第8章 全てを0に

8-1 「楽園」

8-1 「楽園」





 「おーおー、派手にやってくれたなぁ……まさか【カーネル】を破壊するとはねぇ……」





 男は望遠鏡から覗く、遙か遠くの光景に、上から目線で感嘆の声を漏らす。





「あれがオリジナルの【グレムリン効果】か……200年以上前に半径20kmの電子機器を全て鉄クズに変えたってのは本当らしいな…… 」





 ジーツが大規模なグレムリン効果を発動し、【コブラ】と【カーネル】を破壊した同時刻。[エリア112]より遠く離れたとある高層ビルの最上階の一室に、その男はいた。





「【アースバウンド】の連中は生き残っちまったが、まぁいい。とりあえず【コブラ】の始末をしてくれたようだからヨシとしよう……」





 男は、かつて人間達がホテルとして使っていた一室を拠点とし、望遠鏡や偵察カメラ、盗聴機器を駆使し、人類と【コブラ】との死闘を見守っていた。そしてそれを見届け終わった彼は、部屋の隅にて置かれたノート端末を開き、電源を入れる。





「【コブラ】の生存シグナルは無し……コレで俺の仕事も終わりだ。ようやく【楽園】に戻れるってワケだぜ」





 男は意気揚々と端末のキーボードを叩き、[とあるデータ]を【楽園】と呼ぶ場所へと送信した。





「これで、ヨシ……と。あとは迎えが来るのをまつだけだな」





 男は仕事をやり遂げた充実感を全身にまといながら、キングサイズのベッドに横たわった。その片隅には、かつて彼が着ていたクジャク部隊の戦闘服が、乱雑に散らかされている。





「クジャクどころか、烏合の衆のアイツらが……ここまでやってくれるとはね……」





 クジャク部隊のエンブレムを眺めながら、鼻で笑いとばしたその男の名は「トール・ヤンシー」





 かつて【アースバウンド】にて生活を送り、さらにはクジャク部隊としてアリー・ムーンや・コーディ・パウエルと共に活躍し、人類として初めて【カーネル】の展望デッキまでたどり着いた男。





 その男の真の姿は……210年前、ジンボ・ムーンから【グレムリン効果】の研究データを奪い取り、さらにはジョン・ブラックマンと共に、人類電子化計画を押し進めた組織【上の力】のメンバーだった。





「【楽園】もこれで安泰だ……後は二次元世界で育て上げた[都合のいい遺伝子]だけをエッグシリンダーで【楽園】に呼び込み、我々の奴隷とする……反逆も戦争も飢えも無い。理想的国家が出来上がるってワケだ」





 トールは懐かしむように思い返した。10年前に、自分に課せられた重大な任務を遂行する日々を……









 人類電子化計画の要、【コブラ】と【カーネル】によって地上に残った人類は一掃され、人間の住処は全て奪われた……と表向きにはなっているが、実は違う。





 かつてアメリカと呼ばれた国の、ネバダ州南部に位置する[エリア51]と名付けられた場所を【楽園】とし、【上の力】の人間達は、【コブラ】と【カーネル】の脅威から逃れつつ、平穏な生活を送っていたのだ。





 【カーネル】のレーザー砲を反射させる偵察衛星には、この【楽園】だけは認識しないようにプログラムされていて、その存在は【コブラ】ですら知ることが出来ないようになっていた。





 つまりだ。人類を二次元世界に引っ越しさせるってのは表向きのテーマだ。





 真の目的は、文明を一度リセットし、「理想的な楽園」を地上に作るってことだった。





 まず、二次元世界で好ましい遺伝子を持つ人間の精神データを作らせ続ける。さらには平行して、遺伝子情報から肉体を人工的にコピーするエッグシリンダーの確立。そして地上に残った好ましくない遺伝子の駆逐。





 これら3つの大仕事を、ジョン・ブラックマンは【コブラ】として見事にやってのけてくれた。





 当初の予定では、【コブラ】は感情のない全自動のA.Iロボットとして運用するつもりだったが、それではプログラム通りにしか動けなく、応用が利かずに臨機応変な対応が出来ない。






 だから【コブラ】には、人間の頭脳を持たせることが必要だと【上の力】は考えた。それに抜擢されたのが、他でもないジョン・ブラックマンだ。





 ジョン・ブラックマンは脳情報のデジタル化を成功させた張本人というだけでなく、一人娘であるメグへの異常な執着があった。【上の力】はそれに目を付けたのだ。





 常人の精神では、100年以上に及ぶこの計画をやり遂げることが出来ない。しかし、狂人とまで形容される彼の偏愛性は、時間など関係なくモチベーションを保ち続けるだろう。と【上の力】は睨んだのだ。





