第1話「見送る君と、また君と」

 ようやく春らしくなった日差しも、格納庫ハンガーの奥までは差し込んではこない。

 底冷そこびえするような中では、時々点滅する明かりさえ寒々しかった。

 だが、摺木統矢スルギトウヤは凍える空気すら感じない。

 恐らく、目の前の少女も同じだ。

 二人は今、大破した一機のパンツァー・モータロイド、PMRパメラと共にいた。剥き出しのフレームをさらす残骸となって、巨大な鋼の防人さきもりが横たわる。


「統矢君、全てチェックしましたが……第一次装甲ファーストアーマーまではダメージは通っていませんね」

「ああ、外側の三次装甲サードアーマーと関節部付近の二次装甲セカンドアーマーを交換して」

「あとは、破損したラジカルシリンダーを手配する必要があります」

「だな。と、なると……」


 無残な姿は、目の前の少女の愛機、89式【幻雷げんらい改型参号機かいがたさんごうきだ。従来の【幻雷】をオーバーチューンし、近接格闘用に突破力のみを突き詰めたサブリミテッドナンバーである。

 その主である五百雀千雪イオジャクチユキは、普段通りの玲瓏れいろうな無表情で作業を進める。


「でも、この子の修復には少し予算が……通常の二倍近いラジカルシリンダーを使いますから」

御堂刹那特務三佐ミドウセツナとくむさんさが、そのへんはなんとかしてくれんだろ? 頼っていこうぜ。えっと、ちょっと待て。とりあえず必要な補充部品をチェックするから」


 早速統矢は、愛用のタブレットを取り出し指を滑らせる。

 なぜか千雪の視線を感じつつ、手早くパーツをリストアップ。

 上着こそ抜いでいるが、既に統矢は皇立兵練予備校青森校区こうりつへいれんよびこうあおもりこうくの制服に身を包んでいた。ブレザーにネクタイというのも、慣れてしまえば普段と変わらない。容姿もそうだが、この数ヶ月で統矢は、随分と青森の環境に馴染んでいた。

 友人もできたし、戦技教導部せんぎきょうどうぶの仲間は今は戦友せんゆうだ。

 パラレイドの脅威が増す中で、去りゆく皐月さつきが春を持ち去ろうとしていた。

 惑星規模で気候が変動した地球は、長い長い白熱の夏を迎えようとしている。


「っと、千雪。どうせ修復するなら、改造、っていうか、改良? 少しっとくか? もっと重装甲にして、スラスターを増設して、んで」

「この子、あの状態がベストなんですよ? あれ以上重装化させれば、運動性は勿論、長所である突出した突破力もがれます。それより、統矢君」

「ん? あ、おい……なんだよ、ったく」


 じっと見詰めてくる美貌が、ポケットから出したハンカチを近付けてくる。

 反論を許さぬ眼差しが、不思議と統矢には奇妙な安堵感をくれる。千雪はいつも、いつでも、そしていつまでも自分を見てくれている。戦場で背中を預けることができる、唯一にして無二の相棒だ。

