逃さん。ここで、この時代で……この世界で、メタトロンを撃墜する。そして……奴の野望の息の根を、止める」

「いや、訳わかんねーし。ってか、やるの俺だし。……俺が、やるしさ、それは」


 たけたかぶる統矢の闘志が、平静さと思慮深さを薄れさせる。五百雀千雪イオジャクチユキ更紗サラサれんふぁもそばにはいてくれない。仲間たちが誰もいない今、彼のみなぎる憎悪は既に闘争心を臨界まで高めている。

 だから、気付かない。

 自分と刹那との間を、言の葉に乗って真理の一端が通り過ぎて、過ぎ去ったことを。

 いつになく機嫌がいい刹那が、うっかり世界の真実を口にしたことを。


「しかし、よく集めたな。こんだけの軍艦が空を飛んでんのかよ」

「予定された数の三割もそろわんかった。だが、問題ない」

「へいへい、っと……なんだありゃあ、でかいなオイ!」


 双胴の一際巨大な飛行船は、中央の構造物が全て飛行甲板という空中航空母艦だ。確か、人類同盟の中でもアメリカしか保有していない。そして、就航後間もなくパラレイドの襲撃を受け、世界中の航空戦力は無力化された。あっという間に無用の長物、空飛ぶ屑鉄くずてつになったのだ。

 その広々とした飛行甲板に、急造らしき仮設ドックがある。

 その建造物の中には、今……と共に人類最後の切り札が統矢を待っているのだった。

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