 事実、彼はその期待通りにやり遂げた。しかし計画というモノには、常にその想定を遙かに越える誤算が生じる。





 そう、それこそが【アースバウンド】による地上人の海への逃走だった。





 【楽園計画】は、一人たりとも、【上の力】以外の人間を地上に残してはならない。





 【上の力】達はどうにかして【アースバウンド】を沈めようと画策したが、そんな焦りなど鼻で笑うように、【コブラ】はデジタル化した精神を脳に移植する技術を応用して、リモートコントロールワームを開発。それを使って見事に、【アースバウンド】の二隻あるうちの一隻を撃沈してくれた。





 ジョン・ブラックマンが我々の想像を遙かに越える天才的な頭脳を持っていたということが、【上の力】にとって嬉しい誤算だったといえる。





 我々は、後は残す【アースバウンド】の一隻が沈められるコトを、悠々と気長に待てば良かったところだった。しかし誤算というモノは、一つでは終わらないのがこの世の常。





 二つ目の誤算は【楽園】の「食糧難」だった。





 地上ではその頃、穀物が一切育たなくなってしまう奇病が流行し、小麦や米、トウモロコシといった類の植物が全滅してしまった。さらに追従するように、それ以外の野菜や果物も全滅。その原因が太陽の黒点から発せられた、フレアの影響だと気が付いた時には、もう遅かった。





 そのフレアによる電磁波は、一度でも人間の手によって品種改良された植物のみに作用し、残ったのは野生の植物だけになってしまった。





 保存されていた種子の遺伝子も異常をきたしていて、農耕を行うことが不可能となった。とりあえずは蓄えられた食料と、その他の食物で当分は生きていくことは出来るが、この状況を放置するワケにはいかない。





 そんな時、【コブラ】を通して、【アースバウンド】にはフレアの影響を受けていない植物の種子がまだ存在し、さらには、艦内で独自に開発された「粘性特殊水耕栽培法」という、全く新しい植物の栽培法があることを突き止めた。





 そこで【上の力】の幹部達は、この俺トール・ヤンシーに、その種子と栽培法を盗み取る為の【アースバウンド】潜入任務を課したというワケだ。





 【アースバウンド1号鑑】撃沈のどさくさもあって、艦内への進入はそれほど難しくはなかった。まさか、【コブラ】側でも、【アースバウンド】側でもない第三勢力が存在するだなんて、周りの人間は誰も考えていなかっただろう。





 艦内での立ち回りを軽快に行う為、俺はクジャク部隊へと志願し、その活動の合間を縫って、密かにその種子と栽培技術のデータを盗み取っていた。本当に骨が折れる仕事だった。





 しかし、その苦労は大いなる成果を上げた。栽培技術だけでなく、艦内で発展した電気自動車のシステムや、発電技術、空調、高度な水の精製術……我々がどんなに頭を巡らせても思いつかない、数々のテクノロジーを、俺は吸収していった。





 歴史を変える技術発展の原動力は、昔から「戦争」と「エロ」だと言われているが、住処を地上から海中へと移したことによる状況も、それに匹敵する科学技術の発展を促したということだ。これぞ怪我の功名とも言えるな。





 そして、一年前。俺は盗み取った技術データと、種子を隠し持ち、クジャク部隊として地上遠征に参加した。その最中に命を落としたコトにして身を隠し、【コブラ】が【アースバウンド】を潰してくれるのを見届ければ、俺の任務完了だ。





 なぜ俺はその時、数々の【象頭兵】や【コブラ】からの脅威を避けて【カーネル】までたどり着けたか……それには秘密がある。





 【上の力】は、【コブラ】や【象頭兵】に我々を認識、及び攻撃できないよう、その電子頭脳に細工を施していたのだ。つまり、例え俺が【コブラ】の目の前でダンスをしたとしても、彼は認識することなく、俺を見過ごしてしまう。完璧なセーフティロックだ。





 そして俺は、ワザと二次元世界への移住をほのめかすような、演出を施したビデオを撮影してそのデータを地上に残し、この廃ビルへと逃げ込んだというワケだ。





 そのビデオを回収させれば、【アースバウンド】の人間達の中に、必ず二次元世界への移住を考える者が現れるハズだ。【コブラ】なら、その隙をついて彼らを駆逐してくれるハズ。そう思っていた。





