第2話「老将と少女」
そして、
ここまで、隣に座る刹那はなにも説明してはくれない。
ただ、難しい顔をしてノートパソコンのキーボードを叩くだけだ。
だが、そろそろ痺れを切らして統矢は言葉を切り出す。
「……で? なにがあったんだよ、御堂先生。ま、聞かなくてもなんとなくわかるけどな」
「うるさい、気が散る! ああクソ、計算を間違った……ん、そうだな」
与圧された小さなキャビンでは、統矢と刹那の他に乗客はいない。
統矢の隣で刹那はノートから手を放すと、意を決したように見上げてくる。改めて間近に見ると、やはり小さな子供……どう
「貴様と【
「まあ……そんなことだろうと思ったけどさ。
「無用だ。残念だが、今回ばかりは私の虎の子の
「そりゃどうも……やんなるよなあ、まったく。で?」
口では呆れた風に言っても、統矢のやる気は人一倍だ。
そして、彼が心に決めた使命はただ一つ。
地球人類を無差別に襲う脅威、パラレイドを
ただ、それだけのために統矢は生かされているのだ。
それは、蘇った愛機、97式【氷蓮】セカンド・リペアも同じだ。
その覚悟を統矢の瞳に見出したように、刹那がフンと鼻を鳴らす。
「察しが良いな、摺木統矢。今から72時間前、新たなセラフ級パラレイドが出現した」
「場所は?」
「月面だ」
「はぁ? 月? って……なにがあんだよ、そんなところに」
「かつて人類の宇宙開発が
過去、二十一世紀初頭……地球の人類は科学文明の絶頂期を迎えていた。人は皆、高度なコミュニュケーション端末として携帯電話を当たり前のように持ち歩き、個人レベルで解放された電子ネットワークは世界中に張り巡らされていた。
無数の地域紛争や経済格差を抱えながらも、皆が前を、上を向いていた。
そして、宇宙へもその目を向けていた時代は……半世紀以上も昔だ。
今、緩やかに地球の人類は衰退し、滅亡に瀕している。
専門家の話では、例えパラレイドの脅威が完全に退けられても……このまま人類は、混乱と荒廃から脱することなく、ゆるやかに消え行くだろうと言われている。
「ん? いや、御堂先生……今回の地球人類? それは――」
「御堂刹那特務三佐と呼ばんか! ……貴様も見ておけ、これが……この地球から外への
トン、と、ノートに触れてから、刹那が液晶画面を向けてくる。
そこには、不鮮明な映像で月面が映っていた。
クレーターだらけの月に浮かぶ、大きな大きな地球を背景に……天使の名を冠した、恐るべき敵の姿があった。形ばかりは人を象る、破壊と殺戮を凝縮した
統矢は己の網膜に刻んだ。
生命を賭して倒すべき、刺し違えてでも破壊するべき敵。
未だ心の中で
己の半身、生まれて育つ間ずっと一緒だった、幼馴染の女の子……目の前で
全て、奪われた。
一瞬で。
永遠に。
それを統矢は、決して忘れない。
忘れさせてくれる黒髪の少女も、今は隣にいないのだ。
そんな統矢に、刹那が敵の名を教えてくれる。
「セラフ級パラレイド……メタトロン。最も古い、
刹那の、童顔に似合わぬ
「メタトロン……生命の樹の第一、及び第十のセフィロトを守護する天使。ギリシャ語のメタトロニオス、『玉座に
「……上等じゃねえか。天使だろうが神様だろうが……ブッ潰してやる」
「そうだ、摺木統矢。お前にはその力が……
ノートパソコンを凝視する統矢は、無意識に頷く。
画面の中では、光の剣を振り上げるセラフ級の姿が映っている。ぼんやりと見えるのは、白を基調としたトリコロールのテストカラー。そして、アンテナの
不思議と統矢は、どこかでこのカラーリングとヒロイックなイメージを見たことがあるような気がした。だが、それよりも以前から気になっていたことがある。
