8-4 「ニールとラーズ」

8-4「ニールとラーズ」





 西暦2509年12月23日月曜日。天気は晴れ。時間は夜。





 [エリア112]には、元々税務署だったと言われている建物を改装して作られた小料理店が営業されている。





 その店の名は「蜻蛉堂(せいれいどう)」





 小料理店に似つかわしくないほどの美人で妖艶なウェイトレスと、スキンヘッドで常にイライラしているような険しい顔つきの店主が経営している、味と店内雰囲気、共に評判の高い店だ。





「おねえさ~ん! こっちにも水くれますかぁ? 」





「はァい、ちょっと待ってねぇ」





 夕食の時間帯、多くの常連客で賑わう店内で、一人の男が美人ウェイトレスをテーブルに呼び込んだ。





「はぁイ、おまたせ」





 お……おお……! 





 ウェイトレスが前屈みになって、デカンタからグラスに水を注ぎ入れると、その窮屈そうなシャツから無防備な双子の山が、男の目の前で存在感をこれでもかとアピールしていた。





 うおぉぉ……で……でかい! なんという絶景のパノラマ! 





 ウェイトレスが作り出す風景に見とれていた男だったが、そんな邪(よこしま)な思いが表情に露骨に出ていたのが運の尽き。次の瞬間、頭が陥没してしまうかと思うほどのゲンコツが投下され、男の目の前に火花が散った。





「俺の嫁をイヤらしい目つきで見てんじゃねぇよ! このワイセツ野郎が! 」





「ニ……ニールの旦那……違いますって、俺は決して……」





 厳つい様相とかけ離れた、可愛らしいピンク柄のエプロンを身にまとったニールに、自身の妻を舐め回すような視線を送っていた常連客に営業スマイルを作る心の余裕はなかった。





「あなたァ、そのくらいにしてあげてよ……他のお客さんが怖がるじゃない」





「フン! 分かってるよ。次やったら出禁だぞ! 」





「ハ……ハイィッ! 」





 ここ、蜻蛉堂ではこのようなやり取りは日常茶飯事だった。ニールの作る料理の美味さ以上に、その妻であるウェイトレスの姿を見て目の保養をしたいという目的の男性客が後を絶たず、そのたびにニールの雷が落ちるという光景が一種の名物と化していた。中にはそのやり取りが楽しみでこの店に訪れるという変わり者さえいる。





「おねえさん! こっちも水! 」

「俺も! 」

「その後こっちも! 」

「おねえさん! またオセロで勝負しようよ」

「【蜻蛉館】の時からファンだったんですよ俺! 」





「おめえら! ここはメシ屋だ! 料理も頼みやがれって! それと水くらいてめえらで勝手に注げ! セルフサービスだ! 」





 ニールの怒号と、客の笑い声が絶えないこの店は、まだまだ不安の絶えない地上での生活に、常にポジティブな空気を感じさせてくれる、人々の心のより所だった。





 そんな喧噪が徐々に静まって客がいなくなると、そろそろ閉店をする為の準備に取りかかった夫婦だったが、そんな空気に不意打ちを掛けるようなドアベルの音が「カランカラーン」と店内に鳴り響いた。





「はァい! 」

「誰だ? こんな時間に……」





 ニールの妻が突然の来客を迎えると、彼女は「まぁ……」と一言漏らし、その男が着込んだ濃い緑色のコートを脱がせて、丁寧に畳み、テーブルを磨いているニールの元へと案内した。





「あなたァ、珍しいお客様よ」





「なんだァ? ……ってお前……!? 」





「久しぶりだなニール……こうやって面と向かって会うのは、【バラスト層】で貴様に殴られて以来かもな……」





 男は特徴的なカイゼル髭を揺らしながら、ニールに不敵な笑みを浮かべた。





「ああ。違えねぇな……」





 その男の名はラーズ・ヴァンデ。元護衛隊で大佐という誉れ高き称号を胸に付けてたものの、ニールを利用して禁断物資を【アースバウンド】内に流通させたことで、失墜してしまった男。





 彼は【カーネル】が破壊された後、ジーツが眠っていたコールドスリープ装置内に残された【ジンボ・ムーン・レポート】をクジャク部隊に手渡し、その後は地上で生活することを拒み、【アースバウンド】にて生活を送っていた。





