6-5 「クラブ2クラブ」

6‐5 「クラブ2クラブ」





 5年前。艦内時間午前1時。





 誰もいない艦橋公園の3階バルコニーの転落を防ぐ柵から、身を乗り出すようにして下方をのぞき込むアリーの姿があった。





『ここから落ちれば……死ねるよな……』





 新しい地での生活。温かかく、平凡で平和だった2次元世界との大きなギャップに多大なストレスを感じ、彼女の精神はほとほと疲れ果てていた。





 柵を乗り越え、わずか15cmほどの足場に身を任せたアリー。後は手すりを掴んだ両手を離せば15m以上はある高さから堅い床に叩きつけられ、その命を終わらせることが出来るだろう。





『こんなモノが現実にあってたまるか! 』





 アリーは不気味に頭から飛び出した接続端子をワッチキャップ越しに撫でてその感触を確かめながら思った。





『これで……向こうに行ける……』









「姉ちゃん! 」





 一瞬決意を固めたところに、その意志を打ち破る軽やかな声が公園内にこだました。





「あんた……」





「ハァ……ハァ……アリー姉ちゃん……探したよ……」





 ラボを飛び出した姉を必死で追いかけたリフ。息を切らしながら、小さな肩を上下させるその姿は愛おしくもあり、痛々しくも見えた。





「帰ろうよ……ココ、寒いですよ? 」





 柵の向こうのアリーに手をさしのべながら笑顔で近寄るリフ。しかし、その行為は今のアリーにとって癇にさわった。





「ヤだよ! 」





 アリーは妹を拒絶した。





「もう……嫌なんだよ! きっとこのままじゃ私、ずっとこんな所で生活しなきゃならない! そんなの耐えられない! ママもパパも! ここにはいない! 友達だっていない! もう……我慢出来ないんだよ……」





「……姉ちゃん……」





「これだけは言いたくない台詞だったけど言うよ! 

……死なせてよ! もう夢から覚めさせてよ! 私を元に戻してよ! 」





 アリーは涙を流しながら正直な心情を吐き出した。今はリフの姉として生きているということも全て忘れた。どうでもよくなっていた。





「そうですか……分かりました」





「え? 」





 アリーは呆気にとられた。泣き出してしまうんじゃないと思うほどに強い口調で言葉をぶつけたのにも関わらず、平然とした態度でリフはその主張を受け入れたからだ。





「それじゃあ、今から飛び降りるんですよね? 」





「ちょ……ちょっと待ってよ……」





 リフは淡々とした態度でアリーの方に近寄り、小さな体で思いっきり背伸びをして柵の手すり部分にまたがってきた。





「こ……コラ! 何してんの! 」





「お姉ちゃんだけに辛い思いはさせません……わたしも一緒に飛び降ります」





「え? アンタ何考えてるの? アホ! やめろって! 」





 リフを柵から必死に降ろそうとするも、本人は聞く耳もたず。そして笑顔をアリーに向けた瞬間……





「先に行くね」





 リフは飛び降りた。重力に引っ張られ、その身を遥か先の地面へと捧げた。









「バカアアァァ! 」





 アリーは反射的に落っこちたアリーに向かって矢のように飛びつき、リフの体を捕まえて抱きしめた。この時、アリーには一つの事しか頭になかった。





『この子を助けなきゃ! 』





 自分の体をクッションにして妹の命だけでも救おうとした。自分勝手な振る舞いで何にも悪くないリフをこんな事に巻き込んだことを、成り行きで姉妹になったとはいえ妹のクレイジーな性格を把握していなかった自分を責めた。









