6-2 「信じていたもの」

6‐2 「信じていたもの」





「こんなところに隠し通路があったなんて……」





「アリーさんも知らなかったんですか? 」





「うん。知ってれば使ってたんだけど……」





 僕達はイアン・ステイシーの案内によって、【蜻蛉館】へと向かう為の狭いトンネルのような通路を走っている。





「もうすぐ先にエレベーターがあります。それを使えば後は【蜻蛉館】までスグに着きますので」





「それにしてもココ……臭いですね……鼻が陥没しそう……」





 イアンに背負われたリフが不快な表情でクレームをもらした。





「我慢してくれよ! 元々下水道だった場所を改造して作った場所なんだから! 」





 この秘密通路の入口は【操舵機関堂】より少し離れた場所にあるマンホールだった。

「みなさん着きましたよ! 」





 刑務所の檻を彷彿させる鉄格子の簡素なエレベーターが僕達を出迎えてくれた。





「さあ、乗ってください」





 イアンは錆だらけのドアを手動で開閉して僕達を秘密のエレベーター内へと招き入れると、近くにあった丸いボタンを力強く押した。





「ガシャン! 」





 少し不安な気持ちになるニュアンスを含んだ機動音と共に、4m四方はある広さの檻が【アースバウンド】の下層へと向かって動き始めた。





「兵隊さん」





 ゆっくりと背中から降ろされたリフは、興味津々な含みでイアンに話しかけた。





「リフちゃん、ボクのことはイアンと呼んでくれ」




「わかった。それじゃイアン、教えてくれますか? 」





 イアンは多分心の中で「名前の後に[さん]は付けろ! 」と思ったに違いない。彼が薄暗い照明の中でもハッキリと分かるくらいに不愉快な表情を一瞬だけ作ったからだ。





「う、うん……なんだい? 」





「こんなモノがあることを、なんで知っているんですか? 」





 リフの指摘にイアンは少し躊躇いながらも、説明を始めた。





「ボクは以前よりラーズ大佐から直々に極秘物資の輸送を密命されていた……その際に教えられた輸送ルートの内一つが、このエレベーターなんだ」





「内一つ? ということは【アースバウンド】中にこれに似たような秘密通路があるってことなの? 」





「はい、ボクの知る限りで5つはあります」





「嘘でしょ……」





 ワームによって【艦境】の探知機に悩まされていただろうアリーにとって、そのチェックをいとも容易くスルーできる裏口が艦内に無数あることがどれだけショックだったことだろう……何せアリーにとって【艦境】を渡る時は、毎回命がけの密入国のような心地だったのだから。





 それに加え、イアンに物資の輸送を命じていたのはあの悪名高きラーズ大佐という事実。それによって導かれる答えは……





「それじゃ……イアンさんが運んでいた物って……禁断物資……? 」





「ちがう! 」





 僕の質問に対し、イアンはその頼りない風貌からは想像できないくらいの大声で否定した。





「断じて違う! 

ラーズ大佐がそんなことをするワケがない! 

アレは何かの誤解に決まってる! 

きっと大佐の失脚を願う誰かが流したデマによってハメられたのだ! 

まさしくそうだ! 

あの公明で清廉なラーズ大佐が禁断物資などとは……! 」





 リフも、アリーも、そして僕も……イアンの必死過ぎるフォローに何一つ言葉を返すことが出来なかった。彼がラーズ大佐を慕っていたことは分かるけど、それ以上に自分が不祥事に利用されていたという事実を受け入れることを拒んで必死に釈明をしているような感じがしてしまい、少し呆れた感情を抱いてしまったからだ。この緊急事態にも関わらずに……。





「……イアン……」





 え? 





 エレベーター内の隅から突然声が聞こえた。アリーでもリフでもイアンでもない、病状に伏せた老人のような掠れた声で、今確かに「イアン」と名を呼ぶ声が聞こえた。





「誰? 」





 アリーが携帯していた拳銃を声の出所に向けると、そこには雑巾のようなボロ布を身に纏う一人の男の姿があった。





「……イアン、小僧の言うとおりだ……」





 男は照明の当たらない闇の中から、ゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。





「まさか……あなたは……」





 エレベーターに一個しかない電球のスポットに当てられ、男の顔が露わになった。





「ラーズ大佐! 」





 男の正体は変わり果てたラーズだった。自慢のカイゼル髭は不衛生な毛の固まりと化し、頬も痩せこけて全身から臭気を漂わせ別人のようになっていた。





「こんな所にいたんですか! 探したんですよ! いったい何で……」





「……黙れ……」





 再会を喜ぶ元部下の気持ちを切断するように、ラーズは一方的に会話を拒絶した。





「ラーズ大佐……」





「……イアン、お前は便利な奴だったが……ここまで馬鹿だと逆に腹が立ってくる」





 ラーズはポケットから液体の入った小瓶を取り出し、その中身を口内に流し込んだ。その液体は本来【アースバウンド】にあってはならない物だったが、僕は過去の記憶からその正体を知っていた。





「大佐……まさかそれは? 」





「……酒だよ……」





 その瞬間、イアンは膝から崩れ落ちてしまった。酒は禁断物資の一つだ……それを飲んでいるラーズの姿を見て、今まで信じていたものが一気に崩れ去って力が抜けてしまったのだろう。





「私はお前を利用してただけだ

……いい加減認めろ…… 

自分がそれにも気が付かず、馬鹿正直にヘラヘラしながら言われたことをして禁断行為に手を染めていたってことをな……

それにお前、本当は私の事を探してなんかなかったんだろう? 

