7-3 「バットと雨降りの朝」

7‐3 「バットと雨降りの朝」





[2300年7月26日 6時37分記録 研究所・ショーンの自室にて監視カメラの映像と音声]



 窓一つ無い牢獄にも似た真っ白い壁の部屋。小さなライトの光だけが薄明るく照らされているその部屋の隅で、ショーン・ボーナムが無気力に横たわっている。





 彼は呼吸をしていることすら分からないほどに身動きをとらず、寝ているのか起きているかも判断しかねる状態だったが、時折思い出したかのように嗚咽しだし、そのことでかろうじて起きていることが確認できた。





 「母さん……母さん……」と口の動きだけで発し続ける無音の呟きと、ジョン・ブラックマンの制裁の拳によって腫れ上がった顔。ショーンが脱出困難の絶望に閉じこめられていることは明らかだった。





 母親がペースメーカーを付けていたことを知らなかったこと。自分自身の手で母親の命を絶ったということを今日まで知らず、のうのうと日々を過ごしていたこと。





 自分勝手な行動で多くの人間に迷惑をかけ、なおかつそれにメグを巻き込んでしまったこと。





 それらの自戒、自責、後悔が募り、全身の血液が胆汁のように重く粘ったような感覚が彼の体を支配していた。









「……ョーン……ショーン……」





 誰かが自分の名前を呼んでいる? ショーンは遠くに行きかけた自分の意識を呼び戻し、けだるい体を起こしてその声のする方向へと耳を傾けた。





「……ショーン……お願い……開けて! 」





「……メグ? 君なの? 」




 聞き間違えるハズの無い声、鈴の音のような彼女の声、メグ・ブラックマンの声が強固にロックされた鉄製のドアの向こう側から伝わってくる。





「そうだよ……私だよ! 」





「駄目だメグ! そのドアは僕にも開けられない! それに……君はもう関係ない! すぐに帰るんだ! 」





 ドアに近づくことなく、ショーンは顔の痛みをこらえながら大声でメグの来訪を拒否した。





「謝りたいの! それだけでも聞いてほしくて!」





「メグが謝ることなんてない! 」





 これ以上彼女を巻き込んではいけない。彼にはその一心しか無かった。





「お願い! 開いてよ! 」





 メグは鍵のかかったドアノブを無駄だと分かりながらも握り捻った。どうせ開かない……そう思いながらの自棄行動だったが、それが思いも寄らぬ効果を生んだ。





「あれ? 」「え? なんで」





 どういうワケか、ドアには施錠がされていなかった。2人を分かつ鉄の障壁が消えて目が合い、時間がしばらく停止した。





「……ショーン……」





「……メグ……」





「……その顔……ごめんね……パパのせいで……」





「……いいんだ。それよりメグ、びしょ濡れじゃないか」





 ショーンはそう言ってベッド下の収納からバスタオルを取り出して彼女に手渡した。彼女の手と触れないように細心の注意を払いながら。





「ありがと。外、雨降ってたから……」





「無茶するなぁ……相変わらず」





「へへ……」





 メグは長く煌めきを放つブロンドの髪をタオルで挟みんで、絡みついた雨水をふき取る。ショーンは無意識にその姿に見とれてしまっている自分に気が付き、慌てて彼女に背を向けた。