「ドシュッ! 」





 背中に大きな衝撃を感じ、アリーは地面に激突したことを認識した。





 痛みは無く、落下したはずなのに上空へ浮かびあがる妙な感覚が襲った。





 アリーはその時、自分の魂が天に昇っているのか? と思ったが……





「あれ? 」





 何かがおかしい。アリーは仰向けになっていた首を少しだけ動かし、自分におかれた状況を確認した。





「何なのコレ? 」





 端的に言うと。アリーは地面と衝突しなかった。それどころか宙に浮いていた。





「これ……ネット? なんで? 」





 アリーとリフを救ったのは蜘蛛の巣のように広がった弾力のある網だった。





「お姉ちゃん、驚いたでしょ? 」





 胸に抱かれたままのリフの声の振動がアリーの体内をくすぐった。





「この転落防止ネットはこの公園内に張り巡らされていて、普段はピアノ線みたいに細くて透明なんですけどね。

誰かがバルコニーから落っこちたことをセンサーが確認すると、線に電流が送られて膨張。性質もゴムみたいに変化するんですよ」





「え……凄い、マジなの? 」





 こんな物は自分の世界には無かった。この時代の高度な技術力を垣間見て、アリーは素直に感心してしまった。さっきまで自殺しようとしていたことも一瞬忘れた。





「バカ! 知ってたからって飛び降りることないでしょ!? もしセンサーが作動しなかったらとか考えなかったの! 」





「大丈夫です。前にも2回試したことがあるんで」





「そういう問題じゃない! 」





 妹のあまりにも無茶苦茶な行動力に、ついつい言葉が乱暴になる。





「アリー姉ちゃん……」





 仰向けのアリーの体の上を這うようにして、リフは姉の顔を覗き込み視線を合わせた。春の日光を浴びた温い土のようなブラウンの瞳がアリーの心を惑わせた。





「何……? 急に……」





「ごめんね、わたし……姉ちゃんがそんなに悩んでたなんて気が付かなくて」





「何言ってんだって! あんたが謝ることないよ! 私が……私が勝手に死のうと……」

「待って! 」





 言葉を遮るように、リフは痛みを感じるほどに強くアリーを抱きしめた。





「お願い! もう死ぬだとか言わないで! 

わたし、姉ちゃんの為に何でもするから! 

もう遠くに行かないで! 

いつかパパとママとも一緒に会えるんだから! 」





「パパと……ママ……」





 アリーは自分自身を恥ずかしく感じた。自分には2次元世界での家族との思い出がある。温かい家庭に平穏な日常。





 でもリフにはそれが無いのだ……生まれた場所は破壊され、家族を殺され、ずっと祖父と二人きりで生活を送っていた。土も太陽も無い場所で……。





「リフ……」





「……姉ちゃん? 」





「ごめん……もう死ぬだとか言わないから……どこにも行かないから」





「……本当に? 」





「うん、でも私、また辛い気持ちになっちゃって逃げ出したくなる時があると思うんだ……そんときはまた助けて」





「うん! いつでも姉ちゃんの味方です! 」





 リフはアリーに跨がるような形で、笑顔を向けた。それを見上げたアリーには、その姿がとても愛おしく、そして神々しくも見えた。





「姉ちゃん? 」





 妹に声をかけられて、アリーは自分がリフに見とれていたことに気が付いた。数秒時間が止まったような錯覚を覚えていた。そして同時に、胸の鼓動がどんどん高鳴っていることを認識した。









『この子の為にここで生きよう……ムーン家の長女として……』





「お~い! 」





 姉妹だけの世界に水を差すような緊張感の無い声が上方から突然聞こえた。





「おじいちゃん! 」





 声の正体はドクター・オーヤだった。そしてさも当然のように3階バルコニーから転落防止用ネットへと着地し、馴れた体さばきでゴムボールのように弾みながらアリー達の近くに座り込んだ。





