7-4 「倒錯」

7‐4 「倒錯」





[2300年7月26日 6時59分記録 研究所・第3通路D地点にて監視カメラの映像と音声]





「無駄だショーン……鳥かごのような部屋に引きこもっていて研究所のコトはよく知らんのだろう? 」





 黒バットを握りしめたジョン・ブラックマンが部屋に現れた瞬間、本能的に「マズイ」と感じ取っていたショーン・ボーナムはメグに危険が及ばないよう一人で部屋を飛び出し、ジョンの強襲を一身に受け持った。





「はぁ……はぁ……ブラックマン先生……もうやめてください……」





 しかし、迷路のように入り組んだ研究所の通路を走り回るうちに、とうとう行き止まりでジョンに追い込まれて、絶体絶命の危機に陥ってしまっていた。





「やめる? 何をだ? 」





 ショーンは明らかに常軌を逸した様相のジョンを何とかなだめようとしたがそれも無意味。正気を失った工学者は全力を込めて少年の頭部を吹き飛ばす勢いでバットを振り回した。





「ドゴォ! 」





 ショーンは間一髪のその一撃をかわし、ジョンは鈍い音と共に白壁をへこませた。





「この辺りは野球が盛んでな……公園なんかをチョット歩いて見れば誰かが置き忘れたバットやグローブなんかがスグ見つかるんだ……」





 狂気の行動とは裏腹に、全く声を震わせることなく淡々としゃべり続けるジョンのアンバランスな姿に、ショーンはひたすら戦慄を覚えた。





「お前とメグのやり取り、聞かせてもらったぞぉ……随分と楽しそうだったじゃないか? 」





 ジョンは再びショーンを壁際に追いつめる。





「どこまでも姑息な奴だなお前は。こんな方法でメグに近寄っていたとはな……」





「……確かに僕はみんなに黙ってメグと情報交換をしていました……それは謝ります! 」




「それは? それはってどういうことなんだ? 」




 再びジョンはバットをスイングして壁を叩きつけた。ショーンは何とかその攻撃を回避することが精一杯だった。





「メグは真面目な娘だ。責任感が強い子だ。お前という存在と関わった為に、メグは無用な悲しみを負うことになったんだぞ? あの子は泣いていたんだぞ? 社会的に価値の見いだせないお前の母親の死に関わってしまったせいで……どうしてくれるんだ? 」





「うわぁああっ! 」





 とうとうショーンはジョンの攻撃をかわしきれず、右足に金属バットによる凶悪な一撃を喰らい、思わず悶絶して床の上で転がり回る。ジョンはここぞとばかりに無抵抗な少年にもう一撃見舞おうとバットを大きく振り上げた。





「ブラックマン先生! 一体何を!? 」





 凶行の直前だった。研究所の報告によりジンボが3名の警備員を引き連れ、その無慈悲な行為をストップさせるべくショーン達の元へと駆けつけた。





「ジンボ君、分からないのか? 問題行動ばかりの出来損ないの被験体に折檻をしている最中だよ」





「先生! これ以上ショーン君を傷つけることは許しません! 早くそのバットを下ろさなければ我々も強硬手段を取らせていただきますよ! 」





 ジンボが警告すると警備員達は警棒を構え始め、その棒先をジョンの体に向けた。





「ジンボ君……なんだそれは? おかしいじゃないか? 無垢な娘をたぶらかして街中の人々に多大な迷惑をかけたこのクズではなく、この私に下品な鉄棒をブチ込もうってのか? 」





「僕だってそんなことはしたくありません! だから早くショーン君を解放してください! 」





「……こんなガキがそんなに重要なのか? 」





 ジョンは不敵にそう呟きながら、バッドで傷つけたショーンの右脛をグリグリと踏みにじった。





「ぐああああっ! 」





 響く悲鳴に反応して警備員達が彼らに近づく。





「ジンボ君、そもそも私はこんなくだらない研究に付き合わされていること事態不愉快なんだ! 分かるだろう? 我々のように優秀な人材は他にもしなきゃならんことは沢山あるはずなのに、【グレムリン効果】の軍事利用だの馬鹿げたことを考えている国のお偉方に愛想が尽きるわ! 」