「おめぇ、どうして今になってココに来たんだ? 」





「フン。イアンのヤツが、しつこく私のところに来るんだが……そのたびに、たまには地上へ来てくれって言うもんでな……」






 ニールとラーズは、カウンターテーブルのイスに並んで腰掛け、水の注がれたグラスを片手に語り合うことにした。





 お互いに利用し合った、因縁のある男同士の会話だ。ニールの妻はそっと別室へ離れ、彼らだけの空気を作ってくれた。





「なるほどな。まったくイアンの野郎は、義理堅いと言うか……クソ真面目というか……」





「……全くだな……ヤツは大馬鹿者だ。護衛隊だった頃も、私なんかの元につかなければ、もっと出世したろうに」





 ラーズは、グラスの水を勢いよく飲み込み、空っぽになった底をどこか自嘲的に見つめた。





「だが、そんな馬鹿な性格が、私にも伝染ってしまったようだ……」





 ラーズのうっすらと浮かべた笑みを見たニールは、彼が空にしたグラスにデカンタの水を注ぎ入れた。





「そうみたいだなラーズ。俺は耳を疑ったぜ……お前が【アースバウンド】に残った護衛隊達に声を掛けて[アイツ]の捜索に手を貸してくれているってコトを知った日にはよ……」





「フン……私はあの[小娘]に借りがあるからな……」





「何があったか知らんが……お前も十分、義理堅い馬鹿野郎になっちまったみたいだな」





 ニールがそう言って水を飲み干すと、次はラーズが彼のグラスに注ぎ入れる。





 かつて[日本]と呼ばれたこの地で[水に流す]という言葉があった。過去のいざこざを無かったことにする。という意味があるその言葉を、2人が知っていたかは分からない。





 だがニールとラーズは、お互いに水を飲み交わすその所作だけで、よけいな言葉無しに「個人的な過去のわだかまりは忘れようや」と思いを交わし合っていたようだ。





「それにしても……ラーズ、お前は聞いてるか? 」





 ラーズは、真剣な表情のニールを見て、瞬時に察した。





「もしかして……【コブラ】が生きているって話か? 」





「そうだ……去年ムーン親子が衛星のハッキングに失敗して、その仮説を立てた時は、正直また海中に逃げたくなったぜ」





「それだけじゃない……【上の力】の存在も無視出来ない。ドクター・オーヤが言ってたそうじゃないか? 世界中で増殖しつづけていた二次元世界のサーバーが、4年前のある時を境にピタっと止まっていた。という話だ」





「……ああ、それもヤバイ話だぜ。二次元世界を広げる必要が無くなったってことは、要するに【上の力】が【地上】に楽園を作る準備を整えたってコトだからな……」





 ジンボ・ムーンが残したレポートは、クジャク部隊や、ムーン家をはじめとする研究者達。そして元護衛隊の上層部、ごくごく一部の人間にしかその情報は伝わっていたない。





 【楽園】や【上の力】といった存在を一般住民が知ったら、不安を与えてしまうだけだ。下手をすれば【楽園】へ移住を求め【上の力】に人々を売るような人間も現れてしまうかもしれない。





 ビル・ブラッドの一件があったので、ニール達はその辺りに、ひどく神経質になっている。





「ま、そのためにも、俺たちは4年前に雲隠れしちまった[アイツ]を見つけなきゃならねぇ」





「そうだな……我々元護衛隊のメンバー達も今ごろ……………………ちょっと待ってくれ」





 ラーズは何かに気がついたようで、突然ポケットに手を突っ込み、小さく振動を繰り返す、携帯電話を取り出した。





「電話だ、少々失礼する」





 地上では【アースバウンド】とは違い、携帯電話を使う為のインフラ設備が作りやすく、徐々にその普及が広まっている。今では、クジャク部隊をはじめ、軍関係の人間はもれなく持ち合わせることが常識だ。





「私だ、何かあったのか? 」





 ラーズの両眼が、大きく広がる。





「なに……なんだと! 分かった! スグに向かおう! 」





 何か慌ただしい様子で、携帯電話をしまうと、ラーズはそのままコートを着込んで店から出ようとする。





「どうしたんだ? ラーズ! なにがあった? 」





 ニールの問いに、ラーズはカイゼル髭をつまみながら、振り向き答える。





「見つかったんだよ……[アイツ]が! 」





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