「オモロイじゃろ? このネット」





「オモロイ……ってコレは本来遊びの為のモンじゃないでしょ! 」





「まあ、カタいこと言うな、ホレ上を見上げて見ろ」





 そう言ってドクターはアリーのように仰向けに寝転がって天井を指さした。





「あれは……」





 アリーはリフに気を取られていて気が付かなかったが、自分は艦橋公園に吊られて展示されている地球型のオブジェの真下にいる事に気が付いた。





「あのオブジェを一番楽しめる方法は、バルコニーの高い位置から見るのでも、床から見上げるのでもない。

このネットに寝っ転がって鑑賞するのが最高なんじゃよ」





 アリーは言われた通りに地球型オブジェを見上げた。





「へえ……」





 僅かな照明を反射させて光輝く地球を、空中で見つめる。普通に立ったり座って見ている状態ではなかなか味わえないシチュエーションにアリーはしばらく心を奪われた。





「アリー、お前にはつらい思いをさせちまって悪いと思っとるよ……」





「いいよ……もう。ここでの生活も刺激的で割といいんじゃないか? って思えてきたし」




「そうか……そう言ってくれるとワシもうれしいよ」





 リフには真実を伏せながらアリーをこちらの世界に呼び出したことを改めて詫びたドクターは、真っ赤なシャツの胸ポケットからメガネを取り出して彼女に手渡した。





「これは? 」





「お前さんの為に作った。これがあればどこにでも行けるぞ」





 頭を指差しながら喋るドクターを見て、アリーはそのメガネが自分の脳内にあるリモートコントロールワームを隠す為の物だというコトを察した。





「お姉ちゃん、目が悪かったんですか? 」





「あ、ああ! そう! ちょっと乱視がひどくてね……」





 咄嗟に嘘を作り、苦笑いを浮かべながらそのメガネをかけた。





「リフ……どうかな? 」





「似合ってるよ! かわいい! 」




 妹に褒められ、まんざらでもない表情を作ったアリー。そのことが素直に嬉しかった。




「昇天しちまったワシの嫁の若い頃に似とるぞ」





「そりゃあどうも……」





「美人だったんじゃぞ! 」





「はは、分かったって」





「ねぇ、おばあちゃんってどんな人だったんですか? 」





「ああ、美人だったがワシよりクレイジーじゃったよ。何せワシと結婚したんじゃからな」




「おじいちゃん……似てるってのは私がイカレてるってコトなの? 」





「ちょ……違うわ!そういうワケじゃなくてな……! 」





「はははは! 冗談! 」





 アリーはこの時【アースバウンド】にて生活を送るようになって以来、初めて心の底から笑った。





『アリー〈クレイジー〉ムーンか……悪くない……』





 そして飽きることのなさそうな新しい家族と共に地球型のオブジェを再び見上げてこう思った……





『まるで今の私達は……宇宙を漂って地球を見守る月(moon)みたいだな……』









 ■ ■ ■ ■ ■









「あの場所にそんな思い出があったんですね……」





「そうだね……

その日以来、[二次元世界]の生い立ちや【コブラ】について研究したり【アースバウンド】について色々勉強して、必死にこっちの世界に馴染もうとした。

それと、もっとリフの姉らしくしようと思ってさ、少し汚かった言葉使いも直した。

リフに嫌われたくないからね」





 背中越しにアリーの声が弾んでいることが分かった。さっきのおでこキスの時の取り乱しようといい、受付のおねえさんに対して攻撃的な態度をとったことといい、アリーにとってのリフという存在は単なる義妹という枠組みに収まらないほどの大きな存在なのだろう。





「こっち向いていいよ、もう着替え終えたから」





 僕が振り返ると、そこには黒と紫の配色と、羽根のエンブレムが特徴のクジャク部隊の戦闘服に身を包んだ、勇ましい姿のアリーがいた。





 バラスト層の時とは違い、メガネもワッチキャップも外した状態なので印象が大分違う。





「ジーツ君もなかなか似合ってるよ。ビシっとしてる」





「そうですか? それにしても僕がコレを着てもよかったんでしょうか……なんだか緊張します」





 アリーのお世辞は素直に嬉しかったけど、正直言って僕がこのクジャク部隊のエンブレムを背負うコトには重圧を感じていた。





 この戦闘服を纏った瞬間、僕は亡くなってしまった多くの隊員の魂をも背負い込んだ気になってしまったし、【カーネル】を破壊しなければ多くの人達が犠牲になるという現実が一気に色彩を帯びて重くのしかかった。





「ジーツ君」





 そんな僕の気持ちを察したかのように、アリーは僕の隣に立って肩に腕を回してくれた。





「君には十分クジャク部隊としての資格がある。

自信を持って! 