 怒りの工学者はショーンを踏みつけながら声を張り上げた。





 もはや少年を痛めつける為ならばどんなことだって理由付けて正当化させようとしている彼の姿に、ジンボは失望の念を隠せなかった。





「先生の言いたいことも分かります……ですが、今そんなお偉方達よりも馬鹿げたことをしているのはブラックマン先生なんですよ! もう目を覚ましてください! 」





「ジンボ君……残念だが私の目が覚めるのは、こいつを赤く染めたその時だけだ! 」





 遺伝学者の必死の叫びも届くことなく、ジョンは再び黒バットをショーンの眉間に叩き込もうと振り上げる。その瞬間、警備員達は力ずくで彼を押さえ込もうと走り出した。しかし、それよりも一瞬早く動き出した小さな影が風のような早さで彼らを横切った。









「ゴヅッ……」









 柔らかい物と硬い物がぶつかり合う独特の鈍い音が生まれた。人類の遠い時代からの記憶が遺伝子に刻み込まれているのか? その音は人間を生理的に不快にし、不吉な予感を走らせる。





 ショーンも、ジョンも、ジンボも、警備員も、目の前に作られた光景に誰もが絶句し、空間が凍り付いた。





「ショーン……」





 ジョンが振り下ろした巨悪のバットはショーンには命中しなかった。彼が叩きつけたのは少年ではなく、少女だった。





「メグッ! 」





 部屋を飛び出た2人を追いかけた彼女は、狂気に翻弄された自分の父親が、愛する者を破壊する光景を目の当たりにした。





 メグはそれを目に入れた瞬間に思わずその体を飛び出させてしまい、ショーンを庇って身代わりになった。





「……大……丈夫?……ショーン……」





 メグは涙を流して頭から血を流していた。ショーンに覆い被さるように重なった彼女は、とても悲しげな表情でショーンの顔をのぞき込んでいた。





「メグッ! なんで……なんで! 」





「……ごめん……ね……大……好き……だよ」





 そう言い残した彼女は、そのままショーンの腕の中で石のように動かなくなった。





「病院だ! 早く病院へ! 」





 真っ先にジンボが叫び、警備員達が彼女に近づこうとしたが、それを阻止するかのようにジョンが立ちふさがった。





「私のせいじゃない……私のせいじゃないぞ」





「どいてくださいッ! 」





 ジンボは全力でジョンに体重を浴びせながら押し倒した。彼ももう狂乱者の戯れ言には付き合っていられなかった。





「まさか! 」





 そして彼はジョンを下敷きにしながら目の前で行われている超常的変異に我が目を疑った。





「ショーン君! やめろ! やめるんだ! 」





 そこには悪魔を連想させるほどに漆黒に肌を染めたショーンの姿があった。それが何を意味するのかはここにいる誰よりジンボがよく知っていた。





「メグーーーーッッ!! 」





 空気を震わせるショーンの叫びと共に、彼の体表から電流を思わせる光が走り、球型の電磁波を発生させた。





「うわああああああーーーーーーーー………………………………………………………………………………… 













[2300年7月26日 21時32分記録 研究所個室でのジョン・ブラックマンとジンボの音声記録]


『ブラックマン先生……メグちゃんの治療……終わったようです……』



『……無事なのか? 』



『一命は取り留めています……ただ……』



『ただ……なんだ?』



『意識は戻っていません……さらに言えば……医者が言うには…………』



『言え、教えろ』



『このままメグちゃんはずっと……意識を戻さない可能性が高いそうです……』



『……そうか』



『……ブラックマン先生……』



『……あの小僧が【グレムリン効果】を発動したからいけなかったんだ……そのせいで半径20kmに及ぶ交通手段は麻痺し、メグを病院に搬送するのが遅れた……全部あいつが悪い』



『ブラックマン先生ッ! いい加減にしてくださいよ! ……あんなに聡明で高潔だったあなたが……何故そんな……何があなたをここまで変えてしまったんですか! 』



『…………何がって? ……』



『…………おかしいですよ……あなたは……なぜ自分の娘が重体に陥っているというのに……なぜそんなにも冷静なんですか! 』



『そうだなぁ……自分でも不思議だよ。今になって何故あそこまで怒り狂ってたんだろう? と客観的に振り返ることすら出来るよ……本当に恥ずかしいことをしたよ』



『恥ずかしいって……』



『……ジンボ君……私はメグが倒れた瞬間に長く考えていたプランが明確なビジョンとなって頭に浮かび上がったコトを告白しよう』



『明確な……? 』



『私がヒトの脳情報のデジタル化について研究しているのは知っているよな? 』



『……何を言うんですか? 急に! 』



『私がその研究に没頭している理由はね、どうにかして、人間をある一定の年齢に留める方法はないか? と考えたからだ……ヒトの記憶と精神を全てデジタル情報として扱うコトが出来れば、必要な記憶は残し、不要な記憶を消し、理想的な精神状態を保つコトが出来る』