「ねぇメグ……」





「何? 」





「ごめん……僕のせいで大変なコトに巻き込んじゃって」





「違うよ! ショーンは謝らないで! 私が全部悪いの! ……君の……ママのことだって……ごめんなさい……本当に……」





 メグの悲痛な言葉を上げるも、ショーンは背を向け続けた。





「……君が悪いワケじゃない……全部僕が原因だよ……」





「でも……! 」





「母さんを殺したのは僕さ……誰のせいでもない」





「ショーン……そんなこと……言わないでよ……」





「……僕達は会うべきじゃなかったんだ……あの空港で……」





 ショーンが背中を震わせて喋ったその言葉に、和やかな余裕は見えず、思わずメグもその姿にたじろいでしまった。





「ショーン……待って……」





「もう帰ってくれよ! 君のせいで僕の人生は滅茶苦茶だ! 」





 青白い部屋の中に、ショーンの悲痛な声が響き渡った。





「君のことなんて大嫌いだ! ……もう……今すぐ帰ってくれ! 」





 ショーンは全力で彼女を拒絶した。背を向けていて彼女はその顔が見えなかったが、怒りに満ちていることは容易に想像出来る語気だった。





「……ごめん……」





 メグはここまでハッキリと拒否反応を向けられたことにショックを受けてはいたが涙を流すことは無かった。





 自分の身勝手な行いと、非情な肉親のせいでショーンはここまで追い込まれてしまっているという自覚があったからだ。





 彼女がこの場所に来たのは彼に許してもらう為じゃない。ただ謝りたかった。それだけだったから。





「……こんな時間に押し掛けて来てごめんね……もう、行くから」





 メグが精一杯作った笑顔は背中を向けたままのショーンには届かなかった。





 自分達の間にどうしようもないほどに開ききった溝が生まれてしまったことを受け入れ、彼女は踵を返してこの部屋を後にしようとした。





 一歩、また一歩と出口へと向かう彼女、ポッカリと心に穴が空いてしまったメグは足下に注意を払う余裕が無かった。





「うわっ! 」





 雨で靴まで濡れていたことが災いし、床に散らばっていた映画のソフトケースを踏みつけてしまったメグは、そのまま足を滑らせてしまった。





 足を振り上げ、思いっきり体を宙に浮かせ、そのまま後頭部を床に叩きつけられそうになった彼女。しかし、強い痛みや激しい衝撃が彼女を襲うことは無かった。





「大丈夫!? 」





 メグは背中から伸ばされた色白の両腕に支えられ、転倒を免れていた。





「ショーン? 」





 彼女はショーンの「熱い」と感じられるほどの暖かい両手に支えられていた。もう、思い出すまい、関わるまい、触れまい、と覚悟していた彼だったが……メグの危機に思わず体を動かしてしまっていた。





「いけない! 」





 ショーンの白肌が徐々に黒みを帯び始めた、【グレムリン効果】の前兆だ。ここで再び能力を発動させてしまったら大事になる。彼女は無我夢中になり、どうにかしてこの呪われた力を止める方法はないかと頭を巡らせた。





「おりゃあっ! 」「痛でぇっ! 」





 捻りだした答えは[思いっきり鼻をつまむ]だった。「痛みを与えれば収まるかも? 」と思い当たった彼女なりに考え抜かれた答えだった。[殴るのは気が引ける][ほっぺをつねるくらいじゃ痛みが足りない]そう考えた上での精一杯の行動だった。





「痛い! 痛い! 」





 ショーンを押し倒すように馬乗りになりながら、メグは錆び付いたネジを力ずくで回し開けるように、彼の鼻に痛みを与え続ける。





「……うそ……」





 そしてその自棄糞じみた行動が功を奏し、ショーンの褐色に染まりかけた肌は徐々に白さを帯び、そのまま能力は発動されず、とりあえずの危機は一難去った。





「ふー……良かった……まさか痛みで本当に止まるだなんて……」





 安堵したメグは呼吸を整え、尻の下に敷いたショーンから降りて、彼の顔に視線を戻した。





「え……」





 彼女は言葉を詰まらせてしまった。ショーンの顔を改めて見直すと、ジョン・ブラックマンに殴られて腫らした顔に、大量の涙で濡らした跡が確認出来たからだ。それは鼻の痛みで流したものではなかった。





「……駄目だな……僕は……」





 そう言ってショーンは両腕で顔を覆い、涙を隠すように表情を覆った。





 そしてそんな彼を見てメグは遅れて【グレムリン効果】の発動条件を思い出す。









『好意を寄せる異性と触れた時』









 その瞬間、メグは涙を流しながら笑いをこぼしてしまった。





「アホだね……私達」





 ショーンも同じく、2人で泣きながら笑い声を上げた。過ちを犯して多くの人間を不幸にしてしまい、抱き合うことはおろか、皮膚が触れ合うことも出来ない。





 そんなどうしようもない立場にも関わらず、お互いに好きであることがやめられない滑稽さと悲しさが入り交じり、体がどうしていいのか分からなかった故の感情の爆発だった。





 ショーンは【グレムリン効果】という呪いを自身に備え付けた神を恨み、メグは自分がキッカケでショーンの母が死んでしまったという残酷な事実を愁い……それでも2人は同じ時間を共有している今を愛おしく感じていた……。





 しかし、そんな永遠にも続くかと思われた不可侵の世界に、夕日が隠れれば必ず現れる闇夜が少しずつ近づいていたことに、2人とも気が付いていなかった。









「メグ……迎えに来たよ 」





 清らかな池に、色を混ぜ過ぎた醜黒色のペンキを放り込まれたような怖気。2人の意識は出入り口で不気味に直立する存在へと向けられた。





「パパ……」




 ジョン・ブラックマンは充血した眼球で不気味に2人を見下している。その左手にはメグが持っていたボイスレコーダーが握られ、そして右手には、2人の少年少女に向けるにはあまりにも場違いな黒色の輝きを放つ金属バットが携えられていた。






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