君の能力は【コブラ】だって警戒してたし、火だるまになりかけた私をガバっと捨て身で助けてくれたじゃない? 」





「そう言ってくれると嬉しいです……」





「君は十分強いよ……私なんかより……ずっとね」





 アリーはそう言って僕が脱ぎ捨てたズボンのポケットをまさぐって何かを取り出した。




「それは、バディ元首が僕に投げつけた……」





「そ、トランプのクラブの2。

53枚あるカードの内で最も弱いカード。

でもルールによってはスペードのAよりも強い時がある……

今の君がそうだよ」





「そういう意味があったんですか……そのカード……」





 正直僕はそのカードが投げつけられた時、意味がさっぱり分からなかったのでこの時代における特殊な礼式なのかと思っていた。





「私はコーディみたいに頑丈なワケじゃない。

キャロルみたいに射撃が上手いワケでもない……

リフやおじいちゃんみたいに頭がいいワケでもないし、ニール隊長みたいな抜け目なさもない……

そしてビル・ブラッド副隊長のような戦闘能力もない……

何もかも中途半端……

そんな自分が【カーネル】を破壊する任務に抜擢されるなんてさ……

不安なのは私も一緒だよ……」





「……アリーさん……」





 その言葉に自分が恥ずかしくなった。僕は弱音を吐いたコトで知らず知らずに責任を押しつけていたのだ。





 アリーを勝手に恐れ知らずの強者のように決めつけ、凄まじいプレッシャーを彼女一人に背負わせていた……こんなのは格好悪すぎる。





「……いえ……アリーさんは誰よりも強くて……優しい人です! 僕の能力だって……アリーさんがいなきゃ発動することすら出来ないんです、中途半端どころか初途最端ですよ」





「何それ……」





「いえ……自分でも良く分からなくて……」





 どうにかアリーを力付けようと思いながらも、おかしななことを口走って空回りしてしまった……我ながら意味不明だ。





「まあいいや……ありがとう」





 どうやらアリーはそんな言動も前向きに受け取ってくれたらしい。とにかく良かった。




「それじゃ、私達は二人揃ってやっと一人前ってことなのかな? 」





「いえ……僕達が揃えば誰も成し遂げられないことだって出来る……

最強のチームってことですよ! 

僕達は二人でクラブの2! 

1+1=クラブ2です! 

クラブ2クラブですよ! 」





「……clubs 2 club……クラブを2回も言うのはどうなの……? 」





「ええっと……駄目ですかね? 」





 アリーの呆れ顔が胸に突き刺さる。妙なテンションになってしまっている自分が恥ずかしい。





「ふふっ、まあいいんじゃない? イカれた感じがして」





「はは……良かった」





 クラブ2クラブは無事、結成された。









「到着地まで、あと2分です。強い揺れに備えてください。繰り返します……」





 潜水艇内に響くアナウンスが[エリア112]が間近であることを僕達に伝えてくれた。




「そろそろ到着だね……それじゃ気を引き締めていこう、手薄とはいえまだ【象頭兵】はいっぱいいると思うから」





「ええ、でも大丈夫ですよ。こっちにはドクターの[素敵なプレゼント]がありますから」





 そう、潜水艇内には力強い[秘密兵器]が用意されていたのだ。





「ま、そうだね。それじゃあ! 仕事を始めようか! 」





「はい! 行きましょう! クジャク部隊のクラブ2クラブが革命を起こすぞぉ! 」





 自らの士気を上げるため、僕は握り拳を天に突き立てた。心のドアが開かれ、血流を上昇させる空気の流れが下半身から首もとへと突き抜けていく感覚を覚えた。





 やってやるぞ! 





「威勢がいいねジーツ君。でも君、チャックを閉め忘れてるからね」









 【カーネル】発射まであと20分。








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