「なあ、御堂先生……じゃない、特務三佐」
「なんだ?」
「いつも思うんだけど、さ。セラフ級の名前って……もしかして、御堂特務三佐たち特務機関ウロボロスが決めてんの? いや、前からちょっと微妙なセンスだな、と――」
その時、並んで座る二人の横に男が立った。
線の細い初老の紳士で、海軍の軍服、それも将校のものを着込んでいる。だが、温和な表情はどちらかというと大学の教授のような、ある種の物静かな知性を感じさせた。年の頃は、六十代半ばくらいだろうか? とても軍人には見えない。
男は、通路側から身を屈めて刹那の頭を撫で始めた。
これは殺される……少なくとも雷が落ちる。
統矢は命知らずな海軍さんを見上げて、言葉を失った。
「いい質問だね、摺木三尉。で、いいんだよねえ? うん、確かフェンリル小隊の摺木統矢三尉。あの北海道から生還した……特別な人材だと聞いているよ」
「は、はあ」
「僕は
完全に地雷を踏んだ。
刑部志郎と名乗った男が、ポンポンと刹那の頭を撫でている。
だが、不思議と刹那は黙ったままだ。
普段なら既にもう、怒鳴り散らしている筈だが……むぐぐと目付きの悪い上目遣いで睨み返しているだけ。
「……摺木統矢。
「そゆこと。で? 刹那ちゃん。いつもあの名前……どうやって決めてるのさ。僕もずっと気になってたんだよね。……天使じゃなきゃ駄目? 北欧神話とか日本神話にしようよ、そっちの方が格好いいでしょう」
「グギギ……っ! が、我慢だ、我慢……提督、セラフ級の呼称については、特務機関ウロボロスに一任されております。その内容に関しては軍機に当たるため、全く! 完全に! お話っ、できません! 以上!」
「ほんとぉ? ほんとにそんだけ? ……僕、こう思うんだよねえ。刹那ちゃん、あいつらの名前……最初から全部知ってるんじゃない?」
なにを言っているのだろうか?
統矢には、志郎の言いたいことがわからない。
そして、普段なら烈火の如く怒り出す刹那が、黙っているのも理解不能だ。
セラフ級パラレイド……それは、一騎当千の戦略級人型兵器だ。既に南極やロシアに巨大なクレーターを
天使の名を冠する悪魔……殺戮の権化、それがセラフ級。
刹那は鬱陶しそうに志郎の手を頭の上から振り払いつつ、苛ただしげに声をあげた。
「提督、いいかげんにしてもらおう! ……どうしてこう、いつもいつも提督は。セラフ級の呼称に関しては公表できない! その名が知れれば各国の国民にもいらぬ混乱を招き、政情不安定な地域で宗教的な暴動が起こることも――」
「公表できない。あ、そーなんだあ。やっぱ、公表できないけど……知ってるのね?」
「……ッ!?」
統矢は意外なものを見て、同時に少しおかしかった。
あの、冷酷無比で冷徹な鬼の指揮官、御堂刹那特務三佐が、まるで子供だ。見た目通りの子供になってしまっている。
そして、志郎は徹底的に彼女を子供として……女の子として扱うことにしているようだ。
それは、からかったり茶化したりする雰囲気ではない。
不思議と親愛の情、敬愛の念、そして……優しく気遣うような敬意が感じられる。
「ま、いいのいいの。刹那ちゃん、ドンマイ。ドンマイだよ?」
「う、うるさいっ! 提督、私を子供扱いするのはやめていただこう!」
「まあまあ……はいこれ、いつもの。摺木一尉にもあげよう」
志郎は軍服のポケットから、なにかを取り出した。
それは、プラスチックの棒に刺さってラッピングでくるまれた、パステルカラーのキャンディだ。志郎はそれを刹那の手に握らせると、統矢にもくれる。
刹那がまるで、あのラスカ・ランシングのようにあしらわれている。
