8-3 「ムーンとイアン」

8-3 「ムーンとイアン」





 西暦2508年6月18日月水曜日。天気は晴れ。時間は昼。





「はぁ……仕事とはいえ、ここに来るのは気が乗らないな……」





 元護衛隊第三部隊員イアン・ステイシーは[エリア112]のはずれにある、とある鉄筋コンクリートの建物へと赴いていた。





 その場所はかつて、地上で小学校として使われていた場所であり、二次元世界のサーバーも設置されていない【コブラ】からも放置された場所だった。





 作りも頑丈で敷地も広く、部屋数も多かったので、リフ・ムーンは【カーネル】崩壊後、ここを[ある施設]として活用することに決め、住み込み続けている。





「こんにちは。イアン・ステイシーです! リフ・ムーンはいますか? 」





 ガラス張りの昇降口ドアを開けながら、イアンがリフの名前を呼ぶと、その建物の奥から地鳴りのような音が徐々に近づいて来るのを、彼は察した。





 ……うっ……まさしくマズイ……だからボクはここに来るのが苦手なんだ……





「イアンお兄ちゃぁぁぁぁん! 」

「イアンが来たぞぉぉぉぉ! 」

「イアン! イアン! 」

「お兄ちゃん! おみやげは!? 」

「おにい! また遊んでよぉぉ! 」





 イアンはあっという間にその集団に取り囲まれ、身動きが取れなくなってしまった。





「ああもう、分かった! 分かったから! ボクに群がるのはやめてくれ! 」





 彼の服を引っ張り、勝手に体によじ登り、手足にしがみついて拘束する者達……それは皆、10歳にも満たない子供達の集団だった。





「おーい! リフちゃんいるんだろ? 助けてくれよぉ! 」





 その子供達は皆、先の【アースバウンド】浮上の際に親を亡くした孤児である。【カーネル】が破壊されて地上を取り戻した人類だったが、頼れる者を亡くし、行き場を亡くした人々も少なくはなかった。





 そんな彼らを何とかしたいと、リフはこの廃校を孤児院として改装し、現在多くの子供達と共に生活している。





「相変わらず、子供達にモテモテですね。イアン」





 子供達に蹂躙されているイアンの様子を、コレ以上なく面白いモノとして楽しんでいるリフ・ムーンが、ゆっくり彼らの前に姿を表した。





「イアン[さん]だろ! いつになったら君は礼儀ってのを覚えてくれるんだ!? 」





 13歳のリフは、身長こそあまり変わっていなかったが、以前よりも増して振る舞いが堂々とし、さらには研究者を思わせる白衣に身を包んでいる為、年齢以上に大人びた雰囲気を醸し出していた。





