6-10 「大嫌い」
6‐10 「大嫌い」
『自分が強く信じていたものが否定された時ってね……凄く辛いものなんだよ……』
アリーがジーツに呟いたその言葉は、今になって自分自身に重くのしかかっていた。
何を信じればいい?
父親を名乗る【コブラ】もとい、ジョン・ブラックマンが語る事実か? それとも今まで自分が【アースバウンド】と共に歩んできた人生か?
「ジーツ君が私を……? 」
「その通りだよメグ。君はそのことを忘れてしまっているだけなんだ」
引きちぎるかと思うほどに、ジョンはジーツの鼻を捻り上げながら彼を顔を地面に叩きつけた。
「やめてよ! 嘘でしょ……そんなの嘘に決まってる! 」
必死にジーツの潔白を主張するアリーだったが、当の本人であるジーツは何も言葉を発することなく、ただただ頭を垂れて床を睨めつけているだけだった。
「ジーツ君! なんで黙ってるの! 違うって言ってよ! そんなの嘘だって言ってよ! 」
心を突き刺すアリーの言葉に対し、ジーツは何一つ返すことが出来ない。
「……なんで……何とか言えよ! 口を開けよ! 」
ジーツには心当たりがあった……反論が出来なかった。
夢の中で出会ったアリーそっくりの少女が血塗れになって倒れていた謎。それに合点がいく答えを今まさに提示されてしまったのだから。
『僕は過去に、本当にアリーを殺していたのかもしれない……』
ジーツはそう思いかけていた。
「メグ。無駄さ、コイツは全部分かっているんだ……
記憶を失ったフリをしてお前にもう一度近づいてたぶらかすつもりなんだろう。
200年凍っていたにも関わらず、何一つ進歩しない色欲の亡者よ」
「違う! 」
ジーツはやっとのコトで声を振り絞ったが、ジョン・ブラックマンによって屈辱な平手打ちを喰らい、鼻からの流血で顔を真っ赤に染め上げた。
「クソガキ……教えてやろう。ワタシは210年前、お前の【グレムリン効果】を研究する科学者だったのだぞ」
「……僕の……研究? 」
ジョン・ブラックマンはジーツの髪を掴み上げながら話を続けた。
「あの時のコトは忘れやしないぞ、グレムリン……いや、ウサギと呼んだ方がいいか? 」
「ウサギ……」
「そうだ、お前は幻獣グレムリンの化身なんかじゃない。性欲旺盛な単なる獣のウサギよ」
ジーツはその言葉に対し、本能的な不快感を覚え、足の裏に大量の汗をかいていることに気が付いた。
「お前の能力は使いようによってどんな兵器をも凌駕するリーサルウェポンになり得た……
そのメカニズムの解明の為、多くの研究員が寝る間を惜しんでお前に付き添ったんだぞ……だがな……
お前はそんな努力と徒労を一瞬で水泡と化してしまったんだ! 」
ジョンの怒りに満ちた鉄拳がジーツの頬にめり込んだ。
「お前は! あろうことかワタシの愛娘を! メグをたぶらかし、もて遊んで! 冷たい肉片に変えやがって! お前のせいで全てが終わっちまったんだよ! 」
殴っては無理矢理立たせ、また殴っては無理矢理立たせ、ジョンは怒りの全てをジーツの体にぶつけた。
『僕が……そんなことを…… 』
突きつけられた真実と暴力。外的な痛みと内的な痛みに挟まれ、ジーツの気力はすでに生きることを諦めかけていた。
「覚えているんだろォ!? 全部覚えているんだろォォォォ!? 」
「もうやめて! 」
全身に拳撃をもらったジーツは文字通り虫の息となり、指一本動かすだけで精一杯の状態にまで追い込まれてしまっていた。
「良かったよ……お前を【カーネル】で楽に殺さなくて。こうやって痛ぶって罵って! 絶望の淵にゆっくりと、蛇の毒で苦しむような苦痛を与えてやることが出来るからな! 」
さらにジョンは倒れたジーツに蹴りで追い打ち、飛び散った返り血が真っ黒い機械の足を赤く染める。
「やめてよ! 」
今のジーツにとって必死に自分を案じてくれているアリーの声だけが生命線だった。口内の鉄臭さと共に遠ざかりそうになる意識を必死でつなぎ止めた。
「メグ……全てはお前の為にやっているんだ……お前が今こうやって3次元の体を取り戻して生き返ったのも……全部ワタシが頑張ったからなんだぞ」
「どういうこと? 」
「私はね、お前が悲しい思いをしない為に、地球上に楽園を作りたかったんだ……
その為に優秀な遺伝子だけを2次元の世界に避難させ、地上に残った劣性遺伝子のアニマル共を駆逐した……
それが【コブラ】としての使命だった……」
「……はじめから全人類を救うつもりはなかったの……? 」
「選別だよ。よりよい品種を育てる為に出来底ないの果実はもぎ取るのさ。
選別した精神を、培養した3次元の体に移植……
そしてキレイになった地上に優秀な遺伝子だけの理想郷を作るのさ」
薄れそうになる意識の中、ジーツはかろうじてその真実を聞き取り、全てを理解した。