 時々しれっと辛辣しんらつなことを言ったり、フラットな表情で黙して語らなかったり。

 それでも、千雪はいつも側にいてくれる。

 だから統矢は、無自覚でいられた。

 ずっと隣にいてくれた更紗サラサりんなを、少しずつ思い出に眠らせてやれること。

 わりのない存在に代わって寄り添う、五百雀千雪のありがたみもそうだ。

 千雪はハンカチでそっと、統矢の頬に触れてきた。


「統矢君、汚れてます。オイルが顔に」

「い、いいよ、自分でやる」

「よくないです」

「……はい」


 外では部活動の生徒、というよりは軍事教練ぐんじきょうれんの一部である武道に励む生徒たちの声が聴こえる。微かに響いてくる吹奏楽部の演奏も、軍歌だ。

 鉛色なまりいろの時代がどこまでも冷え込んでゆく中、統矢の世界だけがいろどりに色付く。

 それは、狂おしいまでの憎しみにあぶられた、闘志と戦意の色だ。

 その炎がいまも、胸の奥底で燃えている。

 くすぶることを知らない激情が、絶え間なく統矢を戦いへと駆り立てる。

 その一方で、こうしたなにげない時間が、やすらぎだ。

 そんな時はいつも、気付けばそばに千雪がいた。

 火薬とオイルと、鉄の臭い。

 そこかしこで響く、重金属音メカニクルノイズ

 騒がしい格納庫の片隅に、統矢の青春の全てがあった。


「なあ、千雪……も、もういいよ、なあってば」

「はい、結構です。綺麗になりましたね、統矢君」

「それより、見てくれ。ざっと計算したが、例のスキンタービンで補強して、重量はそのままに出力アップだ。トルクも太く取って、ピークパワーを限界まで絞り出せば」

「包帯姿……統矢君の97式【氷蓮ひょうれん】セカンド・リペアと……おそろい、ですね」

「ん? ああ」

「おそろい、ですね!」

「な、なんだよ。そうだって」


 統矢は千雪の手からハンカチを奪って、代わりにタブレットを押し付ける。

 大きな瞳をわずかに細めて、彼女は液晶画面が映し出す文字列を追い始めた。その白い顔を思わず、統矢はじっと見詰めてしまう。

 怜悧れいり仏頂面ぶっちょうづらは表情に乏しく、いつも冷静沈着で平常心、静謐せいひつなまでの平静だ。

 統矢の視線に気付くことなく、千雪は細い指で画面をスクロールさせてゆく。

 気付けば統矢は、無意識に手を伸ばしていた。

 目の前に感じる美の結晶に、一点の汚れを見つけたからだ。

 ハンカチで触れてやると、千雪が目を丸くする。


「と、統矢君……?」

「お前も、なんか汚れてるぞ。えっと、女の子、なんだろ? 一応。仮にも」

「……凄く、ひっかかります」

「そうか? ほら、ちょっと動くなよ。だいたい、年頃の女の子が、毎日格納庫で油まみれなんてさ」

「い、いいです! 自分で! 自分で拭けますから!」

「あ、おい! そんなことしたら」


 慌てて千雪は、統矢の手を振り払う。

 そのまま彼女は、手の甲でグイグイと頬の汚れを拭き取った。しかし、白い肌と肌とが触れて、その中でにじむオイルの色が広がってしまう。

 妙な動転を見せた千雪がおかしくて、気付けば統矢は笑っていた。

 もう笑える、笑い合える時間を彼は取り戻していたのだった。

 だが、それが二人だけの世界をやめてしまう。

 格納庫のアチコチで響くPMRの駆動音が、けた排熱の風圧と共に近付いてきた。立ち上がって振り返ると、そこにはイエローに塗られた機体が外へ向かっている。

 コクピットが開くと、子犬のような少女が顔を出した。


「千雪殿ーっ! 渡良瀬沙菊ワタラセサギク、89式【幻雷】改型伍号機カイガタゴゴウキを受領したであります!」

「あ、あいつ! えっと、いいのか? 千雪」

「兄様が、沙菊さんに乗ってもらえと。一応、セッティングもざっくり出してますし」


 無邪気に手を振る、ヘッドギア姿の沙菊。

 笑顔、満面の笑みである。

 埼玉校区さいたまこうくから転校してきた彼女は、物凄く千雪になついていた。それこそ、本当に子犬のように全幅の信頼を寄せている。そんな彼女に啓蒙けいもう、布教されて、統矢も改めて千雪を……フェンリルの拳姫けんきと呼ばれる【閃風メイヴ】の凄さを思い知らされていた。

 無理矢理に見せられた雑誌の切り抜きや、写真のスクラップ。

 その中には、日本皇国が誇る美少女エースパイロットがこれでもかと載っていた。まるで旧世紀のアイドルの如き扱いだった。

 千雪は写真写りが悪いというのが、第一印象だ。

 どの記事でも、千雪はよく言えば凛々りりしい、悪く言えば目付きが悪かった。

 そして、いつもの鉄面皮てつめんぴ、無表情である。


「笑えばいいのによ、ったく」

「統矢君? なにか言いましたか?」

「なんでもねえよ、それよか沙菊! 改型伍号機、変な音出てんぞ! 右膝あたりから異音、ちょっとチェックしとけ。多分、ラジカルシリンダー同士のフリクションだ」


 統矢とて幼年兵ようねんへい、高校生であると同時にPMRのパイロットだ。ちょっと聴けば、行き交う騒音の中でも異変を拾える。改型伍号機は確か、安全マージンを取ってパワーバンドも広めだ。千雪の改型参号機みたいに、ピーキーで過激なチューニングを、えて避けたのだ。

 見上げる鋼鉄の巨兵は、両肩から伸びる砲門が特徴的だ。

 両足は砲撃時の機体を安定させるために大型化、ホバーユニットや姿勢制御用のアームが増設されている。両腕は五百雀辰馬イオジャクタツマの隊長機、改型壱号機かいがたいちごうきで使ってる大型シールドを左右にマウント。内蔵されているのは恐らく、パイルバンカーではなく30mmのバルカン砲だ。