んん? 

お前も私と同じだ。

自分だけ助かればいい。

そうだろ? 」





「……嘘だ……そんなの……」





 イアンは体を震わせてしまった。その震えは変わり果てた元上官に対する哀れみからなのか、それとも自分自身の心を見透かされた悔しさからなのか、僕には見当がつかない。




「お前が心酔していた男は……

クジャク部隊をダシに禁断物資を流通させ……

そこにいるアリー・ムーンをトンネルに閉じこめてBMEの恐怖から逃げるように高みの見物していた卑怯者だ……」





 全てを失い自暴自棄になっているのか? あの自信満々の態度を絶やさないラーズの姿はもうどこにもいない。彼は自尊心を遙か深海に置き去りにしてしまったようだ。





「そうですよ! コーディ君に聞きましたよ! 

お姉ちゃんはこの人のせいで死にかけるわ、怪我するわで大変だったんですから! 

そもそもあなたがテキパキ動いてBMEをぶちのめしてればあそこまで苦戦しなかったんですよ! 」





「リフちゃん、ちょっと抑えて……」





 ここぞとばかりにラーズ大佐に対して怒りをぶつけるリフ。僅か10歳の子供に言いたいことを言われても何一つ反論せずに黙っているラーズの姿は、さすがに哀れ過ぎて少し同情をしてしまうほどだった。





「そもそもなんですか? あなたの髭は? 時代錯誤も……」





「リフ、ちょっといい? 」





 アリーが突然リフの前に立ちはだかり、彼女のスイッチの壊れたラジオのような罵詈雑言を遮った。





「ラーズ……あなたは卑怯者じゃありません! 」





「え……姉ちゃん? 」





 リフが珍しく驚いた表情を見せる。当然だ、僕なんかは目の前で起こったことの意外性の高さになんのリアクションも取れずに固まるほどだったのだから。





「……どんなカタチであれ、クジャク部隊が長い間存続できたことはあなたのおかげです。

それは間違いありません……





そして、あなたのやったことは正しかった。





バラスト層での行動も【アースバウンド】で生活を送る市民達のことを思えば被害を最小に抑えようと考えた最良の策だったと思っています」





「な……何を言ってる? 私はお前を生け贄にしようとしたんだぞ? 」





 庇われたラーズ本人でさえ困惑している。





「だとしても……

もしもあの時私達を一緒に閉じこめていなかったら、その場に乱入したおじいちゃんとジーツ君はBMEにやられて【第二居住区】への侵略を許していたでしょう……

そうなっていたら……

ここにいる私の妹や、多くの住人の命が奪われていました。

全てあなたの英断のおかげなんです」





 ラーズは地位も名誉も失って自虐に陥っていた。でも、アリーの思いがけない賞賛と感謝の念に混乱とも言える動揺を見せた。





「違う……私は……」





 そしてアリーはラーズに対し、敬意と感謝の敬礼を作る。





 「これは……クジャク部隊を代表して私アリー・ムーンが[ラーズ・ヴァンデ大佐]に送る深き感謝の証です」





 その所作には一切の嫌みやあざとさは感じられず、真剣で誠実な趣があり、美しいとまで感じられた。





「……畜生! 畜生っ! 」





 ラーズは、アリーの言葉にどう反応していいのか分からないようだった。ただただ同じ悪態をつき続け、イアンは黙ってその姿を見守っていた。









「ガシャアアアアン! 」





 どうやらエレベーターが目的地まで辿り付いたようだ。物々しい音と同時に機械の機動音が止まった。





「……クソッタレ! 」





 ラーズはそうと分かった瞬間に鉄格子の扉を開き、逃げるように走ってエレベーターから飛び出した。





「待ってください! 」





 イアンが呼び止めようとするも、その声が虚しく地下通路内に響き渡るだけだった。





「ラーズ大佐……」





 肩を落とすイアン。アリーは彼の背中をポンッと叩いて励ました。





「行こう! 」





 アリーに促され、僕達も先を急いだ。そう、感傷にふけている場合ではない。僕達には【カーネル】を破壊するという任務が課せられている。





「急ぎましょう! 」





 僕たちは来たときと同じような異臭の漂う通路を進み、突き当たりに現れた長い梯子を昇っていく……













「うわっ! 」





 梯子を昇りきってマンホールの穴から這い上がると、そこにはドーム状の特徴的な建造物、【蜻蛉館】が目と鼻の先に見えた。





「本当にスグ来れちゃった……」





「許可証もワーム検査も不要ですね」





「全てが済んだら艦内のセキュリティを見直さなきゃ駄目だねジーツ君……」





 おそらく【カーネル】を破壊すれば、人類は地上での脅威がなくなり、【アースバウンド】は使われなくなるだろう。





 つまり【コブラ】が勝とうが、僕達が勝とうが、どっちにしろこの居住艦体は無用となる運命にある。





 それにも関わらずアリーは「セキュリティを見直さなきゃ」と口にした。





 それは彼女にとって、いや【アースバウンド】に住む人間にとって、この艦自体が生活であり、故郷であり、地球であることを意味させ、あと一時間も経たないうちにこの艦が消し飛ばされるかもしれないという事態の重みを再認識した。