『……なぜ今その話をするんですか……? 』



『あとは若々しい空の肉体がいつでも用意出来れば車検の切れた車を捨て、新車に買い換えるように、記憶をそのまま保って肉体だけ乗り換えるコトが可能、事実上の不老不死だ。肉体の方はすでに実現されつつある。ジンボ君、君が研究している[エッグシリンダー]だ』



『…………』



『エッグシリンダーの今のところの問題点……マウス実験では遺伝子情報から肉体のコピーを作ることは出来ても、脳に刻まれた記憶や本能までは完全に再現出来ないことだったな……』



『……ブラックマン先生……あなたまさか……』



『なぁジンボ君。君と私の研究が合わされば、人間を一人創造することが出来そうなんだ。つまり、メグだって……』



『それ以上は言わないでください……あなたは狂ってる』



『狂ってる……何故だ? 普通の人間だって生殖活動で自分の分身を作るだろう? 方法が違うだけだ。なんら問題はない』



『あなたはメグちゃんを何だと思っているんですか!? 』



『……メグは……黄金の存在さ……』



『…………黄金? 』



『思い出話をしよう。

死んだ私の妻[ジェシカ]は幼なじみでな……8歳まで一緒に育った仲だったんだ。

その時のジェシカとの思い出はまさしく黄金の時だったよ。

滑らかなブロンドどはじけるような柔肌……ジェシカこそが私にとっての女性観全てだった……

しかし、彼女は突如私の前から姿を消した……引っ越してしまった。

礎を失った私は魂を落っことしてしまった程に打ちひしがれたよ……

でも、またいつか会えると信じ、希望を持って時を過ごした。貞操だってずっと守ってきた。

そしてついに23歳の頃、彼女と運命的な再会を果たしたんだ。でもな…………』



『…………』



『彼女を見た瞬間に、私の中で何かが壊れた……違う! 

君はそんなんじゃなかったハズだ! 

彼女の下品な艶めかしさを纏った成長した体に嫌悪感すら味わった……

私の中で思い続けたジェシカの清涼な思い出が一気に色彩を失っていき……

人生2度目の絶望に陥ってしまった』



『…………』



『でも思ったんだ……そうだ! それなら彼女を使ってもう一度作ればいいんだ。ってね』



『先生……もうやめてください。もうあなたの話は聞きたくない……』



『運が良かった……最初の出産で女の子が産まれた時は思わず私はこう言ってしまったんだ。おかえり……ってね。それがメグさ』



『…………もう私は行きます……知っているでしょうがあなたはもうしばらくこの部屋に拘束されます。然るべき処置が下るまで、もう黙っていてください』



『随分冷たいんだなジンボ君』



『あなたに温かくなれる人がいるとは思いません』



『言うじゃないか……そういえば……あの小僧はどうなったんだ? 』



『ショーン君ですか……何故? 』



『教えろ。私には知る権利がある』



『……彼は【グレムリン効果】を爆発させ、今はその疲労で眠っています……しかし、国はショーン君をそのまま貴重な研究サンプルとしてコールドスリープにする事を決定しました……』



『コールドスリープだと……本当か……ククッ……ハハッハーハハハ! 』



『何がおかしいんですか! 』



『まだ試験段階のコールドスリープ装置を使うとは! ハハッ……生存確率が5%以下、オマケに無事蘇生しても記憶喪失が生じることは研究でも明らかになっているだろう! 要するに、あのガキはお払い箱ってことだろう! ハハハァック! 体のいい処刑ってワケじゃないか! 』



『…………確かに、その通りです……』



『世の中ってのは残酷なもんだよなぁ! 要領のいいクズどもばかりがはびこるこんな世界だ! 』



『あなたが言えた口ですか! 』



『…………なぁジンボ君……君は頭がいい……どうだ? 私と手を組もう。私達で理想の楽園を作るんだよ……そこで私は完璧なメグを作りたい』



『…………あなた一人でやってください……私はもう……しばらく誰とも話をしたくない……』



『……そうか…………残念だ…………それでは別の人間と協力しようかな? 』



『これで失礼します、ジョン・ブラックマン先生』



『じゃあな、ジンボ・ムーン君。機会があったらまた会おう』













 これが私とブラックマン先生との最後の会話となった。





 彼はその翌日に拘束室から脱出した。





 そして病院を強襲し、昏睡状態のメグちゃんを連れ去ってそのまま行方を眩ましてしまった。





 彼はその時同時に、僕が研究していた極秘の資料データを盗み取っていた。





 もちろんそれがエッグシリンダーの研究資料であることは言うまでもないだろう。









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