 が、やはり物事はなかなか上手くいかない。まぁ、これは俺のミスとも言えるが……そのビデオの内容は、彼らの警戒心を強めてしまっただけで、それ以降地上への遠征回数がバッタリと減ってしまったのだ。不覚だった……





 一刻も早く栽培方法と種子を【楽園】に届けたかったが、その連絡の際、【コブラ】に感づかれてしまう恐れがあった。かといって【コブラ】がいなければ【アースバウンド】を始末することが出来ない。





 ここはジっとガマンするしかないと、俺は腹をくくった。





 そして今日、やっとのコトで俺は【楽園】へデータを送り届けることが可能になった。しかし、まさか【アースバウンド】の連中が【コブラ】を負かすことになるとは思いもしなかった……それもこれも、グレムリンの遺伝子、ショーン・ボーナムが奇跡的な蘇生を果たしたというコトが大きい。





 全く……どれだけの奇跡が重なったというんだ。まるで【アースバウンド】の住人達は、天に愛されているとしか思えない。それに比べて我々【上の力】は不運続きで、実行するプランがことごとく要領の悪い方向へと向かってしまっていたというのに……。





 まぁ、いい。用済みの【コブラ】もいなくなったワケだし、【アースバウンド】も浮上したことで、始末しやすくなったということだ……これからゆっくりと問題を解決していけばいい。









「それにしても……疲れたぜ……」





 10年分の疲労が一気に体にのしかかったようだった。ベッドに横たわった俺は、体を起こそうとしても、手足を思うように動かすことが出来ずにいた。





 疲れている時にはレム睡眠中に金縛りに合うと言われているので、恐らく、それだろうと決めつけ、俺はこのまましばし睡眠をとろうと目を閉じた。





 意識がどんどんとろけていく。このまま夢の中に逃避するかと思った瞬間。俺は妙な声を感じ取った。





『……なるほどな……お前らの【楽園】があんな場所にあったとはな……』





 誰かの声が聞こえる。いや、声というよりも、直接頭の中で響いているような気がする……いや、ちょっと待てよ!? この声は……聞き覚えがある? 確かこの声は……





『気が付くのが遅すぎるぞ……トール・ヤンシー』





 まさか……









 ジョン・ブラックマン!? 









『ご名答。全く……お前を見る限り【上の力】の連中は、どいつもトロそうな奴ばかりだな』





 どういうことだ!? 何で俺の頭の中でお前の声が聞こえるんだ!? なぜだ! 





『お前らは、私の頭脳にセーフティロックを掛けていたようだが、そんなモノ、とっくに気が付いていたわ。すでにそのロックは解除させてもらっていたよ』





 何だって!? 





『そうとは知らず、お前は私に気づかれていないと思いこんで、のこのこ【カーネル】に現れたっけなぁ……私はあえてお前の存在に気が付いていないフリをしていたのだぞ。笑いをこらえるのが大変だったな……』





 なぜそんな……まさか? 





 まさかその時! 





『やっと気が付いたのか……そうだ。お前の頭にはリモートコントロールワームが埋め込まれている……私の記憶と精神をインプットさせた、特別製のな』





 手足を動かすことは出来なかったが、今俺は、全身に鳥肌を作っていることを感じ取った。これはとんでもない失態だ。自分の体を乗っ取られてしまうばかりでなく、絶対機密の【楽園】の場所を露呈してしまったのだ! 





 俺はジョン・ブラックマンに全身のしゅどう権を握られてしまう前に、どうにかしてベッド横のキャビネットにおかれた、ひみつ兵器へと手を伸ばそうとした。





 グレムリン効果発生装置(インスタント・グレムリン)! これさえ、きどうさせれば……! 





 われわれ【うえの力】が、なぜ【ぐれむりん効果】の研究データを……ひつようとしたか……それは、ふようとなった【こぶら】を簡単にしまつ……できるようにするため……その対策にと、グ【グレムリンこうか】を……人工てきに作りだす……そうちをカイハツしたのだ。





 そのわずか手のひらサイズの……きかいのぼたんを、ホンのすこしのちからで……押しこむことさえ……できれば……おれの脳内にひそむワームを……はかいすることが……できる……それなのに…………