「みなさん! あれを見てください! 」





 イアンが【蜻蛉館】とは逆の方へと指差した。その先には多くの人々が【バラスト層】に設置されている緊急脱出用のカプセル型潜水艇に群がっている。





「大変だ! あのままじゃとても脱出できない……! 」





 【バラスト層】の人々が【カーネル】による砲撃から逃れようと「私が! 」「俺が! 」とばかりに潜水艇への搭乗権を取り合っている様子は、遠くからでも分かるくらいに殺伐していた。





「アリー隊員! 」





「は、はい? 」





 イアンが力強い口調でアリーの名を呼んだ。心なしか彼の表情に力がみなぎっているようにも見える。





「ボクはあそこで人々の混乱を少しでも抑えなければなりません……」





 そして鋭敏な動きでイアンは敬礼を作った。





「ここでお別れです! アリー隊員……どうかご無事で! ありがとうございました! 」




 そう言い残し、イアンは混乱する群衆に向かって走り去った。その後ろ姿をアリーも敬礼で見送った。





「さあ、行こう」





 僕達を促し、アリーは【蜻蛉館】へと走り始めた。僕とアリーもそれに続く。





「……ジーツ君、覚えておいて」





 アリーは走りながら僕に言った。





「はい」





「自分が強く信じていたものが否定された時ってね……

凄く辛いものなんだよ……」





 アリーはラーズに対して敬意の言葉を送ってイアンの壊れかけた心を救った。





 きっとアリーは、心から慕っていた人間に裏切られたイアンと、自分が当たり前だと思っていた日常が二次元の作り物だったと知った時の自分自身と重ねたのだろう。





「分かりました」





 困っている人をほっとけない……そんなアリーが僕は大好きなんだ。













 【蜻蛉館】の礼拝堂内は外での喧騒とは真逆に不気味なほど静かだった。時折上の方から聞こえる爆発音と地震のような揺れが、【アースバウンド】が緊急事態だということを僕達に思い出させてくれる。





「言われた通りに来てみたけど……」





「何もありませんよね? 」





 巨大な蜻蛉象が見下ろすだだっ広い空間を行ったり来たりする僕達。ただただ時間だけが過ぎて心が焦る。ドクターはここに秘密兵器があると言っていたけど、それらしき物は一切見あたらなかった。





「あなた達ィ、忘れ物よ」





 突然背後から妙にセクシーな口調の声が聞こえた。僕はこの声に聞き覚えがある……





「こんな時でもねェ、子供を一人にさせちゃいけないわ、ねぇリフちゃん? 」





「全くですよ……ジーツ兄ちゃんだけならともかく、お姉ちゃんまで」





 しまった。僕達は【蜻蛉館】に急ぐことばかり考えていてうっかりリフを置き去りにしてしまっていた。そしてそのリフと手を繋ぎながら現れたのは他でもない……





「受付のお姉さん!? 」





 暇さえあれば受付のデスクで一人オセロに興じ、不必要なほどに女性の魅力を振りまいていた【蜻蛉館】の受付嬢だった。





「ご……ごめんねリフ」





 リフは受付のお姉さんに抱かれながらむくれた顔を僕達に向けた。





「あなた達がここに来たってことはァ……あそこに案内する時がきたワケね……」





 受付のお姉さんは蜻蛉象がそびえ立つ人工の泉の前に立ち、その縁に装飾されたコインの様な形のレリーフを強く押し込んだ。





「ゴゴゴゴゴ……」





 地鳴りの様な音が鳴り始めたと思いきや、人工泉がネジを回すようにゆっくりとせり上がり、その真下に地下へと続く長い螺旋階段が現れた。





「何? 何なの? 」





「アリーさん……【アースバウンド】はギミック(仕掛け)だらけのオモチャみたいですね……」





「うん……でもここまで来ると驚くというより呆れちゃうわ……」





「さァ、行きましょう」





 驚く僕達を尻目に、受付のお姉さんはリフと一緒にスタスタと地下へと降りていく。





「この下には何があるんですか? 」





 後を付けるように階段を下りながら質問すると、お姉さんは無駄に艶めかしい雰囲気を漂わせながら振り向いて答えてくれた。





「フフ……ドクター・オーヤの秘密研究所ってところかしらね? 」





 秘密……? 何やら悩ましい雰囲気を漂わせるその言葉に反応したのか、最後尾を歩いていたアリーは少し難しい顔を作りながら僕とお姉さんの間に割り込んだ。









「おじいちゃん……一体何を……! 」





 【カーネル】発射まであと38分。






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