「細かいことばっか気にしていると、顔にシワが出来ますよ、イアンくん」




「ボクはもう19歳だぞ! いつまでも子供扱いしないでくれるか!? 君のせいでボクは、この子らにまで甘く見られちゃってるじゃないか! 」





 声を荒げて自身の扱いに抗議するも、その怒った様子が、子供達にとってはは面白く写ったようで、元気な笑い声が昇降口に響きわたった。





 ……うう……情けない……元護衛隊としての威信すら失くしてしまいそうだ……





「みんな~、そろそろイアンお兄さんから離れてあげてね~! わたし達、これから大事な用事がありますからね」





「ええ~! 」「もう~? 」「もっと遊ばせてよ! 」といった具合に、子供達はクレームをこぼし、彼の体からなかなか離れようとしなかった。





「君達……リフお姉さんの言うとおり、そろそろボクから離れてくれないか? でないと、おみやげに持ってきたチョコチップスコーンをあげないからな」





「ええ!? 」「おみやげあるの!? 」「やったぁっ! 」と、子供達は歓喜の声を上げ、その感情を飛び跳ねながら全身で表現した。





「頼んでもないのに、しっかりみんなの為に持ってきてくれるんですね、おみやげ」





「うるさいぞ、こ……コレはあくまでもこの状況を想定してだな……」





「そろそろあなた、自覚した方がいいですよ。自分には子供に好かれる才能があるってことを」





 悪戯っぽいリフの笑みを向けられたイアンは、一瞬だけ照れくさそうな表情を作るものの、スグさま眉間にシワをよせて「うるさい! 」と顔を背けてしまった。





 うれしいなら、素直によろこべばいいのに。





 しかし、リフはそんな彼の面倒な性格が、嫌いではなかった。





 3年前、【アースバウンド】に【コブラ】が襲撃した際、彼に背負われながら暗く狭い通路を進んだ時のことを、リフは鮮明に覚えていた。嫌そうな顔をしながらも、自分から進んでリフを背中に乗せ、しっかりと体を支えてくれたイアンからは憎めない性格の一端を感じ取っていた。









「よいしょ……と、コレで全部だ」





「ご苦労様、イアン」





「それにしても……いつ来てもこの場所は凄いな……機械に侵食されいると言えばいいのか? 」





 二人が今いる場所は、リフが自身のラボとして使っている廃校の一室だ。無数のモニターと端末、ケーブルの数々が床と壁、果ては天井までも覆っていて、イアンの言うとおり、コンクリートの建物に植物が侵食しているかの様相だった。





 そして、イアンがリフの頼みにより、この部屋に運び入れた物は、さらにこの部屋を侵食するかのような、大量のコンピュータ端末だった。それらはかつて【アースバウンド】で使われていた品々だ。





「でも悲しいことに、ここにある端末のほとんどがガラクタになっちゃってるんですよねぇ……」





「……残念だったね……アレは……」





 リフはかねてより、かつて【コブラ】が使っていたデータベースへの進入、そして【カーネル】のレーザー砲を反射させる為に使っていた偵察衛星へのハッキングに尽力していた。





 ラーズ・ヴァンデ元大佐がコールドスリープカプセルより入手した【ジンボ・ムーン・レポート】には、【コブラ】と密接に関わっていた【上の力】と呼ばれる組織についても記されていた。人類電子化計画の真の目的が、地上に【楽園】を作る為だったという事実を知った時、リフは意識が未来に飛ぶほどの衝撃を受けたと言う。





 これはムーン家に課せられた使命だ! と寝る間も惜しんで作業に没頭し、そしてほんの2日前、彼女はとうとう偵察衛星の制御プログラムに進入することに成功する。





 これにより、偵察カメラが映す地上の情報から、【楽園】の場所を探し当てることが可能になり、さらには衛星そのものに、【コブラ】が二次元世界に関する情報を保存するデータベースがあったことを突き止めた。





 しかし、やった! と喜び勇んだリフだったが、その全てのデータを取り込むより前に、衛星より突如コンピュータウィルスが送られ、使用していた端末が全て使い物にならなくなってしまったのだ。





「リフちゃん……アレはやっぱり、元々衛星に携えられていた自衛プログラムだったんじゃないか? 」





「いえ、それなら私がハッキングに成功した、その瞬間にウィルスが送られてきたハズです。実際ウィルスに犯されたのは、衛星のデータベースを物色しようとして3分程経った後で、自動的に発動するセキュリティとしては遅すぎます……まるで誰かが私の進入に気が付いた後で、手動でウィルスを送り込んだようなタイミングでした。やっぱり、コレは一つの事実を受け入れるしかないようですよ……」





「……【コブラ】……いや、ジョン・ブラックマンが生きている……ってことか……」





 イアンは内心、そうじゃないか? と気が付いてはいた。でも、その残酷な事実をどうしても受け入れたくなかった。





「まぁ、【楽園】と呼ばれる場所の人間がやったのかもしれません。どっちにせよ、安心してココアを飲みながら日常を過ごせる日は、まだまだ来ないってことですね……」





 リフは冗談めかしてその言葉を発するも、作った笑顔の下には大きな不安が隠されていることは明らかだった。わずか13歳の少女に、ここまで非情な現実を意識しなければならない現状を、イアンはどうにかして明るく照らしてあげたかった。