そして、これもまた不思議なことに……刹那は頬を僅かに赤らめたまま、押し黙ってしまった。正直、凄い面白い事態で見ものなのだが、統矢はその刹那と同じレベルで扱われているので、微妙な気持ちになった。
「あ、ちょっと操縦席に顔出してくるからね、刹那ちゃん。例の機材も艦隊に運んでおいたから、今は突貫工事で
「グヌヌヌヌヌ! フギーッ! ……ハ、ハイ、ゼンショシマス」
「うん、いいお返事。じゃあねーん」
妙に軽いノリで、志郎は行ってしまった。
そして、歯ぎしりしながらそれを見送りつつ……ギロリと刹那が統矢を
他言無用を命じる、殺意一歩手前の視線で統矢を貫きつつ、刹那は意外な表情を見せた。不意にふてくされたような、ちょっとせつなそうな顔で頬をふくらませる。そうして彼女は、貰ったキャンディーの
「困った男だ。クソッ……あ、まて? フッ、そうか。まあ、許してやるとするか。なに、年寄りは寂しがり屋だからな、ウハハ! ウハハハハ!」
「なんだよ、気持ち悪ぃよ」
「うむ、いつも通りレモン味が一番だな。このご時世、物価の高騰で甘味料も貴重だ。軍人や軍属、幼年兵たちには行き渡っているが、なかなか……うん、美味い! ……? 摺木統矢、食わんのか?」
「……欲しけりゃやるよ」
「はは、なかなかかわいいところがある」
「どっちがだよ」
それから刹那は、妙に上機嫌にノートパソコンに再び向かい始めた。先程よりもキータッチの音は、心なしか軽やかだ。くわえ煙草ならぬくわえキャンディで、ウキウキと働く横顔から、自然と統矢は視線を逸らす。
まるで祖父と孫だ。
実際、そういう年齢差に見える。
「こりゃいい、みんなに面白い土産話が……!? な、なんだっ? おい、これ――」
ニヤニヤ笑って外の景色へ視線を投じた、その時だった。
不意に、窓の中に
それは、この高高度を悠々と飛ぶ高速巡航艦たちだ。世界各地で輸送任務以外の仕事を失った海軍の、
「すげえな……お、そうだ。あいつがまた、こういうのが好きなんだよ。しょうがない奴だよな、千雪は。写真でも撮ってあとで見せてやるか……ありゃ? タブレットが」
「なにをしている、摺木統矢。ああ、到着したか」
「なにをしようってんだ? 全国海軍博覧会でもすんのか?」
「貴様は馬鹿か、摺木統矢。博覧会? 馬鹿を言え……人類の存亡をかけた
「……艦隊戦か?」
「この
「
「ああ。必ず来る……今回もまた、飽きもせずシナリオ通りを繰り返すつもりだ。だが、今度という今度は逃さん。ここで、この時代で……この世界で、メタトロンを撃墜する。そして……奴の野望の息の根を、止める」
「いや、訳わかんねーし。ってか、やるの俺だし。……俺が、やるしさ、それは」
だから、気付かない。
自分と刹那との間を、言の葉に乗って真理の一端が通り過ぎて、過ぎ去ったことを。
いつになく機嫌がいい刹那が、うっかり世界の真実を口にしたことを。
「しかし、よく集めたな。こんだけの軍艦が空を飛んでんのかよ」
「予定された数の三割もそろわんかった。だが、問題ない」
「へいへい、っと……なんだありゃあ、でかいなオイ!」
双胴の一際巨大な飛行船は、中央の構造物が全て飛行甲板という空中航空母艦だ。確か、人類同盟の中でもアメリカしか保有していない。そして、就航後間もなくパラレイドの襲撃を受け、世界中の航空戦力は無力化された。あっという間に無用の長物、空飛ぶ
その広々とした飛行甲板に、急造らしき仮設ドックがある。
その建造物の中には、今……あの少女と共に人類最後の切り札が統矢を待っているのだった。
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