……それ……なの……に……





……てが……おもい……





……うご……か……な





……あ……









…………ぁ…………ぅ…………

















「……トール・ヤンシー。その装置は肌身離さず持っているべきだったな」





 ベッドから身を起こした男の表情は、先ほどまで疲労に包まれ、緩み切った顔ではなくなっていた。





「ふふ……この私を欺くだと? 笑わせるな! そんなコトが出来る人間はジンボ君くらいだろうよ」





 その男の脳内には、すでにトール・ヤンシーとしての記憶と精神は失われていた。彼の書き替えられた頭脳には、新たな宿主が主導権を握っていた。





「古い皮を脱ぎ捨てて、若々しい姿を保つコブラは、古代インドでは不死身の象徴だった……このジョン・ブラックマンも同じことよ」





 新たな体を手に入れたジョン・ブラックマンは、その肉体の慣らし運転をするかのように、ベッドから飛び起きて大きく背伸びをした。





「んんーー……久々の[肉体]だ。コイツの体、身長は前より低くなったが……なかなかいいじゃないか。しなやかで強靭な筋肉……健康そうな肌ツヤ……気に入ったぞ。メグも喜んでくれるだろう」





 ジョンはトールが使っていたノート端末を手に取り、それをオモチャで遊ぶかのように軽やかに操作し始めた。





 お前ら【上の力】は気付いていなかったろうが、私は密かに二次元世界に[もう一つの楽園]のモデルを築いていたのだ……厳重なセキュリティシステムで何重にもプロテクトを施してな……! 





 ノート端末に、映像が映し出される。それは、二次元世界で生活を送る電子化された人々の様子だった。









『天より見下ろしくださる、われらの女神よ……



今日(こんにち)の平穏に感謝いたします。



今日(こんにち)に糧があることを感謝いたします。



今日(こんにち)に隣人への愛があることを感謝いたします。



今日(こんにち)に悪がないことを感謝いたします。



今日(こんにち)に、我らが美しき女神の御身を拝観できることを感謝いたします。



そして、この世界を女神「メグジェシカ」様が見下ろしていることに深く感謝いたします』








 そこから映し出された映像には、真っ白な壁の聖堂に建てられた女神像に祈りを捧げる、多くの信者と思われる人々の姿が映し出されている。





 そして、その女神象の相貌が、ジョンの一人娘、メグ・ブラックマンをモデルにしていることは明らかであった。





「ふふ……メグ……楽しみにしててくれよ。

今度パパが地上に作る世界は、みんなが君のことを崇拝し、敬い、愛してくれる世界だからね……君が悲しみを負うことは絶対にない世界だよ……

【上の力】の皮被り野郎共を皆殺しにしたら、スグに作ってあげるからね……

もうちょっと待っててくれよ」





 ジョンは、ほくそ笑みながらノート端末をたたむと、高層ビルの屋上へと向かった。そこからは、遥か遠くにそびえ立つ、かつて【カーネル】だったスカイツリーの真っ白な姿を展望できた。





「この地球上で、生き残るコトが出来るのは[変化と進化が出来るもの]だけだ。自分達で一切の向上を図らず、他人の功績を奪い取ることしかしなかった【上の力】の連中には、その資格はない」





 ジョンは遠方の湾に、孤島のように浮かぶ【アースバウンド】へと目をやり、どこか感慨深い気持ちを抱いていた。





「その点においては、まだ【アースバウンド】の半魚人達の方がまだマシだな。ヤツらは海中に生活の場を変え、進化してきた」





 しばらくすると、青空に一点、白く光る物体がジョンが立っている高層ビルへとゆっくり近づいて来た。【上の力】の人間が、トール・ヤンシーを迎えに、両翼にプロペラを携えた垂直離着陸機を飛ばしてきたのだ。





 さて……迎えが来たようだな……私がジョン・ブラックマンだと知らずに……。





 ジョンは天空を仰ぎ、これから【上の力】を崩壊出来る喜びに満ち溢れていた。





 【アースバウンド】の人間達よ、私はこれから地上にメグの楽園を作る仕事に取り掛かる。それまではお前らの命は預けておいてやろう。せいぜい変化と進化の精神を忘れないようにするんだな。





 そしてショーン・ボーナム。最後まで気にくわない、ムカつきの権化だったお前だったが、悔しいが私達には一つだけ共通点があったコトを認めてやる。





 それは、唯一この地球上で[変わらなくていいモノ]を持ち合わせていたコトだ……





 それはな……









 垂直離着陸機が、ゆっくりと高層ビル屋上のヘリポートへと着陸の体勢を作り、プロペラが生み出す烈風が、ジョンの体を激しくなびかせた。





 フフ、ベタ過ぎるセリフだから、心の中で呟くのもやめておこう……





 じゃあな、グレムリンの遺伝子よ。今度こそキサマを始末できる時を楽しみにしているぞ。






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