ジョン・ブラックマンは命を落とした娘を蘇らせる為、その頭脳だけをデジタルに変換して2次元世界へと避難させた。さらに自分自身は体を機械化させて【コブラ】になり、地上に残った[ふさわしくない人間]を一掃。
そして人間の体を培養する技術[エッグシリンダー]を開発。リモートコントロールワームを応用して娘を3次元の理想郷へと復活させる……。
【人類電子化計画】はジョン・ブラックマンの異常すぎる娘への愛情が動かした壮大なエゴ・ドラマだったのだ。
「しかし、計画には予期せぬトラブルというモノはつきものだ……」
ジョンはアリーを拘束している2体の【コブラ】に拘束を解かせ、アリーを力強く抱きしめた。
「やめて! 離して! 」
「メグ、5年前にね……地上で大きな地震が起こったんだよ。
その影響で培養した体の入ったカプセル(エッグシリンダー)がいくつか海に流されてしまった……その中にお前の体もあったと知った時は……ショックだったよ」
エッグシリンダーはそのまま【アースバウンド】がバラスト水を取り込む際に一緒に吸い込まれ、ドクター・オーヤの元へと渡った。アリーがこうして生き返ったのは奇跡的な偶然がいくつも折り重なった賜物なのだ。
「……分かったよ。もういい……」
「メグ……」
アリーは涙声で目の前の父親に訴えかけた。
「あなたのコトをパパって認める。私がメグだってことも認めるよ……」
「パパ……? メグ……今パパって呼んでくれたのかい? 」
ジョンは顔が崩れ落ちるかと思うほどの笑顔を作り、より一層力強く愛娘の体を抱きしめ、その感触、匂いをこれでもかと堪能した。
「待ってたよ……待ってたんだよその言葉を! 2次元じゃない、3次元の君の言葉を! やはり立体感が違う……感動だよ」
「うん……だからパパ……お願いを一つ聞いて」
「何だい? 車が欲しいのかい?
それとも旅行に行きたいのかい? いや、そうか!
ごめんよ、ママに会いたいんだろう? 大丈夫だ!
ママの体だって培養してあるんだ。いつだって会わせてあげるよ!
あ……そうか……忘れてたぞ。私の体がこんなにメカなのが恥ずかしいんだろう?
そうだよなぁ……友達に紹介できないもんなぁ……大丈夫さ、私は自分の体もちゃんと培養してあるんだ。
いつでもそっちに乗り換えられるよ!
パパはいつだって君の考えの先を行くんだから……」
「違うの! 」
アリーは悲痛な叫びで父の言葉を中断させ、おちゃらけかけた空気を呼び覚ました。
「【カーネル】を今すぐ止めて! もうみんなを傷つけないで! 」
「メグ……」
「私、これからずっとパパの言うことを聞くから……
なんだってするから……ジーツ君も……
リフもおじいちゃんもコーディもニールも!
【アースバウンド】のみんなを殺さないで! お願いだから! 」
アリーはなりふり構わず懇願した。目の前の人物が、ビルを……リフとオーヤの家族を殺した張本人だということも一切考えなかった。彼女の頭の中にあるのはただ一つ。これ以上自分の仲間が傷つくコトを見過ごせない。ただそれだけだった。
「メグ……あんなにヤンチャで私の言うことを聞かなかった君が……そんな泣かせるコトを言うなんて……」
「……もう、5年前とは違うんだよ……皆のおかげで、今の私がある」
ジョンはほんの少しだけ思い悩んだように天井を仰ぎ、そしてゆっくりと顔を下ろして娘と向き合った。
「分かったよ。メグ、君の言うことなら何でも聞こう……君は本当に優しい子に育ってくれたね」
「パパ……」
ジョンはそっと抱きしめていた愛娘の体を解放し、視線を合わせて笑顔を作った。アリーも思わず安堵の表情を作った。
「でもね、残念だよ。君は育ち過ぎた」
霞みかけた視界を辛うじて保ち、二人のやり取りを見守っていたジーツは、あまりにも唐突であまりにも残酷な光景を目の当たりにし、肉体を奮い立たせた。
「アリィィィィーーーーッ! 」
ジョンは撃った。左手を銃の形へと変形させ、その銃口から放たれる安直な弾丸をアリーの胸に発射させた。そして彼女の体をドス黒い血液で滲ませた。
「アリィーッ! アリーッ! 何で! 何で! 」
力なく崩れ落ちる彼女に駆け寄ろうとしたジーツだったが、すぐに他の【コブラ】によって取り押さえられ、床に押しつけられてしまう。
「メグはね……こんな子じゃないんだよ……私は少しワガママで世間知らずな感じの方が好きなんだよなぁ……」
ジョンの口調はあまりにも淡々で、まるでアリーを壊れた人形と同等に見ているような無邪気な冷徹さすら感じさせた。
「君も見なよ」
そう言ってジョンはアリーの上着をはぎ取り、インナー姿で露わになった彼女の二の腕を乱暴に手に取った。
「ああ、こんなにゴツゴツに腕を鍛えあげちゃって……
あんなにモチモチと柔らかだった肌が台無しじゃないか……
それに、ああ……なんてこった……
淫らに下品な色気を振りまくようにでかくなっちまったこの胸部……