「中距離火力支援型、か……88mmカノン砲、あの人を思い出すな」

「皇国陸軍、美作総司一尉ミマサカソウジいちい。元気でしょうか……少し思い詰めてたようですが」

「さぁな! ま、せいぜい出世してもらおうぜ。んで、上にも物分りの良さを広げてもらって……それで、もっと……もっと、戦いが続くのは、ちょっと……でも」


 複雑な思いで、統矢は千雪と共に改型伍号機を見上げる。

 手を振る沙菊の笑顔はもう、憧れのち雪を前に絶頂を通り越していた。


「千雪殿ーっ! これから自分、ラスカ殿と模擬戦であります! パンツァー・ゲイム、レディゴーであります! 必勝を期して、ちとチェックをば……統矢殿、右膝に異音でありますか!?」


 なめらかな動きで、片膝を突いて改型伍号機が屈む。ひっかかりのない、洗練された動作だ。乗っている沙菊の操縦技術、そして自分が動かすPMRへの想像力がなせる技だ。鮮明なイメージをもって動かすことで、乗り手の意思をGx堪能流素ジンキ・ファンクションが拾って補正してくれる。

 コクピットから飛び降りた沙菊は、大げさに手を当て耳を澄ます。


「……変な音、出てるでありますね! 統矢殿!」

「ま、稼働に支障はないレベルだろうけどな。千雪、ちょっと見てやれよ」

「ですね。沙菊さん、一度機体を停止させてください。三人で見てみましょう。通路を開けて、こちらへ」


 千雪が静かに近寄ると、今にも抱きつかん勢いで沙菊が周囲にまとわりつく。フンスフンスと鼻息も荒く、目を輝かせてのじゃれつきっぷりだ。

 少し微笑ましくて、自然と統矢も笑顔になる。

 だが、外へと伸びる通路の先、校庭への出口で声があがった。

 ちょっとハスキーな声は、ラスカ・ランシングだ。


「ちょっと、沙菊! いつまで待たせるのよ、アタシこれでも忙しいの! 午後はアルレインに、あの装備をつけたいんだから。手伝うっていうから、模擬戦に付き合うんだからね!」


 腰に手を当て仁王立ち、逆光を浴びてラスカはえている。

 子供のような矮躯わいくは、一つ下とは思えぬ程に幼く見えた。

 そのラスカが、不意に背後を振り返って二、三度頷く。

 そして、再度彼女は声を張り上げた。


「それとっ、統矢! ちょっと、そこにいんでしょ! ……千雪も一緒でしょ、全く抜け目ない。これだから統矢はヤなの! もぉ、いいからこっち来なさいよ!」

「どした? 腹でも減ったか?」

「うっさいわね、いいから! 先生が、御堂刹那特務三佐が呼んでんの!」

「俺を? あれ、どうして」

「知らないわよ! グズグズしてると蹴っ飛ばすわよ! アタシ、機嫌悪いんだから」

「……やっぱ、腹が減ってんだな」

「当たり前でしょ! ……って、なに言わせんのよ」


 統矢は咄嗟とっさに、無意識に握っていたハンカチをポケットにねじ込む。それが千雪のものだということも忘れて、考えられなくなっていた。

 御堂刹那が自分を呼んでいる。

 それは、常に戦いの予兆であり、戦いが始まる必然だ。

 振り向く千雪が「あの、統矢君」と、手に持つタブレットを差し出す。

 その横を通り抜けて、統矢は走り出していた。


「リスト、ちゃんとチェックしとけよ、千雪! 預けとくぜ」

「……大事な、ものでは? りんなさんの、形見の」

「大事に決まってるだろ! だから、持ってろよ。俺の見積もり、完璧だからさ」

「ここ、計算が間違ってます。それと、ここも」

「と、とにかく、預かってろって! ちょっと行ってくる!」


 陽光の中へと、統矢は飛び出した。

 まるで平和な学園生活の風景のようで、しかし全高7mのPMRというのは生々し過ぎる。兵器であることでしか、その存在価値がない鉄巨人たち。

 その乗り手である統矢は、この時は想像もしなかった。

 見送る千雪との再会が、いつものように、当然のようにあると信じて疑わなかったのだ。

 それが少し先の未来へと遠ざかるのを、この時は誰もが気付けないのだった。

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