「リフちゃん……そんな事はありませんよ」





 イアンは力強くリフの小さな手を握りしめた。





「ちょ……イアン? 」





「【コブラ】が生き残っているのなら、また僕達が倒せばいい。【上の力】とやらが攻め込んで来たとしても、絶対に君達を守る。それが、我々クジャク部隊の使命なんですから」





 その青年は、上司に都合良く利用され、10歳の女の子にオセロで負かされていちいち苛立っていた、卑屈な男ではなくなっていた。





 この部屋にいる男は、その背中に刻まれた孔雀のエンブレムの輝きに恥じない、一人の勇敢な戦士だけだ。





「……今のあなたの言葉……今頃、空にいるおじいちゃんが聞いたら、喜んでくれたと思いますよ」





「……いや……そんなこと……クジャク部隊の人間として、まさしく当然の事を言ったまでだ……! 」





「ありがとうございます、イアンさん。頼りにしてますから」





 ドクター・オーヤ譲りの、真っ白な歯が綺麗に輝くその笑顔に、イアンは思わず顔を背ける。





「今さら[さん]付けなんて……いままで通り、イアンでいいですよ……全く調子がいい奴だな……」





 そう言いながら耳を真っ赤に染めている彼の様子を、意地悪そうな目で見つめるリフ。





「イアンは、めんどくさい人ですね。頑固なセキュリティプログラムみたい……そのうち破っちゃいますよ? 」





「うう……うるさいぞ! 子供のくせに大人を、からかうんじゃない! 」




 顔どころか、全身を真っ赤に染めたイアンが、やけくそじみた大声を上げたその瞬間。部屋の外からけたたましく風を切るような騒音が近づいて来ていることに気が付いた。





「あの音は!? 」





 とっさにリフをかばうように彼女の前に立つイアンだったが、ラボの窓から見えたその音の正体が分かると、気が抜けたように引き締めた表情をゆるめてしまった。





「相変わらず、元気な人だ……」









「ヒヒャーッ! 空を飛ぶのは海中と違って障害物が無いから気持ちがいいワイ! 」





 巨大なタービンを携えた飛行搭乗機が、強風をまき散らしながら廃校の校庭に着陸した。かつてヘリコプターと呼ばれていたその航空機から降り立ったしゃがれ声の老人は、今年で齢80を迎えるも、バイタリティに満ちた立ち振る舞いは、30歳は若く感じさせた。





「あの人を見るたびに、[老い]って言葉がジョークに感じられてしまうよ……」





「知ってる? イアン。ムーン家の人間は、好奇心を失わない限りは絶対に死なないんですよ」









「オーヤじいちゃぁぁん! 」

「おかえりぃぃ! 」

「何それ! すごい! 」

「私も乗りたい! 」





 孤児達がドクター・オーヤの元に駆け寄り、その珍しい機械の姿に興奮して飛び跳ねる。その様子を見て同じように喜ぶ元気な老人は「永遠の子供」と呼ぶに相応しい姿を体言していた。





「ヒヒャーハッハ! 順番じゃ! 順番! 」





 そんなドクターと子供達の姿を微笑ましく見守っていた二人だったが、イアンがふと、今まで気になっていた事柄を思い出した。





「そうだ、リフちゃん」





「なんですか? 」





「そういえば君、ボクに端末の配達をお願いした時、凄いデータを発見した! って言ってませんでした? 」





「そう。それは衛星のデータベースにログインした3分間の内に、唯一奪い取れたデータです」





「一体何のデータなんです? 」





「それを今から確認するんですよ。【コブラ】がワザワザ衛星に飛ばしたモノですから……料理のレシピなんかじゃないハズです……まさしくね」





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