【アースバウンド】の半魚人どもに毒されたな……かわいそうに……」
まるで「観葉植物の水やりを忘れてしまった」くらいの軽さで独り言をつぶやきながら、ジョンはアリーの頭部に右手を置いた。
「あんた……何してんだ? 何のマネだ! 」
ジーツは口端の震えが押さえられなかった。
「脳内のワーム情報をスキャンしているのさ。これが今後[完璧なメグ]を作る為に必要でね……こうやって[好ましくない]記憶情報を得るコトで、さらに洗練された、拡張高いメグを作る際に役立てることが出来るんだ」
この時、ジーツはハッキリとジョン・ブラックマンという男に人間的な愛情など存在しないことを確信した。
「アリーは人間だぞ! オモチャじゃないんだぞ! 」
「アリーじゃない、メグだ。彼女は私が遺伝子情報を母体に提供して作らせたんだよ……どうしようが私の勝手じゃないか……? 」
その言葉に、ジーツは頭の中で押さえつけていた何かを弾けさせた。
「ああああああああああッ! ジョン! クソ野郎! 許せねえ! 殺す! 殺してやる! 」
全身の血管がちぎれるかと思うほどだった。ジーツは目を充血させ、涙も鼻水も唾液も垂れ流しながら全力で自分を押さえつけている【コブラ】をふりほどこうとした。しかし……
「おお、怖い怖い……
そうだよ、そのヴァイオレンスで醜いその表情。それが君の本性さ。
色欲を制御出来ないアニマルそのもの。
メグが死んだ時もそんな顔だったのかい? ウサギくん」
どんなに力を振り絞っても……ジーツは所詮人間だった。頑丈で重厚な機械の体を持つ【コブラ】を振りほどくことなんて、アリが象に立ち向かう以上に無謀だった。
「くそう! くそう! くそぉぉぉぉぉぉぉぉ! 」
怒号が空しく部屋の中を反響させ、とうとうメインコンピュータを取り巻くモニターに大きく赤い文字で[30]という表記が現れた。それが【カーネル】が30秒後にレーザー砲を発射させるカウントダウンを意味することは一目瞭然だった。
「長かった……もう間もなく全てが終わり、全てが始まるのだ! 新しいメグと平和な世界で人生をやり直すんだ! 」
『もう……駄目なのか? 』
万策尽きた。全てを諦めかけ、ジーツはただぼんやりと視線をアリーに向けた。口から血液をだらしなくこぼしている彼女の虚ろな目。息づかいからまだギリギリで命を繋いでいることが確認出来た。
「アリー……」
ジーツの呼びかけに、アリーは震える唇を開いてゆっくりと言葉を返す。
「……大……嫌い……」
アリーは掠れる声でジーツにただ一言、そう言った。
「おうおう……随分と嫌われたみたいだなぁウサギ君……まぁ無理もないな」
アリーの声を聞いていたジョンはその様子を楽しそうに見下ろしていた。
「……君は……いつも目つきがイヤらしくてキモチ悪いし……弱くて……頼りなくて……スグ調子に乗る……」
血を吐きながらアリーは続けた。
「……アリーさん……やめて……」
ジーツは自分への罵倒が嫌だったワケじゃない。アリーがこれ以上無理する姿を見たくなかった。
「そのくせ……格好つけて私を庇ったり……変に気を使ったり……私の為に……怒ってくれたりして……迷惑……なんだよ……」
モニターの表示が残り10秒を告げた。
「ハング……君のコトなんて……大嫌いだよ……」
ジーツを押さえ込んでいた2体の【コブラ】が一瞬にして力なく倒れた。まるで操り人形の糸がプツリと切断されたように。
「なにっ!? 」
異常事態に動揺を隠せないジョン。彼の目の前には最も恐れていた光景があった。
「【グレムリン効果】……何故だ! アレはお前達が接触しない限り発動しないのでは? 」
「アリー……今すぐ逃げてくれ……効果が発動する」
ジーツの全身は褐色を通り越して闇のような漆黒に染まり、体表に電撃のようなスパークを纏わせている。【コブラ】はそれに触れただけでその機能を失ってしまった。
おぞましさすら感じさせるそのジーツの姿を見たジョンは [悪魔] その二文字を脳裏に浮かび上がらせた。
「こんなの……聞いてないぞ……」
このままでは【カーネル】もろとも破壊されてしまう。緊急事態に動揺したジョンは破れかぶれに倒れていた愛娘を抱き起こして盾にした。
「いいのか? このままだとお前はこの女を殺すことになるんだぞ! その力を止めろ! 今すぐに……!? 」
しかしジョンの悪足掻きをあざ笑うように、アリーは残された力を振り絞って父親の拘束から逃れ、自らジーツの元へと駆け寄った。
「アリー! 駄目だ! 」
ジーツの制止も無駄だった。彼女はそのままの勢いで彼を押し倒すように抱きつき……
「ごめんね……」
一言そう呟いて彼と唇を合わせた。
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